
一日20分の読書の意味
こんにちは、Erinaです。
子どもがアメリカの小学校に行くようになって、カルチャーショックだったことの一つに「読書」があります。
このブログでも、私の子ども達の読書ファイルなどで本を紹介していますが、アメリカの小学校ではこの読書のウェイトが非常に大きいからです。
私はもともと読書が好きで、マンガも読んだけど、小説などもよく読みました。
国語は特に好きなわけではなかったけれど、勉強しないわりにはまぁまぁかなという感じで、それは幼い頃からの読書が助けてくれた部分が大きかったと思います。
アメリカに来て、留学生として生活し始めたときに感じたことは、「アメリカは説明書きがとにかく多い」ということでした。
「アメリカは書類と署名文化だ」と言われるように、それこそ携帯電話の契約書、アパートのレンタル同意書、車の購入、電化製品の保証契約と、とにかく何でも書類が用意されます。
若い頃は「こんなの誰も読まないんでしょ」と思っていたのですが、やはり後々に損しないためには、こういう面倒くさい書類をいちいち読むことは大事であり、特に、今の仕事について感じることは、世の中の成功しているビジネスパーソンは、こういう細かい書類をとにかくきちんと読む人が多い。雑な人は成功しませんね。
そのためには「活字」というものに日ごろから免疫をつけておく必要があるわけで、アメリカでは小学校から「一日20分の読書」が何よりも大事なルールになっている理由がわかったのでした。
「一日20分」というのは、アメリカでは全国区の目安であり、これにはきちんとしたリサーチも行なわれたそうです。
この記事によると、学力テストを行なった場合、
トップ10%に入る子どもは一日20分の読書
トップ50%までの子どもは一日4.6分の読書
下から10%の子どもは一日1分の読書
をしていたという結果が出ているそうです。
また、一日の読書量が、一学年の終わりまでにどれだけの差を生むかと言うと
一日20分の読書:1,800,000語
一日4.6分の読書:282,000語
一日1分の読書:21,000語
を読むことになるそうで、読書をする子どもとしない子どもで、劇的な違いを生むのがわかります。
日本では、授業で取り扱う文章(詩、小説、夏休み明けなら戦争もの)を親の前で繰り返し読み、読んだ回数を「正」の字で書き残すという宿題がありました。覚えてますか?
つまり、同じものを何度も読むことで、文章の理解を深めたり、言葉を一つ残らず学んだり、リズムをつかんだりしていたわけです。
アメリカでは、読書はあくまで本を読むことであり、子どもが自分で選んだ本を読むことになります。
サイエンスものが好きな子どももいれば、ミステリーが好きな子どももいる。歴史に興味がある子どももいれば、小説を読みたい子どももいる。そういう幅広い子どもの興味を削いでしまわないために、年齢やレベルに適したものなら自分で選んで良いですよ、というのがアメリカのスタンスです。
低学年のうちは絵本でもオーケーだし、とにかく「活字を読む」ということを当たり前 (habit) にするというのがアメリカの学校教育のゴールだと思います。
私は、読む本は自分で選びたいので(なにせあまのじゃくなもんで・・・)、こうやって自由に選ぶ権利が与えられるほうがずっと嬉しいし、本を選ぶ楽しみだとか、内容の当たり外れだとか、予想と違うことだとか、そういうことも学べて良いなと思っています。
You can never judge a book by its cover.
という英語のことわざがあります。
これは私の好きなことわざでもあり、「物事の本質(=本の内容)は、外見(=本の表紙)からは判断できない」という意味です。
「買って開けてみたら、想像と違った」
「しゃべってみたら、意外と良い人だった」
「やってみたら、割と面白かった」
という時に、”You can never judge a book by its cover.” なんて使ったりしますね。
・・・・とちょっと話がそれましたが、子どもの読書。
現在、キンダーガーテンの娘は、昨年のTK (Transitional Kindergarten)のおかげで、急に文章が読めるようになりました。小学校一年目の成長ってすごいです。
そんな彼女、今年はキンダークラスのリーディング(読解)ではちょっと物足りないだろうと、学年の始めに、娘の担任があるアレンジメントをしてくれました。それは、お隣の1st Grade(1年生)のクラスにリーディングの時間だけ入れるというもので、そのクラスの先生とも相談して決めてくれたのでした。
このクラスではチャプターブックを読むことになっていて、学年的には2つ上のものも恐れずに取り掛かるようになった娘。彼女は基本的に怠け者なので(笑)、やりたくないことは「私はできない」と言いがちなのですが、こうやってアカデミックな刺激を作ってくれる先生たちは、やはり子どもたちの成長をよく見ているなぁ、さすがプロだなぁと思うのです。
しかしながら、娘のライティング(作文)なんかを見ていると、きっとチャプターブックに出てくる単語を、全ては理解してないんだろうな、とわかります。
そこで、質問してみました。
「本を読んでいて、わからない単語が出てきたらどうするの?」
息子:「ググる」
娘:「とばす」
笑
そっか、そうだよね。
わからない単語はあるよね。だって6歳だもん。
それでも、毎日、家に帰ってきてから「今日は何を読んだの?」と聞くと、大まかなストーリーの流れを教えてくれるので、内容自体は理解してるようです。
大学でも、「この本を丸一冊読んでエッセイを書きなさい。それも締め切りは一週間後です」なんていうのは当たり前で、速読かつ内容の理解というものが、こうやって小さい頃から身についていない場合、かなり苦労することになります。
そんなわけで、
木を見る(=ディテールを見る)日本の国語の授業
森を見る(=全体像を見る)アメリカの読書
というのが私の印象であり、単語が一つ二つわからなくても、全体のストーリーを理解するチカラを養うには、やはり日々の読書がものを言うのでしょう。
毎回ためになる記事で、今回もそうかぁと、うなりながら読みました〜。学力と読書量の関係、何度も目にしてきたのですが、つい「読みなさい」というのを忘れてしまいます。最近では本なんて読めって言われなくても読む子は読むし〜とか言い訳してます(私が)。学校のリーディングタイムで読む分を20分に足してもいいのかしら。うちは本を読まない(上と下が)ので、せめてテレビのキャプションをオンにして読ませてます。フィンランドの子どもの学力が高いのってすべてのテレビ番組にキャプションが出るからだと読んだことがあります。
りょうこさん、こんにちは!
確かにキャプションは良いかも!
テレビだと、わからない単語も知らないうちに聞き流しちゃってますよね。
中学~高校になると、普通のホームワークとかで読む分が多そうですよね。だからそれ以外で読書とかやらないんじゃないんですか?
うちは下の子は読書が好きなので、宿題以外にもずっと読んでるんですけど、上は・・・やっぱり言わないとやらないだろうなぁ。