
日本人らしさってなんだろう?
こんにちは、Erinaです。
みなさんにとって、「日本人らしさ」ってなんだと思いますか?
きっと10人に聞いたら、10通りの答えが返ってくるでしょう。
今回は、ある読者の方とやりとりをしていていただいた質問、「私にとって日本人らしさってどういうことか?」を書いてみたいと思います。
私が日本を離れ、アメリカにやってきたのは2002年。私が19歳のときでした。
そんなわけで、日本での社会経験も持たず、学生としてアメリカにやってきた私は、渡米してかなり早い時期に「日本」という母国を外から見ることになったのです。
アメリカにやってきてすぐ、”I’m from Japan.”と自己紹介をすると、たいていはかなり印象のよい反応が返ってきます。
“I love sushi!”
“I have been to Tokyo!”
“I would love to go there.”
なんて、思ってもいなかったところで、親日的な人が多いことを知ります。若い日本人に典型的な「日本が嫌い」という人も、母国を良く言われて嬉しくないはずがありません。
「へぇ、日本も捨てたもんじゃないな。」
というのが私がアメリカに来て初めて感じたことでした。
ESLという留学生に囲まれている環境では、みんながみんな違いすぎて、それがお国柄なのか、個人なのかよくわからないのですが、その次の大学というステップに進むと、「自分は何者なのか?」を考えるようになった気がします。
それはやはり、大学やコミカレというのは、「アメリカのシステム」として出来上がっていて、そこにやってくる留学生というのは良い意味で「ヨソ者」だからでしょう。
教授たちだって、こちらが留学生だろうと手加減はしてくれないし、クラスメイトたちだって、こちらが勉強ができるとわかれば頼りにしてくる。
「外国人」というステータスが、良くも悪くもハンディキャップにはならず、対等に、フェアに勝負できる場所で、私は自分の強みや弱点と向き合わざるを得なくなったのでした。
そんな中で感じたことは、日本人の勤勉さ、つまり勉強や課題に対してズルをしたり、嘘をついたり、ごまかしたりしないこと、提出期限や時間をきっちりと守ること、というのはこの国ではトップランキング入りする強みだとわかりました。
英語では、cheatingをしないというのは、trust(信頼)につながります。
コミカレでテニスをしていたとき、コーチにこう言われたことがありました。
“You are trustworthy.”
「あなたは信頼できる人だ。」
それは、練習時間に遅れないとか、サボらないとか、ずるをしないとか、文句を言わないとか、約束を破らないとか、私にとっては当たり前なことをやってきただけでしたが、そういう姿はアメリカ人学生たちを相手にしているコーチにとっては「信頼できる人間」と映ったようで、二年目にはチームキャプテンにも選ばれました。
この
- 遅れない
- サボらない
- ずるをしない
- 文句を言わない
- 約束を破らない
というのは、いわば武士道のような世界です。
(ちなみに新渡戸稲造の「武士道」も、この頃になって初めて読みましたが、思いのほかしっくり来ることが多かったです)
つまりは武士たちが守ってきた教訓というのは、私たちの遺伝子にしっかりと組み込まれていて、それが「長所」と映る場面ではどんどん使っていけば良いのだ、と思うようになりました。
そしてこう言われたとき、「信頼」というものは一朝一夕で出来上がるものではなく、日々の積み重ねの大事さ、そして信頼してもらえるということは、この国ではいかに価値のあることなのかを知ったのです。
同時に、日本人だからこその弱点も知りました。
それは、「助けを求めない」ということ。(確かに武士は助けを求めません。笑)
授業でわからない部分があった
課題でできないところが出てきた
スケジュールが合わない
書類に問題があった
・・・などなど、様々な「問題」が生まれてきます。
そこで、いかに声を挙げて、「ヘルプ」を出すことが必要か。
アメリカに住んでいる方は、経験したことがあるはずです。
「こんなこと、聞くのは恥ずかしい」
「そんなことも知らないなんて思われたらどうしよう」
「みんなの前で質問するなんて無理」
「こんなこと、ここで聞いても良いのかしら?」
ありますよね?
「聞かなきゃ!」とアタマではわかっていても、「質問する」ということがいかにハードルが高いか。
でも、
「言ってくれれば良かったのに」
「そういうときはヘルプを求めないとダメよ」
自分で解決しようとして、そう言われたことはありませんか?
または、自分で何とかしようとして、してみたけどやっぱりちょっと間違ってそうで、後ろめたくて、自信が持てない・・・っていうこともあるはずです。
私もやっぱりその一人で、ある程度はなぁなぁでごまかせたものも、やはりそれでは限界がやってきました。成長の頭打ちです。
それからは教授たちのオフィスアワーに入り浸ったり、クラスメイトの袖をひっぱって、”Can you help me?”と恥はかきすての日々。
それに慣れてくると、もう怖いものはないんです。
“It doesn’t hurt to ask.”
(聞くだけならタダだ)
なんて言われます。
たまに、「どうしたらErinaさんみたいになれますか?」と聞かれることがあるのですが(いや、ならなくて良いと思いますが)、みなさんの目に、私がアメリカで生き生きとしている人間だと映るなら、ここに秘密があると思います。
「助けを出すのがうまい」 (←こんなことを偉そうに書くのはアレなんですが・・・笑)
私は一つのことにstuck(行き詰る)することはありません。
なぜなら、助けを出すから。
自分でどうにもできないな、と思ったら、どうにかしてくれる助けを探し、それをどんどん使うからです。
私は自分ひとりでなんでもできるなんてさっぱり思ってもいませんし、この広い世の中には、絶対に自分の問題をunstuck(行き詰まりをほどく)してくれるヘルプがあることも知っています。それをどんどん探すだけで、この国ではそうすることが許されているんです。
「私にもわからないことはある」とオープンになると、逆に周りも「Erinaって面白いな」と思ってくれて、向こうから人が寄ってくるようになります。
そうなると、クラスメートは全員が友達、顔見知りになって、「ねぇねぇ、今、なんて言ったの?」とか「ねぇ、この課題できた?」とかフツーにおしゃべりできるようになり、キャンパスでも顔見知りが増える。そうなると、途端に学校(というか、人の集まるところ)が楽しい。
「ミョーに顔の広い変な日本人」ってどの学校にもいるんですが(笑)、そうなったら勝ちです。仕事とかもこういうところから広がります。
私がアメリカで学んだ「日本人らしさ」というのは、武士道の勤勉さを忘れず、ヘルプを出すスキルを身につけると、無敵である。ということ。
そしてこれは仕事をし始めてからも有効だということは言うまでもありません。
みなさんにとっての「日本人らしさ」ってどんなことでしょうか?
わかります〜。私たちって日本では「わからない」「教えて〜」っていうのちょっと恥ずかしいですもんね。ボストン時代、上司にそれで怒られました。留学生時代にも教授に怒られました。締め切りギリギリになるまえに、早めに言いなさい!って。でも私は最初から「わかりません。できません」っていうのが恥ずかしかったんですよね。アメリカではできない事ははっきりとそういって、「できるようになるために」必要なリソースを要求することが求められてるんだなって思いました。だから、日本の大学ではありえなかった「宿題が期日まで終わりません。バイトが忙しくて夕方毎日時間が無いんです。ですから、期限伸ばしてください」みたいなことが認められるんですよねー。それを結構みんな堂々と言うし。あ、もちろん減点はされますが。ほんといろいろ違いがあって面白いですよね!
えりなさん。記事ありがとうございます。
私が考えた日本人らしさは「礼儀正しい」です。いろんな人が思い浮かべる日本人らしさ、例えば親切、時間厳守、協調性、思いやりなど大抵のものがこの「礼儀正しい」という大きなくくりに入るんじゃないかなぁと思いました!
りょうこさん、こんにちは!
>「宿題が期日まで終わりません。バイトが忙しくて夕方毎日時間が無いんです。ですから、期限伸ばしてください」
笑
ありますね、なんじゃそりゃ?っていう言い訳。
少なくとも、済まなさそうにしようよ!と思うのはやっぱり日本人だからでしょうか。
ヘルプを出せるようになるまで、私も時間がかかりましたね。
授業ならまだしも、個人的なこととか、もっと内面的なことはまだやっぱりどこかで「これって聞くべき?」と思いとどまってしまう自分もいます。
でも本当、わからないことで時間を無駄にしてしまうというのは本末転倒だなと思ったし、こんなとこでスタックしてちゃだめだ!と自分に言い聞かせることも多いです。そういうのはアメリカ人、上手ですね。割り切り上手なのかな。
めぐみさん、こんにちは。
そうですね、誰に対しても礼儀正しいのは大事ですよね。
私はやっぱり目上の人たちへの礼儀正しさは、どれだけカジュアルでフレンドリーなアメリカでも忘れないようにしようと心がけてます。目下の人から敬われて、嬉しくない人っていないですからね。