朝ドラ「マッサン」と国際結婚(後編)
こんにちは、Erinaです。
朝ドラ「マッサン」を見て考えた、国際結婚のこと。
前回に続いて、ちょっと書いてみたいと思います。
思いを言葉にする
みなさんは、夫婦で、いや、誰かと真正面から向き合うときに、どれくらいの時間を「会話」に費やしているでしょうか?(「口論」ではなく「会話」です。)
私は個人的に(笑)、人生のかなり長い時間をそれにかけていると思います。
先日も、旦那と夫婦会議を行ないました。
平日は仕事でクタクタ、週末は家のことでクタクタになっていた私たちは、夫婦の時間が激減していたのです。
そこで生まれるミスコミュニケーションや誤解は、お互いの話し方や声のトーンに影響し、「このままじゃまずいな・・・」と思うことが増えてきました。
そこで私たちは子どもが寝て静かになった後、テレビを消し、ラップトップを閉じ、向かい合いました。
感情的にならず、「こうだから、こう思う」という意見をお互いが順番に言い合います。
なるべく批判的な言葉を使わないように、「あなたがこうだから」ではなく、「私がこうしたい」と伝えます。
そういう会話を締めるのは私の役割で、「じゃあ、こうこうこうだから、こうしましょう。Do you agree?」と締めるのですが、これもきっと多くの人はいちいち言う必要はないだろうと思ってスキップするんじゃないかな?と思ったのでした。
私はこの作業と手順を、”Re-alignment”と呼びます。車のタイヤのアラインメントと同じです。
タイヤがアラインされていないと、ハンドルをまっすぐにしているつもりなのに、ちょーっとずつ曲がって行っちゃって、思う方向に進みませんし、何より危険です。アメリカで運転していると、定期的にタイヤのアラインメントをしなければなりません。
それと同じように、少し夫婦の歩幅がずれてきたな、歯車がうまくかみ合ってないなと思ったら、こうやっていちいち言葉にする。
そうすることで、「僕はそうは思ってなかった」を減らすことができるし、お互いに、「あぁ、私たちってそういう夫婦だったよね」とスタート地点に戻ってこられるわけです。
ドラマの中のエリーさんを見ていて、私はそれに気づきました。
「日本人なら、きっとそれは言ってないだろうな」
という少しエクストラな部分を、彼女はきちんと言葉にしていることが多いのです。これはやはり「自分の意見をはっきりと伝える」という文化で育ったからであり、国際結婚をする上でとても重要なスキルでもあります。
たとえば、マッサンの仕事が急に忙しくなり、仕事後に飲みに行くことも増えました。
それに不満を持ったエリーさんが、「どうして早く帰ってきてくれないの?!」と怒ります。
そこでマッサンが、「仕事だから仕方ないんじゃ!(広島弁)」と言うと、エリーさんは、こういうのです。
「私は、マッサンとごはんを食べたい。(白い)ご飯も炊けるようになった。だから早く帰ってきて欲しい」
と。
こうやって正直に自分の気持ちを伝えると、マッサンは、「そうなんか・・・ごめんな。早く帰ってくるようにするよ。」と次の日から飲みに行くのをやめて、まっすぐに帰宅するのです。
この作業が面倒くさくなると、夫婦の愛情はかなりハイスピードで冷めます。
からまった糸を早い段階でほどいておかないと、後々、そのからまりはもっと大きなものになり、「もう、だめかも・・・」と思うには十分なものになってしまう。
人間誰でも、「もう、だめかも・・・」と思ってしまうと、「もうだめだな」という確証を集めたくなり、相手の嫌なところしか見えなくなり、批判しか出来なくなり、本当にもうだめにしてしまう。心当たり、ありませんか?
私が今までに見てきた人と人との「別れ」、つまりブレイクアップは、ほとんどが「ミスコミュニケーション」が原因でした。結婚や恋愛に限らず、人間がある人間から距離を置きたくなるとき、ミスコミュニケーションが原因であることがものすごーく多いです。
面倒くさかったがために、言葉にするのが怖かったがために、自分のエゴに勝てなかったがために、大切な人を人生から失うというのは、本当にもったいないことだと私は思います。(まぁ、それまでの相手だった、と割り切るのも大事ですけど)
「どうしてだろう?」を止めない
マッサンが大阪で働く住吉酒造の娘・優子が言った、あるセリフが印象的でした。それは
「エリーさんが『どうして?』って思うことに、なんで自分は疑問を持たないのか。」
というセリフです。
これは、政略結婚で好きでもない人と結婚する優子さんに、「どうしてそんな結婚するの?」とエリーさんが質問したことへの返事です。
日本では、「それは通例だから。それがしきたりだから。」と、疑問に思うスペースが与えられないことが多々あります。
いや、日本だけじゃないな。どこに行ってもそうだし、個人レベルでもそうでしょう。
それは「価値観」とも呼ばれます。
自分が生まれたときから、いや、もしくは親や祖父母や曾祖父母、いやそのもっともっと前から「これはこういうものだ」と教えられ、受け継がれてきたものが、どの国にも、どの町にも、どの家にもあります。
国際結婚では、それらが衝突することも多いでしょう。
その時に、「だってそう教わってきたから」ではなく、「そういえば、どうして私はいつもこうなんだろう?」と自分に疑問を持ってみる。自分の価値観を疑ってみる。
結婚を強制されそうだった優子さんは、「私は、というか日本人女性は心にふたをしてきた」と言いました。
それまで「どうして強制的に結婚しなきゃいけないの?」という疑問も、何度も何度も「そういうものなんだ」と洗脳されてきたので、自分のアタマで考えたり、疑問を持つ機会が奪われてしまった。それは自由を奪われてしまったのです。
「どうして?」とは自由な思考であり、純粋な疑問であり、自分への問題提起です。
私はそういう「どうして?」を全て採用するべきだとは言わないけれど、少なくとも、その「どうして?」に自分で答えを出せないうちは、周りが準備した答えに納得しちゃいけないんじゃないかなと思うのです。
自分に素直な人は魅力的
10年前に、余市の蒸留所で竹鶴夫妻のことを知ったとき、竹鶴政孝という人は、リタさんにとって相当、魅力的な人だったんだろうと感じました。家族ともう二度と会えない覚悟で故郷を離れ、全くの異国にやってきた彼女。それは全て、愛する人と彼の夢のため。
リタさんにそう思わせた竹鶴政孝という男性は、きっと彼女にとってとても特別な存在だったのでしょうね。
ドラマでもマッサンという人は、素直で、純粋で、一生懸命で、子どものようにまっすぐな人でした。
エリーさんも、それに応えるような女性で、少女みたいなかわいらしさを持ち、間違いは間違いだと言い、自分の感情をまっすぐに伝える。
そうやって、100%のぶつかり合いをできる人は、魅力的だなと思うのです。
「かっこ悪いから」とか「おれはそんなことはしない」と格好ばかりつけている男より、嬉しいときには「ヤッターーーー!!!!」と大声で叫んだり、不器用でもまっすぐ全力投球な人と一緒に暮らすほうが楽しいですもん。
うちの旦那のあだ名は”Forever 15″で(私がつけたのですが)、永遠の15歳です。おっさんになっても、少年みたいなところがずっと残っている人で、そういう部分はずっと持っていてほしいなぁ・・・と遠い目で見ています。笑
私が外国人男性にそういう人が多いと感じるのは、きっと日本の社会の中では、男性たちも男性なりに様々な閉塞感やプレッシャーを感じ、永遠の15歳ではいられないんだろうな・・・と思うことがあります。女も大変だけど、男も大変なのね・・・。
そういう意味では、マッサンは珍しい人だったのでしょう。
“Being myself”
ありのままの自分でいられる相手というのは、やっぱり一番だなと思うし、ありのままを見せてくれるというのは嬉しいものです。
自分も相手もロボットではないので、わかりきった生活より、「なんじゃそりゃ?」と思うようなことが起こる生活を送りたいし、そのためには「人間らしく」あれる夫婦でありたいなと思うのです。
・・・と、色々と書いてみましたが、あっという間だったような、長かったような私の国際結婚10年。
マッサンを見ていて、「そうなの、そうなの!」と思うところもあれば、「あ~、それ、じれったいよね。」とエリーさんの立場から感じることも。
外から見る日本って、面白いなぁ、切ないなぁ、と感じるのですが、みなさんはどうでしょうか?
ホントにその通り。いろんな意味でおおきなドラマでしたね。シャーロットさんの演技は演技を超えて実践そのもので、無からのものだからより一層見ている人をひきつけたのでしょう。朝ドラもすごいすごい!世界をかけめぐるね。
千賀子さん
本名はシャーロットさんと言うんですね。
うん、彼女は本当に体当たりで「朝ドラ」という日本のミニチュア社会に入っていってましたね。それを応援している(されている)マッサンも良かった。
中島みゆきのCDは、ドラマを見た今になって聴いているけど、きちんと聞くと毎回泣いてしまいます。ありがとう。