アメリカの小学校にあって、日本の小学校にないもの

こんにちは、Erinaです。

 

日本の小学校にあって、アメリカの小学校にないもの・・・給食、掃除の時間、などなど。

 

では、アメリカの小学校にあって、日本の小学校にないものは?と聞かれたら、みなさんはなんと答えるでしょうか。

 

カップケーキ付きのパーティとか?笑

 

私が思う、「アメリカの小学校にあって、日本の小学校にないもの」の大きなものは、「作文」という授業。”Writing” ですね。

 

日本では、国語の一部分として作文を行いますが、アメリカでは、作文の時間や授業が単独で確保されています。うちの子供達の学校では、毎朝30分くらいが作文の時間に充てられていて、それぞれの科目に入る前に、「まずは作文!」というのが日課のようです。

アメリカでは、「作文 (writing)」は国数理社から独立したもの、と捉えられていて、特に小学校ではその傾向は強く、そのため、国数理社全ての要素をまんべんなく使いながら、作文力を強める、という考えがカリキュラムに組み込まれています。

つまり、作文というのは、国語に限らず、全ての科目で必要であり、あらゆる面で応用されるべきだ、という考えですね。

(アメリカの高校理科のクラスで行っている作文の取り組みについてはこちらで読めます。)

 

 

私はこれに同意せざるをえません。

「読む・書く・聞く・話すの中で、どれが一番大事か?」と聞かれたら、迷わずに「書く」を選ぶからです。

 

この記事でも書きましたが、私自身、アメリカの大学へ通い、アメリカ企業で就職し、アメリカ社会で生きる上で、「書く」というスキルの必要性をものすごく感じてきました。

これはアメリカという国や業界に限らず、このグローバル化した21世紀で、自分のアイディアや個性を前面に出して勝負する上で、必要不可欠なスキルです。

 

なので、アメリカの小学校で、それこそ文法やスペルもまだあやういうちから、”Writing” というクラスがあることに納得できるし、アメリカ社会で「書く」ということがどれだけ重要視されているかがわかります。

 

それに比べると、(過去の自分も含めた)日本の学生は、作文量が格段に足りないと思うし、大学受験前の小論文の練習程度では、基礎的な作文力は身につくことはなく、難しい言葉やカタカナ言葉の使用量で勝負!みたいな文章しか書けなくなるのです。

自分の義務教育期間を振り返ってみると、作文の時間に教わったことといえば、「作文用紙の使い方」。最初は1マス開けるとか、カギカッコは右上に書くとか、丸は行始まりには書かないとか、そういう形式的なことのみでした。

意見のまとめ方や広げ方、接続詞の効果的な使い方、異なる表現の使い方など、文章の構造的なことは教わった記憶がないし、やったのかもしれないけど、それくらい定着していないわけです。

 

私がこうやってブログで、ある程度まとまった考えを書くようになったのは、やはりアメリカの学校でライティングをがっつりとやらされたからで、それまでは作文が特に好き、ということはありませんでした。

 

私が思う良い作文には、以下のような3つの要素が必要で、わかりやすく「食事」に見立てることにします。

 

  1. 明確なテーマ=献立(今日はこれを作ろう!)
  2. 十分な題材=食材(そのためには何がどれだけ必要か)
  3. 効果的な表現=調理(どうやって料理するか)

 

日本の英作文で強調されるボキャブラリーや文法、構文というのは、#3の「効果的な表現」の一部でしかなく、#1や#2のようないわゆる下準備の部分に時間をかける授業は、日本ではほとんどありません。

 

だから、いくら素晴らしい調理方法を知っていても、作るものが決まっていなかったり、十分な食材がなければ、全体として「良い食事」はできないのです。

 

日本とアメリカのブログの違いもそこにあって、

 

アメリカ的なブロガーというのは、

  • テーマがクリアである
  • 文章の流れがクリアである
  • 書き言葉が使われている

 

というのに対し、日本のブロガーのほとんどは、

  • 特にテーマはない
  • 何が言いたいのかわからない
  • つぶやきの延長である

 

という状態で、この記事でも書いたように、日本の渦巻き型コミュニケーション、アメリカの直線型コミュニケーションというのは、やはり一般的なブログでも垣間見ることができるのです。

 

 

 

ちょっと興味深いデータがあります。

 

Wikipedia の “Languages used on the internet”(インターネット上で使用されている言語)という項目によると、なんと日本語は第3位。

日本語が公用語なのは日本国内だけ、ということを考えると、日本語というのはインターネット上でかなり流通している言語だと言えます。

 

このデータからわかることは、「日本語スピーカーは、ネット上での表現がとても大好きだ」ということがわかります。確かに、様々なブログサーバーが流行していることを見ても、日本は「ブログ大国」であるわけです。

しかし、これらの膨大なブログたちの内容を見てみると、「この人の文章は面白い!」とか、「読み応えがあるなぁ!」と感心する日本人ブロガーは数少ないのが現実で、これはやはり、日本の作文教育が明らかに足りない、と言えるのではないでしょうか。

 

証拠として、「喫煙に対してどう思いますか?」とか、もっとシンプルに、「好きな映画について説明してください」と言われて、パパッとノート1ページ分の文章を書ける人はどれくらいいるでしょうか?

 

「えっ、あ〜・・・」と戸惑う人がほとんどだと思います。

 

英検やTOEFLなどでも、日本人が一番苦労するのが作文(ライティング)の部分で、これはやはり、一夜漬けでは対応できないものの、どうやって勉強したら良いのかわからない、という声をよく聞きます。

 

 

 

日本の小学校で「作文」という授業が導入されて、子供達の基礎的な文章力や表現力が強まれば、表面的な英語教育をするよりよっぽど世界に通用する人材が育つし、国家としてのリテラシーレベルも上がる、と私は思うのですが・・・まぁ良いや。

そんなわけで、次回からは、私なりの作文強化方法をお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

“アメリカの小学校にあって、日本の小学校にないもの” への2件の返信

  1. こんにちは。作文、私も言われてみればあんまり習った記憶がないかも。「最初は1マス開けるとか、カギカッコは右上に書くとか、丸は行始まりには書かないとか」は覚えてます(笑)。そういう決まり事、みたいなのは暗記しても、実際書く内容の構成の仕方とかは日本は教えないですね。そういう点で、作文が、国語の1部分じゃないアメリカは良い気がします。書く力と話す力に重点を置いてますね。日本と正反対。

    昨日のSTEMの記事も面白かったです。内容を理解して読み込む力は、社会に出ても必要ですね。

  2. KYさん、こんにちは!
    やっぱり日本で作文をがっつり勉強した、という人は少ないようですね。
    気づいたらなんとなく書かされていた・・・というのが第一印象で、実際にどうやって書くようになったかは覚えてない。

    まさに、書く力と話す力、つまりアウトプットの練習に力を入れているアメリカで育つ子たちが、スピーチやプレゼンテーションで強いのは納得ですよね。

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