脱サラ母の数学教師への道 (9) 21世紀の教師達が想うこと

こんにちは、Erinaです。

 

2017年も終わりが近づいていますね。

 

今日は、今年最後の記事として、21世紀の教師達が想うことを書いてみたいと思います。

 

この記事を書こうと思ったきっかけは、前学期にとった、”Humanistic & Social Aspects of Teaching”(人文社会学的教育論かな)というクラスでした。

内容は、アメリカ義務教育の歴史や、人種差別、男女差別やLGBTQ、経済的格差、バイリンガル教育と多様性、そして教育改革などの社会学的な内容で、下手すればかなり地味な授業になること間違いなしなのですが、このクラスはとにかく面白かった。

 

それは、この教授の授業の進め方が素晴らしかったことにありました。

毎週、テーマが決まっていて、それに沿った課題文献を200ページくらい読み、自分の感想文を用意して、授業(ディスカッションオンリー)に参加します。

つまり、自分で準備できていなければ、授業は参加してもさっぱり面白くないし、意味のない時間になるわけです。

 

私は、アクティブラーニングという授業スタイルを実感できたし、内容もとても勉強になるものばかりでした。

人種差別や経済的格差、教育改革など、かなりタブーなトピックに切り込むこのクラスは、個人のオープンマインドネスが試され、一緒に教師になろうとしているクラスメイト達の本音や、個人的な経験などを聞く良い機会になりました。

 

国語教師志望のゲイのマシューや、シングルマザー家庭のウェルフェア(生活保護)で育った社会科教師志望のローレン、メキシコ移民で子供時代はアイデンティティで苦労した理科教師志望のミゲールなど、彼らがそれぞれにどんな人生を歩み、何を思って教師になることを決めたのか、それぞれが自分と向き合い、それを仲間達とシェアするクラスになったのです。

 

そして、そういう個人的な思いをシェアすることで、この21世紀に教師になる人間達に共通する想いや、考えが見えてきました。

それはやはり、私たち自身が育ってきた20世紀的教育を踏み台にし、次の段階に進むというものです。

 

具体的に言うと、これまでのような、一面的だった科目ごとのテストスコアや、ひとつのことだけに注目するのではなく、やはりオールラウンドで物事を幅広く捉えることができる人間を育てる、ということ。

私たち自身が、様々な経験を乗り越えて、長所と短所を受け入れ、一人の人間として教壇に立つように、子供達も自分自身と向き合い、他人と比べるのではなく自分を成長させる努力をするべきだ、ということ。

日本語には「文武両道」という言葉がありますが、やはり勉強だけ、スポーツだけ、というのではなく、人生のあらゆる側面を把握してバランスよく伸びていける人材育成が必要だ、という考え方です。

 

加えて、これは日本ではまだまだ浸透していない考えですが、”Collaborate”(共同作業)できること。

これについての評価は、私たち日本人が考えるよりとても大きく、驚いた部分でもありました。つまり他人と一緒に何かを成し遂げるということが、この多様化した現代でいかに強い武器であることか。テストも宿題も、個人でやるもの、と教わってきた特にアジア文化の私たちには、とても不慣れな部分でもあります。

 

これはやはり、この情報化社会で、物事がとてもハイスピードで進むことや、様々な人たちと協力し、様々な要因を考慮し、問題解決に導くことが必要になってきているからです。

 

与えられた問題の決まった答えを探すのではなく、自分達で見つけた問題の、誰も見つけていない答えを探す。

 

つまり、

 

  • 情報収集力 (Analyze information/data)
  • 問題解決力 (Problem solving)
  • 自己表現力 (Effective communication)
  • 共同作業力 (Collaboration)

 

という、20世紀ではあまり重要視されなかった力を育てるのが、21世紀の教師の仕事である、というのが、これまでに教わったことであり、今日の教員トレーニングでの根底になっています。

 

これらは自発的なモチベーションから生まれるものであり、親に与えられた生活の中や、先生に決められた勉強だけでは、育つ力ではありません。言ってみれば、これらは総合的な「人間力」であり、学力偏重主義だった20世紀の教育思想のままでは、あっという間に世界から置いてきぼりを食らうことでしょう。

 

私は正直に言って、この時代に教師になることが、「面白い!」と思っています。

数学だけできるようになれば良い、というのではなく、学校を卒業した後に、自分の足で立って歩くということに貢献できる気がするからです。

自分の教え子が、数学を心から好きになって、大学で数学を専攻するというケースはそれほど多くはないだろうけれど(もちろんそれはそれで嬉しいのだけれど)、それ以上に、私の授業から得られたものがあり、「自分はこの社会で勝負できる!」という自信を学生たちの中に芽生えさせられたら、それってとてもエキサイティングだな、と思うのです。

 

そういう意味で、この21世紀に教師になる私たちの使命は、単純な科目ごとの学力アップではなく、そのもっと向こう側にあるものを、子供達の視野に入れてあげること。

この複雑な社会で、自分はできる!という自信をつけてあげること。

自分を信じる方法を教えてあげること。

 

そういうことを教えてあげられるなら、この仕事はきっともっと深みのある、意味のある、そしてワクワクする仕事になるんだろうな、という予感がしています。

 

・・・と、襟を正したところで、今年一年の振り返りでした。

 

脱サラからのセカンドキャリア教師への道のり、ちょっと歩き出したところで、2017年を締めたいと思います。

 

一月からはいよいよ教育実習が始まり、年末には教員免許試験です。

あっという間の学生生活ですが、気合を入れ直してまた頑張りたいと思います。

 

今年もご愛読ありがとうございました。

みなさんにとって、2018年が実りある一年になることを祈りながら、年末年始のご挨拶と代えさせていただきます。

 

えりな

 

 

 

 

“脱サラ母の数学教師への道 (9) 21世紀の教師達が想うこと” への2件の返信

  1. えりなさん、遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

    お正月で気持ちが緩んでいたところ、ブログを拝読させて頂いて、またやる気が湧いてきました。

    今、息子たちはアメリカの小学校に通っていますが、ESL中心で本流の授業にはオマケ状態での参加です。(まだ来て一年目なので仕方ないのですが…。)この時、に、ここ、にいるという事を大事にして、次学年は他の子どもたちともっとcollborationできるように少しずつ親子ともに成長していけるとよいなと思います。

    今年も素晴らしい一年を。

  2. yyさん、こんにちは。
    今年もよろしくお願いします。

    そうですね、焦らず、目の前にあることを一つ一つやる時期ってありますよね。
    私も渡米して最初の数年は、そういうことに気づかされた時期で、ふと気づいたらきちんと形に残るものが出来上がっていました。
    特にアメリカってそういうことを意識させてくれるチャンスが多いんじゃないかなと思います。
    今年も焦らず、じっくりやりましょう。

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