叔父の死に思うこと

こんにちは、Erinaです。

 

先日、日本に住む叔父の一人が亡くなりました。

 

この叔父は、家族の中でもちょっと変わり者扱いされていて、やはり大人の社会では色々とあったようです。

どの家族にもそういうメンバーっていますが、英語では “black sheep” と呼ばれます。

 

“He is a black sheep of the family.” と言われると、「彼は家族の変わり者です。」という感じ。

 

そんな叔父でしたが、私が子供の頃はけっこう面白くて好きでした。

若い頃に自衛隊に入った彼が、アメリカのミリタリーの話なんかをしては、へぇ〜という気持ちで聞いていました。

どんな話だったかはすでに全く覚えていないけれど、インターネットもない時代、外国とは全く縁のなかったうちの家系に、アメリカという空気が吹き込んだのは、それがきっかけだったかもしれません。

 

その叔父が、先月、自分の部屋で亡くなっているのを別の叔父が見つけました。

もともとお酒をものすごく飲んでいたので、病気になるだろうなとは思っていたけれど、やはり病死でした。

離婚した奥さんや今では20代になっているであろう子供たちと一緒に暮らすこともなく、一人でひっそりと人生を終えました。

 

私はまた、彼の死に思うことがあったので、書いておこうと思います。

 

 

「生きるとは、死ぬための準備である」

 

そう言われることがよくあります。

 

昔の私は、これを聞くたびに、「なんて嫌な言葉なんだろう」と思っていました。

しかし、この言葉の本当の意味を理解した時、そうだよなぁ、だからしっかりと生きなければ、と思うことがあったのです。

 

しばらく前、我が家はサンディエゴダウンタウンの向かいにある、コロナドに住んでいたことがあって、あの橋を毎日使っていました。

観光名所にもなっているコロナドブリッジは、毎年、自殺者を数人出すことでも知られています。

 

ある日の午後、それほど混んではいないコロナドブリッジのてっぺんに近づいていくと、周りの車のスピードが落ち始めました。

その先には、一台の車がいちばん右車線に停められていて、女性が一人、橋から上半身を乗り出すようにして風景を見ていたのです。この橋には歩道もなく、緊急時以外は一旦停止が禁止されていますから、「なんかあるな」と一瞬で感じとれます。

 

ぱっと見30代くらいの女性は、黒いロングヘアーで、アジア系にも見えました。

 

私は、周りの車と同様に、そのまま通り過ぎたわけですが、橋も終わりに近づくと、「まさか、飛び降りようとしてたんじゃ・・・」とハッと気がついたわけです。

 

結論から言うと、その女性は飛び降りはしませんでした。(ニュースより)

 

ただ、あの出来事がきっかけで、「死」というのはものすごく身近にあるものだ、と知ったのです。

もちろん、その女性は私にとっては他人で、結局、どこの誰かもわかりません。

でもあの一瞬、横切った時に見た彼女の横顔は、本当にいつでもどこでも通り過ぎる普通の横顔で、死に迫った「苦しみ」というのが全くなかった。だからこそ、元気に見える人でも、実際はどんなことで悩んだり、命の終わりを考えているなんて、外からはわからない。

 

そう思った時、自分自身にも、いつ「死」というものがやってくるかわからないし、そのために、毎日を一生懸命に生きること、子供たちをしっかりと育てること、死んだ後に彼らが苦労しない生き方を教えること、それらが「死ぬための準備」なんじゃないかなと思ったのです。

 

たとえば、当時、銀行で働いていた私は、お金が原因で人間関係が修復不可能になった例を散々見ていました。(超非現実的だけど)私にものすごい遺産があったとして、そのお金の教育をきちんとしていなければ、遺産が原因で、子供同士の関係が修復不可能なものになってしまったら?

または、毎日を幸せに暮らしていなかった結果、「マミーは寂しい人間だったよね」という記憶しか残せなかったら?

 

人が死んだ時、残るものはお金でも家でも車でもない。”Legacy”という形のない、功績を含んだ記憶しか残せない。

 

「幸せな母親だった」とか、「面白い人だった」とか、どうせならハッピーな記憶を残していなくなりたい。

 

そう思った時、その努力は、今日、スタートするべきだと感じたのです。

なぜなら、今日ハッピーじゃなければ、同じような明日にハッピーになれるはずがないのだから。

 

私が銀行員を辞めて、教師を目指したのもそういう気づきがあったからで、やっぱり物質的なものより、人の心や体の一部になって残っていきたいと思ったから。

何かものを買って与えるより、「数学ができるようになった」と実感できる瞬間を、子供達に与えたい。生徒が私の名前も顔も思い出せなくなったとしても、「自分にはできる!」というあの快感というのは、人間の記憶にずっと残っていくと私は知っています。

 

今回、しばらく会っていなかった叔父の訃報を聞いて、「人生」という与えられた機会をどうやって使うか、をまた再び考えさせられたわけです。

 

私は周りの人がどんな人生を選ぼうと批判も意見もしないけれど、自分のものだけは選ぶ権利がある。

色々な使い方がある中で、私自身が納得する人生を選んでいきたいと思います。

 

合掌

 

 

 

 

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