高校生の進路決定に必要なものが、必ずしも教室にあるとは限らない

こんにちは、Erinaです。

 

 

ちょっと前の記事、

 

「子供の成長にとって必要なものが、必ずしも教室にあるとは限らない」

 

では、子どもの成長と、教室で得られるものと得られないものについて書いてみました。

今日はもう少し上の年齢の、高校生と進路決定について書いてみたいと思います。

 

 

アメリカでは卒業シーズン真っ盛り。

5月に各地の大学で卒業式が終われば、6月には小中高で卒業式や進級式 (Promotion) が行われます。

 

うちの近所に住むライアン(17歳)も高校卒業だそうで、大学はどうするの?と聞いてみると、近所のコミカレに行くのだとか。

 

彼は数学もできるし、小学生の妹2人の面倒もよく見て、週末は近所のグロサリーストアで袋詰めのバイトをする、とても真面目で優しい青年です。スポーツも野球・バスケ・アメフトと、かなり器用になんでもやります。

 

なので、「やりたいことが決まっていないから、コミカレで勉強してみる」と聞いた時、そうか、そうだよなぁ・・・と複雑な気持ちになったのでした。

 

誤解しないで欲しいのですが、このブログでも多々、書いているように、私はコミカレを素晴らしい場所だと思っているし、ライアンみたいに学校の勉強に偏らず、人間としてバランスのとれた若者がコミカレに行く、というのはとても良い決断だと思うのです。

私は彼がコミカレに行って、もしパートタイム学生で仕事をしながら学位を取ったとしても、とても地に足のついた社会人になると思うし、そういうステップが長い目で見た時に、とても豊かな経験をさせてくれると知っています。

 

ただやはり、学校の勉強だけでは、高校を卒業した時に、「将来はこれをやりたい」という見通しを立てることはいかに難しいか、ということ。

 

現在の高校生にとっては、この世界は国語・数学・理科・社会・それ以外(アートとか音楽とか)の5つにしか分かれていなくて、そのドアの中から1つ選ばなくてはならないと思っている。

実際は、その5つのドアの向こう側には、道はもっともっと細かく分かれていて、複雑に絡み合っているということを知らないのです。

 

だから、この5つの中から、「これだ!」というのを見つけられなかった場合、「数学がダメだから、社会・・・」とか、「読むのが嫌いだから理系・・・」という消去法的な進路決定になってしまう。

 

いや、もっともっとチョイスはあるからね!!

 

と、言いたい。

 

この世の中には、国数理社ではくくれない仕事がたーっくさんあって、むしろどれも使うし、どれも使わない、というとっても矛盾したグレーゾーンの現実社会なんだよ、ということを教えたい。

 

だけど、学校で世界を科目別に捉えていたら、高校卒業時に、「え?何やれば良いの?」となってしまうのは当然。なぜなら、世の中にどんな仕事があって、そのためには何を勉強したら良いか、という逆算をしたことがないからです。

 

私は「大学教育は逆算で決めるべき」と思っているので、大学がゴールじゃなくて、その向こう側にあるものがゴールだと考えています。つまり仕事です。大学教育は、それにたどり着くための手段でしかありません。

だから、ゴールがなかったら、どんな手段を選べば良いかわからないのは当然。

 

私自身、ラッキーだったなと思うのは、小さい頃から「なりたいもの」がたくさんあったこと。

 

小学生の時は「建築家」

中学生の時は「テレビ番組制作」

高校生の時は「青年海外協力隊」

 

などなど(ツッコミどころ満載ですが)、なんとなく「こういうことやりたいな〜」というぼやっとしたイメージが頭の中にあって、そのためにどんなことを勉強したら良いのか、という想像がついたわけです。

 

そしてこれらはあくまで「最終目標」であり、どんな大学や大学院に行こうと、そこにどんなハードルが待ち受けていようと、どれくらい時間がかかろうと、進み続けた人が勝つレースなのです。

時間の勝負ではないし、速いから良いというものでもありません。

だって、一人ひとりゴールが違うんだから、比べられませんよ。

 

私の場合、青年海外協力隊という目標の後に、実際の進路がどうなったかと言うと、

 

大学入学→生物学専攻

大学2年→数学専攻

大学卒業→データアナリスト

26歳→育児休暇

28歳→不動産アナリスト

35歳→高校数学教員見習い(今ココ)

 

という経歴になりました。

そして実際は、これらの合間にインターンをやったり、出産したり、ブログを始めたり、日系コミュニティと関わったり、人生は直線的になんて進まないわけです。

 

これを見たら、17歳なんて、まだまだ人生始まってもいません。笑

 

特にこの国では、日本のような年齢とか世間体みたいなものを気にしなくて良いのだから、今のうちに色々なことを経験して、失敗して、やっぱりこっちかな?と気づいてみて、それでまた失敗して・・・ということを何度もやるべきです。

失敗した分だけ、自分で何かを作る立場になった時、道具がたくさんあることに気がつきます。

 

そんなわけで、学生時代の自分に伝えたいことをリストアップしてみたので、次の記事「学生時代の自分に伝えたいこと」で書いてみたいと思います。

 

どうでしょうか。

 

“高校生の進路決定に必要なものが、必ずしも教室にあるとは限らない” への2件の返信

  1. Erinaさん、学生の時からきちんとした目標があったんですねー。私なんて、大学まで出してもらったのに部活と遊びに明け暮れて、まともに将来の事考えてませんでした。理系か文系かぐらいで、後はまーなんとかなるかな、と。だから就職も、大学卒業してから決めました(汗)。結果、結構なブラック企業で最初の1-2年は胃潰瘍になりそうなほど苦労しましたが、次に転職した時はちゃんと調べて勉強したので、割とまともな会社に入れて今に至ります。別に数字が好きだったわけでも、金融に興味があったわけでもなく、その時たまたま求人広告を見つけて応募したら受かっただけだったんですけどね。。 アメリカの学生はインターンを通して色々学べる事が出来ていいなと思います。そして、大人になっても学校へ行ったり、職業をがらりと変えても周りが応援してくれる環境もいいなと思います。日本だと、一度枠にはまると、なかなか出るのが難しいですからね。次の記事も楽しみにしてます!

  2. KYさん、こんにちは!
    目標というか・・・何せ飽きっぽいので(笑)、やりたいことがたくさんあっただけですね。
    今でもまだまだsettleするつもりがないので、旦那に「君はいつになったら・・・」みたいなこと言われますが、この自由な社会を満喫しないと!笑

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