日本語を話せなくても感じとれるもの
こんにちは、Erinaです。
今年の夏、長男は赤ちゃんの時以来、長女は初めての日本旅行をしました。
私にとっては10年ぶりの日本里帰りで気づいたこと、他の記事はこのリンクで読めます。
今日は、日本語を話さないうちの子ども達が、初めて(と言っていい)日本旅行を体験し、それを横で見ていて感じたことを書いてみたいと思います。
また、サンディエゴに戻ってきて、「おー、日本旅行の成果かな」と感じたことも書いておきたいと思います。
この記事でも書いたように、うちの子ども達には日本語を教えずに育ててきました。
私は、「日本語は、自分で興味があったらやれば良いし、いつでも教えてあげる」というスタンスなので、こちらから子ども達に日本語教育を強制したことはありません。
今回の旅行前に、日本旅行2回の先輩(笑)であるうちの旦那が、「お腹すいたって日本語で言える?」とか、「トイレはどこですか?って聞ける?」なんて言ってたけど(アンタはどうなんだ?とツッコミたかったけど)、まぁ準備としてはそんなレベル。
(ちなみに息子曰く、「日本では、トイレのサインがどこにでもあるから、聞けなくても大丈夫だった」とのこと。まぁ、そんなもんだ笑)
なので今回の旅行では、日本語とかそういうものではなく、彼らが何をどう受け取るのかにとても興味があったし、少なからず感じたであろう疎外感をどうやってプロセスするのかを観察しました。
結論から言うと、この旅行は素晴らしいものになりました。
子ども達も、「楽しかった!また行きたい!」という感想だったし、言葉がほぼゼロでも感じとれたものがたくさんあったようです。
今回は札幌の実家に2週間滞在し、その周りで行ける場所をめぐったり、普段の生活を見る旅行だったので、観光や移動に時間をかけることは、それほどしませんでした。
それは日本という外国の社会のルールや人々を学ぶことが目的であり、自分が育った場所(サンディエゴ)とは異なる場所があり、異なる人がいる、ということを認識して欲しかったからです。
うちの実家はマンション(と言うとあれなので、英語のコンド)の6階で、足音を立てないように歩くとか、廊下で大きな声で話さないとか、まぁそういう暗黙の了解がありますよね。電車の中では足を下ろして座るとか、列に並んで待つとか、先に降りる人を優先するとか、そういう日本では当たり前のルールを、8歳と10歳になって初めて経験したわけです。
これは日本とアメリカのどちらが正しいということではなく、「自分のやり方とは異なる」という極めて当たり前の事実を受け入れる練習で、一見、シンプルに聞こえますが、やってみるとやはり人間としてかなり高度な技になります。(特に歳をとればとるほどこのハードルは上がる・・・)
注:
日本語の「違う」には、英語の “wrong”と”different” の2つの意味があります。でも、”wrong”と”different”は、本来、全く別々の意味です。 「異なる」にすると “different” だけになるので、この表現のほうが好きです。 |
私が19歳で渡米して、「日本とは異なるやり方」のシャワーを浴びた時に感じたあの感覚は、やはり本やブログからは得られないものだったし、アメリカ在住17年になった今も、「あー、そうだったよね。いけない、いけない」とリマインドされることがたまにあります。もう人生ってそれの繰り返しです。
だから、うちの子ども達には、「サンディエゴ(アメリカ)での自分たちのやり方が全世界共通」と思い込んだ大人になってほしくなかったし、そういう意味で、良いタイミングでの日本旅行だったな、と思うのです。
まぁ、当の本人達はそこまで真剣に考えて、「日本が楽しかった」と言っているわけではないと思うけど、きっといつの日か、「あ、そう言えば、初めて日本に行った時に感じたあの感覚は、これだな」と回想する瞬間は必ずやってくるだろうし、それが彼らの社会人としての生活に役立てば良いかな、と思っているわけです。
そしてそれはすでに、サンディエゴに戻ってきてからの会話の端々に見えるようになりました。
例えば、西日本の大雨と洪水の被害をきっかけに、天気の話をしていたところ、息子がこんな質問をしました。
「じゃあマミーは、サンディエゴに来て天気で驚いたことってある?」
これはやはり、日本で降り止まない雨とその中での生活というものを体験したからこそ出た質問でした。
つまり、
「日本は雨がたくさん降る」 ↓ 「サンディエゴとは全く異なる天気の中で生活する人がいる」 |
という解釈は自動的に起こるものではなく、こうやって身をもって体験したからこそできる解釈だからです。
私はこの質問を聞いた時、彼は人間として一段深いステップに物事を掘り下げられるようになったなと思ったし、こうやって私たち人間は、「相手の立場になる」というスキルを磨いていくのだ、と目撃したわけです。
また、ここサンディエゴの日本人コミュニティと関わることについて、娘とこんな会話がありました。数年前に、Japanese Family Support Center (JFSC) として、サンディエゴに住む日本人の交流の場を作る目的について、こんなふうに始まりました。
私:「例えば、私たち家族が何かの理由で日本に引っ越したとするでしょう?そしたら、あなたが体験したように、周りに英語を話す子どももいない。学校でも何をやっているかわからない。どんな気持ちになると思う?」
娘:「寂しいし、怖いと思う。」
私:「そうだよね。じゃあ、あなたよりちょっと前に、アメリカから日本にやってきた子がいたとしたら、その子と友達になったり、日本のことを教えてもらいたいと思わない?」
娘:「うん、思うね。」
私:「JFSCでママ達がやろうとしてたのは、そういうことだったのよ。わかる?」
娘:「マミー、それ、すっごく大事じゃん!」
私:「だよねー。(笑)」
というものでした。
私としては、「あー、やっとわかってもらえた!」という安心感と、最初の一歩としては上出来だったな、という満足感でいっぱいです。
これをきっかけに、また日本に行きたいと思うのか、そうでもないと思うのか、いやはや、大学は日本に行きたい!なんて思うのか、それはもう彼ら次第。もしかしたら、これをきっかけにしてイタリアを選ぶかもしれないし(笑)、行き先は必ずしも日本じゃなくても良いわけで。
最初のドアは開けてあげたけど、そこからどんな地図を選んで、どんなルートで進むのか、それはもう完全に彼ら次第なのです。
それは私自身が、自分で選んだ道を歩む自由を与えられた経験からやってきていて、誰のものでもない、自分の人生を自分で選ぶ、という知恵と強さを身につけてほしい。それが私たち夫婦の親としての願いであり、有名大学を卒業するとか、一流企業に就職するとか、いくつで結婚するとか、そんなのは地図上の観光案内でしかないと思っています。
今回の旅行で、ひと回りもふた回りも成長したうちの子どもたちです。
どうでしょうか。
「次(の日本旅行)は10年も待たないよね?」と息子に釘をさされたので、貯金せねば・・・。