映画 “Hidden Figures”

こんにちは、Erinaです。

 

今年の夏は、久しぶりに映画を数本見ました。

きっかけは日本行きの飛行機に久しぶりに乗ったことで、邪魔されることなく一本の映画を見切る、というのがどんな感じだったか思い出しました。笑

 

今日は、アメリカに戻ってきてから、図書館で借りてきた作品について紹介したいと思います。

 

“Hidden Figures”は、1960年代のアメリカで、ジョン F. ケネディ大統領のもとに、NASAが有人飛行ロケットを飛ばす時のストーリー。

 

 

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当時の有人飛行プロジェクトには、黒人女性の数学家たちが数多く関わっていたのだけれど、それがアメリカ史の前面に出てくることはありませんでした。

 

彼女達は、隠された(hidden) 人物像 (figures) だったわけです。

そして同時に、”figure” には数学的な意味もあり、「(数字の)桁」という意味も持ちます。

 

つまり、この映画のタイトルの”Hidden Figures”には、そういう二つの隠された意味合いもあったのですが、残念ながら、邦題では「ドリーム」というシンプルなものになったようです。

まぁこれを和訳するのは難しかったか、配給会社がそこまで突っ込めなかったんでしょう。もうちょっと頑張ってほしいところですが。

 

そんなわけで、オリジナルのタイトルからしてセンスの良さを感じていた作品ですが、やはり見終わってみると気持ちが良くなる作品で、「これは映画館で見たら、みんな最後に拍手するやつだね!」と旦那と同意。アメリカ映画にある、気持ち良さはわかりやすくて好きだ。

 

細かいストーリーはここでは書きませんが、中心となるのは、黒人女性、それも全員がワーキングマザーの数学家3人。

 

キャサリンは3人娘の母。

ドロシーは2人の息子の母。

メアリーは娘1人と息子1人の母。

 

当時のアメリカは市民権運動の真っ只中で、人種差別が強くあるヴァージニア州のNASAで3人はエンジニアとして働き始めます。

 

それぞれ別の部署に配属され、それぞれの苦難を乗り越えながら、

 

キャサリンはロケット落下地点を計算するNASAのメイン部署でなくてはならない存在になり

ドロシーは新しく導入されたIBMのコンピューターを唯一理解できるマネジャーになり

メアリーは白人しか通うことができなかった学校で物理の授業をとる

 

というアメリカ史において、とても重要な役割を果たしていきます。

 

 

この映画の中で、個人的に好きだった部分は2つ。

 

1つめは、キャサリンのボスであるケビン・コスナーが、別の白人男性部下に言った言葉。

 

“Your job is to find the genius of the geniuses.”

 

これはやはり当時、人種差別や男女差別が強かった時代に、黒人女性であるキャサリンが白人男性ばかりの部署にやってきたことで、仕事がスムーズに進まなかったことへの苦言。

 

「君の仕事は、天才達の中から、真の天才を見つけることだ。」

 

つまり、人種とか性別とかにこだわっているようでは、本物の才能を見つけることはできない。自分たちの本来のミッションは、スペースシャトルを飛ばすことであり、そういう外見的な要素で目隠しされている場合じゃない。

 

という意味ですね。

 

ケビン・コスナーは、キャサリン達が別棟(職場とは離れている)の黒人専用トイレを使わなければいけないことを知ると、スレッジハンマーでその看板を壊したりするという破天荒な部分も見せました。

 

これを見たとき、私たちがNASAという場所に憧れるのは、単純に宇宙という未知への憧れだけではなく、こういう隔たりのない情熱や才能をきちんと認める場所だからなのかも、という気がしました。NASAにはそういう人が集まるのか、そういう人が集まるからそんな環境ができるのかはわかりませんが、ポジティブな環境づくりという意味で、とても良いモデルになりそうです。

 

 

2つめは、もうちょっと数学的な部分。

 

これまでの軌道予測モデルでは、問題が解決できなかったところ、キャサリンがオイラーの公式を使えば良いんじゃないか?と発見したシーン。

 

これは、昨今話題になっている、「AIに仕事を奪われる可能性」を表現している部分で、キャサリンの気づき(あ、ここはオイラーを使うんだわ!)というのは、やはり人間にしかできない仕事(=思考)の部分です。

 

AIという言葉を頻繁に聞くようになり、人間の仕事を奪うことになる・・・というのは感覚でわかっていても、じゃあ、人間とAIの違いって何?というのを具体的に説明できる人はかなり少ない。なぜなら、「AIができること」と「AIにはできないこと」の区別がつかないからです。

 

しかし、コンピューターサイエンスやアルゴリズムというものを勉強すると、そこにどんなロジックが埋め込まれているか、どこからは人間の手が必要になるか、というのがわかります。AI・ロボット・コンピューターができるのは、その人間による思考を使って実際に計算する部分であり、人間とAIの差というものをわかりやすく表現したシーンがここでした。

 

一旦、キャサリンが、「ここはオイラーを使うんだわ」と発見すると、実際の計算は、新しく導入されたIBMのコンピューターが使われることになりました。

これまでキャサリンが手でゴリゴリと計算してきた仕事は、結果として、コンピューターに奪われることになったわけです。

 

つまり、

オイラーの公式を使うという発見(人間にしかできない部分)

オイラーの公式を使った計算(AIにもできる部分)

 

という仕事の流れになるわけです。

 

この人間 vs AIという葛藤は、この時代からすでに始まっていて、物事がスピーディになる一方で、人間の仕事が奪われる危険性は常に視野に入っていたわけですね。

 

 

そんなわけで、久しぶりにきちんと見た映画がこの作品だったわけですが、やはり私がアメリカという国を選んだ理由はここにあるよな〜という要素が満載だったわけで、こうやって過去のマイノリティの功績を無視せずに作品にしたところは素晴らしいと思います。(もちろん、当時、きちんと認識されればベストだったとは思いますが・・・)

 

時間がかかっても小さいことでも、少しずつ前進していきたいと思いますね。

 

どうでしょうか。

 

 

 

 

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