子どもと性犯罪について話し合うために

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こんにちは、Erinaです。

 

性犯罪について書いてみます。

 

今週の火曜日、大学での授業が夜6時半に終わった後、奨学金オフィスに書類をドロップオフするためにStudent Service(学生課)の建物に立ち寄りました。

学生課のオフィスのほとんどは3時とか4時に閉まってしまうので、書類は建物3階のパティオにあるドロップボックス(郵便受け)に入れなくてはなりませんでした。

学生課が入っている建物には教室はほとんどなく、この時間はオフィスで働いている人もみんな帰ってしまっているので、屋外とは違ってがらんとしていて静かです。しかも廊下が入り組んでいるので、かなりわかりにくい。

二重になっているドアを押して廊下に入ると、トイレに行きたくなった私は、一瞬、躊躇しました。

「ここのトイレ、周りに誰もいないんだよな」

 

二重のドアから入って20メートルくらい先にトイレがあるのですが、その周りには誰もいません。

 

「ちょっと気持ち悪いけど、まぁぱっと終わらせよう。」

 

そう思って用を足した私は、こう思いました。

 

「今、男が押し入ってきて、無理やりおさえられたら、誰も気づかないだろう」

 

と。

 

大声を出してもたぶん誰にも届かず、自分で何とかして出てこない限り、明日の朝まで発見されないかもしれない。

 

大学キャンパス内での性犯罪というのは、どの学校でも頻発していて、毎年、その予防や対応について学生たちは知らされています。

今回、夜の授業を取ることになって、旦那からかなり釘を刺されていた私は、ペッパースプレーも車に常備してあるし、アラームも持ち歩くようになりました。

 

結局、無事にトイレから出てきた私は、「やっぱりこのトイレはこの時間に使わないようにしよう」と決めたし、そして将来的に持つであろう、自分の子どもたちとの会話について考えることになりました。

 

 

娘:

やはり女の子に性犯罪について教える日はやってきます。

特にアメリカでは、性教育はかなりオープンな印象だし、「自分の身は自分で守る」という意識は日本に比べてだいぶ強いと感じます。

 

私は母一人子一人のシングルマザー家庭で育てられたので、「女として自分の身を守る」ということについて、かなり母から教育されたと感じています。具体的に言うと、夜道の歩き方とか、どんなことに注意を払うべきかとか、家の中の整理の仕方などです。

アメリカで女の子を育てる上で、環境や条件は違うにしろ、やはり「注意の払い方」というのは共通していると思うし、娘にも身に着けてもらいたいなと思うところです。(女性の護身術リストについてはこの記事でも書きました

たとえば、先日の大学でのトイレの経験も、「こういう状況はリスクがあるんだな」と教育されていなければ、何も感じずにのほほーんとトイレに入るわけで(ここで段階①)、もし何かあった時にも、体がとっさに反応できるかどうか(ここで段階②)に違いが出てくるでしょう。

女子として、段階①を引き起こさないことが何よりだけれど、もしやんごとなき理由で段階①に入ってしまったら、段階②が起こった時にどう対応するべきかを瞬間的に考える、という癖をつけて欲しい。

 

残念ながら、肉体的に考えたとき、女性というのは一般的に男性に劣るわけで、その事実を自覚しながら生活できるかどうか、というのはやはり女性として自分の安全に強く関連してきます。

こういう話をすると、「怖がらせている」と思う人もいるかもしれないけれど、怖がらせることと、教育することは別です。

教育は、「こういうリスクがあるから、こうやって防ごうね」という対処法まで含まれているわけで、そうすることでリスクを激減させられるなら、やはり私は自分の娘とこういう会話を持つでしょう。彼女が傷つくことと引き換えにできるなら。

 

息子:

じゃあ男の子は何も知らなくてぼんやり成長すれば良いのか、と言われるとそうではありません。

私は息子と娘の母として、2人に平等に性犯罪について伝えたいことがあります。

置かれる立場が違うからこそ、知っているべきことがあるからです。

 

男子は、女子が「自分は男に力で負ける」と自覚しながら生きている、という事実を知っているべきです。

 

なぜなら、自分には、人口の半分が持っていないものを持っている、という自覚をするべきだから。

 

たとえば、超能力系の映画などを思い出してください。

自分が超能力を持っていると気づいた主人公はみんな、喜んでいたでしょうか?

その力を持ってしまったことで、苦悩するというストーリーもありました(思い出せないけど、スパイダーマンだったかな)。

自分が望んでいない力(それも相手が持っていないもの)を備えてしまった場合、それを使って他人をむやみに傷つけないためには、それなりのコントロールや鍛錬が必要です。

 

それと同じで、思春期に入って肉体的に強くなってしまった男子は、やはりそれをコントロールすることを覚えなければならないし、それが他者への配慮というのなら、親として当然のしつけなのでは?と思うのです。

 

それはやはり「誤解されるような行動をとらない」ということにもつながるし、

 

“Act like a gentleman.”

 

という男子のための教訓は、そういう本当の意味もあるんじゃないかな?と思うのです。

好きな女の子に花束を買うとか、ドアを開けてあげるとかそういうことではなく、自分自身の持っているものと、弱者の持っていないものを自覚して、コントロールできること。それがジェントルマンだと思うのです。

 

大学で見る学生たちや、実習先での高校生を見ていると、若くてエネルギーがある反面、危なっかしいところもよく見えてきます。

これは教師としてというより、やはり母親の立場から、若い子たちが傷つけたり傷つけられたりする姿は見たくないし、そういうものをなるべく避けて大人になって欲しいなと思うのです。

 

どうでしょうか。

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

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