「あなたの英語がわからない」
こんにちは、Erinaです。
やっと教員免許試験が終わりました。
結果が出る12月末までは、教育実習と仕事探しに集中しているところです。
さて、先日のアメリカ中間選挙。
選挙結果も興味深かったのですが、話題になっているのはやはり直後の記者会見での出来事。
日本人記者とトランプ大統領のやりとりの中にあった、大統領のある発言です。
日本人記者に質問の順番が回ってきたので質問をしたところ、トランプ大統領が、「あなたの英語がわからない。 (I don’t really understand your English.)」と言った、という場面です。
トランプ大統領のこの発言は、公の場でふさわしくない、外国人に対して不寛容で無礼である、人種差別だ、という意見がネットには溢れ、やはり彼の大統領としての不適合性が浮き彫りになっています。
私もこれには同意せざるをえないし、アメリカのリーダーがこのような対応を見せるというのは、これ以上にアメリカ国内で外国人への不寛容を増長させる危険性があると思います。
そんなわけで、トランプ批判はインターネット上で溢れているので、今日は別視点で書いてみたいと思います。
「あなたの英語がわからない」
と言われるのは、アメリカで生活しているとそれほど珍しいことではありません。
最近ではほとんどなくなったけれども、私もアメリカにやってきてすぐの頃はちょくちょく言われていたし、そのたびにへこんでいました。
つまりこれは、「洗礼」なのです。
携帯電話を買いにいく、カスタマーサービスに電話をする、ターゲットで返品する・・・等々、相手の言い方や温度にバラエティはあれども、「自分の英語は十分じゃない」と自覚させられる瞬間はアメリカ生活においては絶対に起こります。
これはやはり、日本人が、日本で、日本語で生活していた時には経験できなかったことであり、「外にでる」という選択肢に必ずついてくる苦い経験と言えます。
そこで「英語が怖い」と思って他人とのコミュニケーションを減らしていくか、「悔しい」と思って努力するのかは個人によるところであり、私は後者だったわけです。
悔しくて眠れないこともあったし、悲しくて涙が止まらないこともあった。
これは自分で決めたことだと頭ではわかっていても、どうして私がこんな思いをしなくてはならないのか?とその不合理さを責めたこともありました。
だけど、そのせいで「日本に帰りたい」と思ったことはありませんでした。
私はその悔しさをバネにして、もっと英語がうまくなってやる!と思ったし、自分の英語に関して誰にも文句を言わせない、英語をディスアドバンテージになんてさせない、と思いながら、発音練習もしたし(渡米16年の今でもしています)、私の英語力はまだまだだと思いながら勉強し続けています。
ネイティブジャパニーズの私が、アメリカの高校で数学を教えると決めた時、やはり「英語」がハードルになるかもという思いは常に頭にあったし、事実、私の発音を生徒に直されたり、笑われることもたまにあります。
だけど、「そんなことに負けちゃいられない」のです。
本当にやりたいことがあるなら、周りを変えるのではなく、自分が変わるしかない。
そのためには努力するしかない。
そこには裏ワザも、秘密の近道も、何もありません。
相手を批判するのも簡単だし、もう嫌だとあきらめるのも簡単。
それで満足できるなら、そこまでで良いと思う。
私は今、自分の英語力が日本人としてどれくらいあるのかわかりませんし、興味もありません。
「あなたの英語、きれいだね」と言われることがあっても、その人がどんな英語を聞いてきたのかはわからないし、発音の良さを測ることほど無意味でバカバカしいことはないからです。
同時に、私がこれからどれだけ努力しようとも、自分で完璧と思える英語にはならないことはわかっているし、それならやはり内容で勝負できるとか、「この人、外国人だけどスマートだな」と思ってもらえるような訓練はできるのだから、そこにフォーカスするべき。
話はちょっとずれますが、私は今回の日本人記者とトランプ大統領のやりとりを、「自動車事故」に例えるようにしています。
「自動車事故」というのは一人では起こせないもので、運転技術の低い人、または他人のことを気にしない人が、二人以上いた時に起こります。
というのも、運転技術の低い人(つまり運転が下手な人)や、他人のことを気にしない人(つまりは “Jerk”)が一人だけ道路上にいたとしても、周りがそれに気をつけて事故が起こるのを避けているからです。
だけど、たまたまそのような種類の運転手が二人以上、同じ場所で同じ時間にいると、「自動車事故」が起こりうる。
なので今回の記者会見のようなことも、日本のマスコミの力量と、トランプ大統領の人間性を知っていたら、「起こるのは時間の問題」だと私は常々思っていたし、これをきっかけに、日本のマスコミ(に限らず日系企業)は世界に出て行くということに関して考えて欲しい。
なぜなら、相手がみんな外国人に寛容で、礼儀正しくて、忍耐強いということはないのだから。
トランプ大統領を擁護する気はさらさらありませんが、自分を守るという意味で、英語の勉強は自分から始められるものであり、相手の文化や、国際社会に出て行く上での勉強というのもやはり必須。
(そもそもあの質問内容は、前日にアメリカで何が起こったかを知っていたら、出てくる質問じゃなかったはず)
相手は変えられないけど、自分は変えられる。
教職課程中、ものすごく嫌なことが起こった時に、私のメンター教師に言われた言葉。
“What happened to you doesn’t define who you are. What you do NEXT defines who you are.”
(あなたに起こった出来事で、あなたは決まらない。あなたが次に何をするかで、あなたが決まる。)
どうでしょうか。
ちょっと精神論ぽい記事になっちゃったので、次回はもうちょっと理論的なものを書きます。笑