かけ算の順序について、アメリカで考える

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こんにちは、Erinaです。

 

日本の算数教育はたびたびニュースを賑わせているようで、この記事で書いた小数計算に続き、今回はかけ算の順序についてです。

 

私は日本で小学2年生の時にかけ算を習いましたが、そこで、かけ算は

 

「かけられる数×かける数」

 

と教わりました。

 

この概念は、文章問題で「よしこさんはクッキーが5個入った箱を7箱持っています。全部でいくつクッキーがありますか?」という段階になるまで使われません。

つまり、九九をやっているうちは、「ごしち」だろうと「しちご」だろうと、答えは35で同じなわけです。

 

5×7と7×5が等しいというのは、乗法の交換法則と呼ばれ、つまり

5×7=7×5

と書けます。

 

これはアメリカの小学校ではかけ算の学習段階で教わり、英語で “Commutative property of multiplication” と呼ばれているものです。

うちの子供達もかけ算を覚えてくるのと同時に、この数学的概念を教わってきましたから、5×7=7×5 だと考えるわけです。

つまり、かけ算の順序についてはどっちでも良いと考えているわけですから、日本のかけ算の問題を解いたら、50%の確率で間違えるでしょう。

 

英語ではかけ算の中の二つの数には、日本語のような「かける数」とか「かけられる数」という名前がついておらず、両方とも”factors”と呼ばれ、差異はありません。つまり、この二つを別々のものと捉えるのは、日本の算数教育というより、「日本語」に原因があります。

 

言語には「シンタックス」というものがあり、それは何かと言うと、文法とか時制とか「言葉のルール」です。

 

数学にもこのシンタックスがありますが、例えば「xは5より大きな数」と言った時、「x>5」と書きますが、これはxと>と5 の3つの記号をこの順番で書かなければなりませんよ、というシンタックスがあります。このルールに従わなければ、「>x5」とか「5x>」とか意味不明なテキスト(式)になってしまうわけです。

 

かけ算を数学的なシンタックスで考えると、5×7も7×5も正解になります。

 

だけど、日本語的なシンタックスで考えると、これは不正解と考えられています。

これはおそらく帳簿などをつける文化から派生したと私は勝手に推測していますが、そこでは、「5個入りのクッキーの箱7つ」と「7個入りのクッキーの箱5つ」は違うと考えられているからです。

この記事にも書いたように、「包装」というのは日本の文化であり、一単位あたりの数(かけられる数)と単位数(かける数)を別のものと認識するのは、ここらへんから来てるのではないかなと思っていますが、どうなんでしょうか。日本の数学史に詳しい方がいらっしゃったらぜひ教えてください。(読んでないと思うけど笑)

 

なので、もし、この「かける数」と「かけられる数」の概念をきちんとテストしたいなら、答案に「(一箱あたりのクッキーの数)__個」とか「(クッキーの箱)__個」と前もって表記されているべきでしょう。

そうでなければ、これは数学の問題なのか、国語の問題なのか、文化の問題なのかわからないし、子供が困惑するのも当然と言えます。

 

私が思うに、日本の算数・数学教育には得てしてそういう問題が多い。

数学自体の概念ではなく、国語とか社会のルールを(大人は)知らないうちに算数教育に取り込んでいて、「大人にとっては当たり前」を子供に要求しているものが多いです。

はっきり言って、それだと子供は数学嫌いになるのは当たり前。

 

今回の問題も、数学力があったとしても、国語力や文化力がない子は正解をもらえない。もちろん両方あるのが理想だとしても、純粋に「数学」を楽しめる機会が奪われてしまうのは、私としてはやっぱりとても残念だと思うのです。

ここアメリカでは、「これがこの国の文化です!」と一括りにできるものがないので、数学の問題では、生徒たちの「文化力」を試さないように気をつけられています。

 

 

ここで、「先生の言うようにやりなさい」というのはやはり日本独特の「忖度」であり、数学とは全く関係ありません。

数学は「書かれていることだけ」を使うべきですから、そこに書かれていない大人の文化や、先生や文科省の思惑を推し量れというのは、とても非数学的であり、アメリカでは考えられないことです。

 

この記事でも書いたように、日本とアメリカの数学教育にはかなり大きな違いがあります。

これは単元の内容とか問題の形式というものではなく、「数学」という学問に対しての根本的な意識の違いと言えるでしょう。

 

私はアメリカで数学を勉強するようになって初めて、数学というのは哲学の一部であり、考える練習であることを実感しました。

日本での数学の勉強は、頭よりも手を使う時間の方が長かったのですが、アメリカの数学は、手を動かす時間より、一人で「うーん・・・」と考えたり、数人で考えをどんどん出し合う時間の方がずっと長いです。

 

それはやはり、数学というのは、誰かに決められた課題をただこなす時間ではなく、数字という言語を用いた思考の学問であり、そこに子ども自身の「どうして?」という疑問がなければ全く意味のない勉強だからです。

単純に計算問題をこなすだけれあれば、それこそ計算機で事足ります。コンピューターにできないことを教えなければ、人間がコンピューターを超えることは絶対にありません。

 

そして「本来の数学」にはその役割があるはずなのです。

 

どうでしょうか。

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

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