与えることの悦びを、子どもにも教える

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こんにちは、Erinaです。

 

「ギブアンドテイク」

 

なんて言いますが、これは “Giving and taking” で、givingは「与えること」、そしてtakingは「とること」という意味です。

 

ここでの「とる」は「奪う」ほど強くはないけれども、与えるとは反対の行動で「自分のものにする」というニュアンスですね。

 

世の中のほとんどの人間は、「テイク」をベースにしています。

お金持ちになりたい、給料を増やしたい、もっと良い車に乗りたい、おいしいものを食べたい・・・物理的なものに限らず、有名になりたい、癒してほしい、これをしてほしい・・・他人を利用しようとまでは行かなくても、やはりそれは「自分中心」の物事の見方です。

私はこれが悪いとは思いません。もちろん自分がそういう思考の時もありますし(そうじゃないと生きていけない)、ちょっと前までは、やはりテイクの割合がずっと大きかった。

 

しかし、この割合が自分の中で少しシフトしたのと、今回のキャリアチェンジは同時に起こり、ギビングの割合をもうちょっと増やしていきたいな、と思った頃でした。

 

 

アメリカでは、ギビングのマインドセットというのは、日本に比べてだいぶ日常的に目にすることができます。

そこここで、誰かが見知らぬ人に助けの手を差し伸べていたり、お金やものを寄付したり、老若男女を問わずにボランティア活動が組織されていたり、それがとてもカジュアルに、そして頻繁に起こっているのです。

こういう社会に入った時、私は少しずつ他人に与えるということを覚え、与えられるものを蓄積していきました。この作業は思ったよりとても楽しいもので、自分の頑張りや努力が、いつか他人のためになるのかもと思えた時、それは独りよがりの苦労や承認欲求を満たすためのものではなくなったのです。

それと同時に、今までテイク(助けてもらう)ばかりだった外国人留学生の自分が、誰かの役に立てるという事実にもワクワクしたし、それがアメリカ生活での自信にもつながりました。

 

私が前職の銀行員を辞める時、こう考えました。

 

「今のままで行ったら、私が年を取って死んだとき、何人の人が泣くだろうか。」

 

退職金やら残るものはあったとしても、「Erinaはこういう人だったね~」と懐かしんでくれる人はどれくらいいるのだろうか?と思ったのです。今の仕事を続けているうちはそれほど多くない気がする、と思った時、ちょっとそんな人生は寂しいな、と思いました。

 

自分の中に常にあった「なんだか満たされない感」はやはりそこだったのです。

 

そういう悟りというかブレイクスルーがあって以来、自分の中で考え方がシフトしていきました。

お金は必要な分あれば良い、評価はあとからついてくる、まずは自分がpassionate(情熱的)になれるもの、そしてこの社会が必要としていて自分がギブできるものを探す。

そう考えた時、目の前にあったのが「数学」だったのです。

 

そしてこの考えは、自分の子供たちが大きくなるにつれて、彼らにも持ってもらいたいと思ったし、それは「個人としての成功」ではなく、「コミュニティメンバーとしての成功」という見方にシフトしていきました。

立派な学歴や給料があったとしても、コミュニティメンバーとしての自覚や実感が育っていなければ、それらは大きいだけの空っぽな容器です。若いうちはそれで良いけれども、30代、40代となっていくにつれて、やはり人間の真価は、社会への貢献度にあるという考えになってきました。

 

私は、アメリカの学校では、この部分はとても上手に教えてくれているなと感じています。

アメリカの道徳教育は、授業というくくり方ではなく、もっと日常生活に密着したカリキュラムで取り入れられていて、子どもたち自身が、コミュニティの一員であると実感できる機会になっています。

 

例えば、アメリカのほとんどの公立高校では、コミュニティサービスと呼ばれるいわゆるボランティア活動が、高校卒業課程に必須になっていて、州やディストリクトによって異なるものの、年間で数10時間などと決まっています。

つまり公立高校に通う学生たちは、必然的にそういう機会に触れることができるわけです。それも様々なボランティア活動から、自分の好きな分野や種類を選ぶことができて、強制労働というよりは、社会経験をチラッとできる、という機会なんですね。

これをきっかけに、将来の進路決定なんかにもつながっていくだろうし、この記事でも書いたように、やはり若い10代の子どもたちが教室の外で得られるもの、見られるもの、会える人というのはとても貴重なものだし、そういう時間を「公立教育」と捉えるのはやはり素晴らしい考えだな、と思うのです。

 

ちょうどそんなことを考えていた時に、この記事を読みました。

ストレンジャー(赤の他人)を助けるというのは、10代の子どもたちがセルフエスティーム(自己肯定感)を高めるのにとても効果があるということ。友達や家族を助けるのとは異なり、社会との結びつきや自分自身の影響力を実感できるチャンスであり、かつ、それをきっかけに家族とのコミュニケーションも増える、という研究だそうです。

 

うん、そうだよね。

やっぱり自分の成績や大学だけじゃダメなんだよね。

私自身、教室にいる30人の生徒たちを見ていると、「何がこの子の視野に入っているか」が見えるので、彼らがどこに向かっていくかが見えてきます。

単純に自分のことしか見えない子もいれば、もっと視野を広く持っている子もいる。その違いはやはり、ここに来るまでにどれだけの「人生」を経験してきたか、によるところが大きいです。

 

私が今の日本社会を見ていて感じることは、誰もが疲れすぎていて、誰もが他人からテイクせざるを得なくなっているということ。

 

人間だれしも、与えるものがなければ、与えることはできません。空っぽのキャンディの箱から、誰かにキャンディを与えることはできませんから、まずは誰かからテイクせざるをえない。だけど、いつまで経っても箱はいっぱいにならなくて、みんながテイク、テイク、テイク・・・ばかりになる。そんな負のサイクルがずっと続いていて、誰かにギブできる人がどんどん減っている気がします。

 

やはり心に余裕がないと、他人に親切になんてできないのは当たり前なんです。

だから良いんです、社会と時代がそういう時は、仕方ない。

まずは自分の手の届くところだけ、そこだけいっぱいにしておけば、いつかそれは少しずつ増えていって、そこからギブすることを覚えていく。

 

樹木が見えないところで根を生やし、枝を伸ばし、葉を広げるように、そのプロセスはとってもゆっくりゆっくり起こります。

だから、毎日ちょっとずつで良いから、水をあげ続けるように、与え続けましょう。

 

どうでしょうか。

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

One Response to “与えることの悦びを、子どもにも教える”

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    Kazumi

    久々にエリナの記事を読むことができたよ。エリナの意見はとてもハッキリしっかりしていて、たくさんのことがクリアになるから好き。私は感情が人一倍溢れ出る分、多すぎて自分の中でもきちんと言葉にしたり整理がつかなくて、伝えるのに困っちゃう。(これまた長い前置きw)

    今のモモの学校では、financiallyには恵まれた人達が多くてgiveできる子が多いように思ってたんだけど、実は子供達は習い事や塾に追われる毎日だったり、親が重役で、片親が一年の半分以上出張でいませんっていう家庭が多くて、他人どころか、自分の親からもテイクできていない子たちが多いように感じるよ。だから他人を助けるなんて感覚は全然なくて、むしろ愛されたいという感情がモロに態度に溢れ出てて、give me give meな状態。見ていてとても痛々しくなる。

    逆に公立に通っている近所の子たちは、いつも数少ない遊び道具を手一杯に持ち寄って、交換っこしたりしてお互いの遊具でいつも楽しく遊んでるの。喧嘩してる声なんて、一度も聞いたことがない。親は働いてたりで誰も出てこないんだけど、それでも家庭での愛が深いのか、子供達はみんな幸せそう。

    子供達はみんな真っ白で生まれてきて、そこに色付けするのは大人なんだよね。
    こんな心が真っ黒に塗られてしまった子供達が、色あざやかな蝶々になって飛んでいける日が来ますように。

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