子供とインターネットセーフティについて

こんにちは、Erinaです。

 

今日は、子供とインターネットの安全について書いてみようと思います。

ご存知の通り、インターネットがこれほど普及したのは本当にここ10〜15年くらいのことで、その前の生活がどんなものだったかをはっきり覚えている人の方が大多数でしょう。

 

しかし、子育てをしていると、子供世代と自分世代では物事の捉え方やアプローチが全く異なることに気づくし、それはやはり「インターネット」というものが生まれた時から生活に含まれているかいないか、というところにあるのではないかな、と感じるのです。

特にうちの子供達が、”1-to-1″、つまり生徒一人一台というポリシーを持つ学校教育に入ると、そのスピードはかなり加速していきました。

 

そんな時代に生まれ育つ子供を持つ私たち親が、どんなことを知っておくべきかについて、書いておきたいと思います。

 

最初に、私が「インターネット」というものを考える時は、こう考えています。

 

インターネットを使うことで、誰でもいつでもどこにいても、世界のどこにいる誰とでも繋がれてしまうということ。

 

この事実は、これまでは「良いこと」と受け取られてきました。

例えば、海外に暮らしても、日本にいる家族や友人と瞬間的に繋がれる。用事も一瞬で伝えられる。何が起こっているかもリアルタイムでわかる。

 

けれど、この事実にはもちろん負の面もあって、悪意を持った誰かとも繋がれてしまいます。

 

インターネットがなかった頃は、自分の子供の存在を世界中の人がアクセスできる場所に公開することなんてありませんでした。

「どこどこに、○歳の○○ちゃんという子供が存在しています」という事実すら、世界の99.9%の人口は知らずに済んでいたわけです。何かの発表会などで顔と名前が公開されるリスクを考えると、アナログ時代はかなり限られた世界でした。

しかし、一度、インターネットというドアを開けてしまうと、それは一瞬で世界という無限に近い場所につながっています。

 

私はこのインターネットの本質に戻った時、自分はエクスポーズされてもなんとかなるけど、やはり子供は守らなければ、という気持ちになりました。

これらの記事にも書いたように、写真や個人情報は「データ」として残ります。データというのは、これまでのアナログのフィルムや手書きの申込書などとはレベルが違うサバイバル力を持っています。

友人にしか公開していないとは言え、一旦、オンラインにあげられた写真は、GPS情報から位置もわかるし、それこそ悪意と技術さえあれば、私たちには想像もつかないようなことに使われる機会は、いくらでもあるのです。(まだ起こってない、というだけで)

 

“Momo Challenge” (モモ・チャレンジ)と呼ばれる、インターネットを使った、子供をターゲットにした悪質ないたずらがニュースを賑わせています。内容はここでは詳しく書きませんが、子供の心理を巧妙に利用して、最悪な結末は子供が傷ついたり、命を落とす危険性があるとても悪質なものです。

このニュースが出た後、「これはフェイクだった」という声明も出ていますが、私は本質はそこではないと思います。

このチャレンジが真実かフェイクかは別として、悪意を持つ人間が、こうやってインターネットを使えば、いつでも子供達を傷つけることができるということ、インターネットにはそういうリスクがあるということ、そういう危険性を、私たちは常に認識しているべきなのです。

 

私がこのインターネットセーフティについて考えたのは、とある事件がきっかけでした。

2014年にイギリスで起こった殺人事件です。(詳しくはこちらで

14歳の少年は、ゲームで知り合った19歳のエンジニアに性的暴行後、惨殺され、かつその姿がメールで幼い少年の弟妹に送信された、という事件でした。

少年はオンラインゲームで犯人と出会い、「マイクロソフト社のトレーニングを受けられる」みたいなことを理由に、直接会うことになりました。そしてもちろんのこと、これらは全て、親の知らないところで起こっていたのです。

 

ここだけを聞けば、

 

「介入しない親が悪い」

「うちの子供はゲームをしないから大丈夫」

「知らない人に会うなんてありえない」

 

という意見が聞こえてきそうです。

そしてそれらは全て真実です。

 

しかし、昨今の子供達がとても簡単にインターネットに繋がってしまう現実を考えた時、これらを防ぐのはそれほど簡単ではない、ということにも気づきます。

 

例えば、ちょっと前まで、うちの子供達は Animal Jam というゲームをしていました。まぁよくわからないけど、ポイントを貯めて、家を建てて・・・みたいな感じです。「学校でみんなやってる」と言って、始めたものでしたし、確か当時は National Geographic がスポンサーだったので、私も安心していました。

しかし、それだけなら良いのだけれど、「他プレイヤーとコミュニケーションが取れる」という機能が入ってきた時、これは我が家でアウトになりました。顔も名前も知らないスクリーンの向こう側にいる「誰か」と繋がれる時点で、我が家ではアウトです。

 

だって、これ、現実では絶対にやらせないことですよね。

道端では、知らない人(ストレンジャー)とは話しちゃいけないと教えているのだから、ネット上でもアウトなのです。

 

うちにはないけど(買うつもりもないけど)、Alexa, Google Homeの類も、あれがある時点で、この家で起こっていることは、全てデータとして残っている、と考えるべきです。いつ、どこで、誰がどんな質問をしたか、リクエストをしたか、というのは、その場で消えるものではありません。

ちょっと調べたら出てきますが、音声を間違って聞き取ってしまって、夫婦だけの会話のつもりが、友人へ電話が自動でかかってしまい漏れてしまった・・・なんてことは、メカニズムを理解していれば、あり得ることなのです。

 

そんなわけで、我が家には wi-fi につながるゲームは一台もないし、学校で与えられたクロムブック以外に子供用のパソコンもないし、携帯も与えていません。これらがうちにやってくる予定は、今のところ皆無です。

 

あのAppleのSteve Jobs が、自分の子供には電子機器の類を一切与えなかった、と聞いて、私はやはりこの選択肢は間違っていないと確信できるのは、限られた世界でのクリエイティビティ云々だけでなく、安全面を考慮しての結果です。

 

これらは「今の時代で必要なスキル」かもしれないけど、人間としての成長に必要な本質的なものではありません。むしろそこがなければスキルがあっても・・・っていう話になります。

 

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Go outside and play

 

で、子供は十分にのびのびと育つ、というのが我が家の信念です。

 

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