Restorative Practice とは

こんにちは、Erinaです。

 

今日は、私が働く学校(チャータースクール)が取り入れているとあるプラクティスを紹介します。

 

この記事でも書いたように、うちの学校はいわゆる「タフエリア」にある学校で、様々な問題が日常的に起こります。(まぁドラッグや喧嘩なんかはエリアに関わらずあるんですが)

 

ただ、うちの学校は、その問題の「対処」の仕方が少し他の学校とは違うので、紹介してみたいと思います。

 

例えば、クラスで問題(というほどのことでなくても)が何か起こった場合、多くの学校はリファーラルというものが書かれ、いわゆる「校長室送り」になります。

教室内で問題を起こした生徒は、校長や副校長などのアドミンに引き渡され、そこで停学 (suspended) やら退学 (expelled) やらの「処分」や「罰」が決められるわけです。

 

 

うちの学校にはこのリファーラルが存在せず、停学もほとんどありません。

その代わり、この “Restorative Practice” が実行されます。

“restorative” は “restore”(復元する)の形容詞で、「壊れてしまった何かを元の状態に戻そうとする」という意味です。

つまり、問題が起こったら、罰則という手段ではなく、その問題解決や補完をするべきという考えです。

この “Restorative Practice” は、社会学や法律関係の場面でよく登場しますが、最近では教育分野でもこうやって取り入れられるようになりました。つまり、「争い事やもめ事があった場合、当事者や関係者が介入し、納得するまでとことん話し合う」というのがかなり簡潔にまとめたものでしょうか。

これは「人間、誰でも話し合えば分かり合えないはずがない」という信条に基づいていると私は思っていて、相手が誰であれ、コミュニケーションという人間のもつスキルを使うことで、分かり合えるというものです。

やはり人間ですから、何か許され難い行動をとったとき、そこには何かしらの理由があり、それを自覚したり、認知し、それに基づいた対処をしよう、というものです。

 

 

これは「悪いことをしても許される」というものではありません。

 

悪いことをした場合、そこには必ず何かしらの「コンセクエンス(結果・流れ)」があります。しかしそれは何かを取り上げるという罰則ではなく、その行動のアウトカムをきちんと元に戻す、というものです。

 

 

たとえば子育てでのこんなシナリオを見てみましょう。

 

 

「触っちゃダメ」と何度も言われていたクリスマスのオーナメントを、子供が触って壊してしまった。

「ダメって言ったのに!」とおやつ抜きにするのが罰 (punishment)。

「壊れてしまったから、直しなさい」と元に戻させるのがこのrestorative practice。

 

 

従来のしつけでは、前者の罰を使われることが一般的でしたし、自分自身もそうやって育てられてきた人が多いと思います。

しかし、そもそも、オーナメントとおやつの関連性は全くなく、結果として、「おやつがなくなるのは嫌だから、壊さないようにしよう」という全く論理性のない流れになり、問題そのものを回避している。(これは大抵、親の鬱憤を晴らすだけのもの)

後者の場合、「壊れてしまったら元に戻すのは大変だから、触るのはやめよう」という論理性があるため、子供の中で「どうしてこれはやってはいけないのか」という思考がきちんと出来上がるわけです。

 

そしてこのオーナメントのシナリオを使うと、”Restorative Practice” では、「どうしてオーナメントに触ってしまうのか」という子供の心理まで掘り下げ、「中のキラキラが綺麗だから」とか、「手触りが好きだから」という行動の原因まできちんと話し合います。

子供は壊そうと思って触ったわけではないことを、親が理解することも必要だからです。そこが見えたら、「じゃあ、ママかパパと一緒の時に触らせてあげるね」とか、「触りたいときは教えてね」という具体的な指針が生まれてくるわけです。

 

 

こう考えると、”Restorative Practice” は、子育て成功例では実践されていることになるし、それが学校で使われていても全く疑問に思いません。

事実、このプラクティスを実行する学校は増えてきていて、子供達が自分のミステイクを振り返るために有効と考えられています。一方的に子供を押さえつけるのがしつけではなく、ミステイクをどうやって受け止めて、その体験から何を学ぶか?何を教えるか?というのがしつけだからでしょう。

 

私もこれには賛成で、そもそも「あうんの呼吸」とか「以心伝心」なんてものは存在しないと思うし、誰が何を考えてその行動をとるのかなんて、きちんと話し合わなければわからない。逆を言うと、話し合えばわかり合えるわけで。

それをやらないのは、単なる怠惰や、真実を知ることへの恐怖、お互いの信頼感の欠如・・・というものが原因だから。

お互いが腹を割って話し合うためには、それなりのオープンマインドネスが必要になるし、その代わり、効果はてきめんで、成功すれば信頼関係は強まり、コミュニケーションスキルも上がります。

 

子供は自分の行動のアウトカムを考えるようになり、それが望ましいものかどうかを自分で判断できるようになる。

そういう自主性は、やはり社会に出た時に必要になるし、「親に言われたから」「先生に言われたから」「上司に言われたから」ではなく、自分自身で善悪の判断がつけられるようになるわけです。

 

Oakland Unifiedは、ディストリクトとしてこのRestorative Practiceを取り入れていて、そこの中学校でのとあるミーティングがこの動画です。

 

 

男子二人が喧嘩をし、その原因や、第三者の証言などを、当事者たちで話し合っています。

喧嘩の当事者はオレンジTシャツの男子と、黒パーカーの男子で、グレイTシャツの子がミディエイター(仲裁人)、女子2人が証人。

先生はあくまでファシリテーターで、どちらが悪いかを判断することはありません。

最後に当事者の男子2人が教室を出る時、先生が、”Good job. Very impressive.” と褒めるのも印象的です。

 

私はこのプラクティスをしている学校で働くことで、本当の意味で生徒たちと心のつながりが見えたし、信頼関係に上下はないことや、コミュニケーションのパワーがわかりました。

大人が本気でぶつかればぶつかるほど、子供達はそれに応えてくるし、その手応えが何より楽しいのです。

 

どうでしょうか。

 

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