生まれてくることの奇跡

こんにちは、Erinaです。

 

最近また、私の周りで新しい命が生まれてくるニュースをたくさん聞き、「生まれてくる命」ということについて考えることが増えました。

 

Facebook CEOのザッカーバーグが、奥さんが妊娠し、安定期に入ったことを報告しました。同時に、夫妻が流産を経験し、それについての認知を高めるために、オープンに、フェアに、話そう、と言ったことも。それを聞いて、彼らは本当にスマートで強い夫婦だな、と思ったのです。

 

 

私は今回、「新しく生まれてくる命」について、記事に書くことで、自分と向き合おうと思いました。

それは、私自身の経験で学んだことを書き残しておきたいと思ったし、知っているようで知らない、なかなか考えるチャンスのない「新しい命」について、今一度、考えるきっかけになってほしいと思ったのです。

 

 

私が長男を妊娠したのは2007年。26歳になる直前でした。

旦那と結婚して2年近く、大学を卒業し、就職も決まったばかり。

 

今までにない具合の悪さに、「これってもしかしてつわり?」と本能的に感じ、検査薬で陽性が出たのをきっかけに、OB/GYN(産婦人科)にかかりました。

 

それまで私は、大学でもテニスをし続けるくらい体育会系で、自分の体のことはわりとわかっているつもりでした。風邪を引いても、何をどれくらいやれば治るかわかっていたし、テニスで痛めた膝との付き合いもわかっていました。

そこに、自分でコントロールできない「つわり」という現象に、「何なのこれ?!」と戸惑ったのです。

 

初めての検診から、旦那はいつも同席してくれました。

 

彼自身が高齢だったこともあり、そのリスクも気にしていたようです。

当時、「父親が高齢の場合、生まれてくるベビーは自閉症になりやすい」という情報もあり、彼は担当のミッドワイフに聞きました。

 

「そういう情報を耳にしたのですが、どうなのでしょうか?」

 

ミッドワイフはこう言いました。

 

「そういう情報もありますが、とてもControvertialなんですよ。絶対的な科学的根拠は今のところありません。もう少ししたら、血液検査などもしますから。」

「そうですか、わかりました。」

 

私はこの会話を聞いて、「確かなものはない」ということを感じました。

 

 

20週になると、初めての超音波(ウルトラサウンド)で、ベビーの写真をくれます。

初めて出会う、ベビーの小さな手と指、足、男女の区別など、パパとママにとってはある意味でのマイルストーン。

 

私たち夫婦も楽しみにして行きました。男の子だということもわかり、20枚の写真ももらい、ルンルン気分で病院を去ります。

 

 

そして、次の日。

 

仕事中の私の携帯に、一本の電話が入ります。

 

「もしもし。こちら、カイザー・パーマネンテ遺伝病部門 (Genetic Department) の○○と申します。Erinaさんですか?」

 

遺伝病・・・・?

 

「え・・・えぇ、そうですが。」

「昨日のウルトラサウンドで見つかったことについて、少しお話したいのですが、今、ちょっと時間はありますか?」

 

今までバラ色だった超音波写真が、一気にグレーになる。

 

「はい、あります・・・。どうしたんでしょうか?」

「えぇ、あなたを警戒させるわけではないので、質問があったら教えてくださいね。」

 

担当は男性で、ゆっくりと優しいトーンの声で話を進める。

 

「昨日のウルトラサウンドの写真で、Choroid plexus cystというものが見つかりました。」

 

・・・・何?シスト?

 

「これは、脳のある部分に見られる水疱なのですが、これが見られた場合、ある遺伝病とリンクされるんです。」

 

・・・・何?脳?遺伝病?

 

想像もしていなかった言葉に、頭がついて行かない。

 

「それで、具体的な説明をきちんとしたいので、ご主人と二人でオフィスに来ていただきたいのですが、いつが良いでしょうか?」

「え・・・えぇ、わかりました。午後ならいつでも良いです。」

 

そう言うと、アポイントメントを作り、電話を切りました。

 

昨日もらったウルトラサウンドの写真を見ながら、「どういうこと・・・?」という疑問しか生まれませんでした。

 

直後、旦那に電話をし、限られた情報を伝えると、「とにかく、担当者に会って、説明を聞くまで待とう。」と旦那。

私の不安を煽るでもなく、無意味に「大丈夫だよ」と言うこともない、いつもの彼は、やっぱり「冷静なパパ役」として必要だったのかもしれません。

 

電話を切ると、私は悲しくなるよりも、知りたくなりました。

 

「コロイド・・・なんとかシスト?って言ってたよね。」

 

まずはGoogle。

 

日本語での情報はゼロ。

 

「日本では・・・知られてないのかな?」

 

英語でググって見ると、

 

“CPC”と呼ばれる”Choroid plexus cysts”は、脳の一部(Choroid plexus)に見られる水疱(cyst)で、大人でも見られることがあるのだとか。

リンクされている遺伝病とは、エドワード症候群(Edwards Syndrome, Trisomy 18)だが、関連性は絶対ではない。超音波写真でCPCが見られた場合、カウンセリングを勧めている。

 

とのこと。

 

なるほど、それで電話がかかってきたのか。

 

この「エドワード症候群」も調べてみた。

調べれば調べるほど、自分の中で恐怖や不安しか大きくならないことに気づき、私は旦那の「とにかく話を聞くまで待とう」という言葉を自分に言い聞かせ、それ以上のリサーチをやめた。

 

そして担当者とのカウンセリングの日。

 

電話で話した担当者は、30代くらいの若い男性で、優しそうな人柄が話し方からわかる。

染色体などの絵を見せながら、遺伝病の基本的な話をする。

そしてこのCPC、ほとんどは妊娠後期までになくなるということや、もし持って生まれてきても、それ自体は害のないものであるということも。

 

エドワード症候群の話もする。

 

担当者:「今回、お二人に来てもらった理由は、エドワード症候群という遺伝病を持つ胎児は、このCPCを持っているのですが、このCPCを持つ胎児すべてがエドワード症候群だと限らない、ということを説明するためです。

 

エドワード症候群の場合、妊娠中の胎児致死率がとても高く、生まれてきたとしても、乳幼児のうちに死亡することがほとんどです。」

 

担当者は、穏やかにボトムラインを説明する。

旦那と私は無言になる。

 

旦那:「どれくらいの確率なの?・・・つまり、CPCを持つ胎児がエドワード症候群である確率は?」

担当者:「Erinaさんの最近の血液検査の結果、胎児がダウン症児である確率は5%以下。エドワード症候群児である確率は1%以下です。」

旦那:「そうか。」

担当者:「もし、もっと検査をしたいのであれば、羊水検査で精密検査ができます。」

旦那:「そうですか。羊水検査もリスクがあるんですよね。」

担当者:「そうですね。これは母体に直接、針を刺すので、もちろん様々なリスクはあります。うちの病院では、35歳以上の妊婦さんは必ずするのですが、Erinaさんはそのカテゴリーに入らないので、自分で選ぶことになります。」

旦那:「そうですか、わかりました。」

 

担当者:「他に質問はありますか?」

私:「あの・・・。このCPCは、結構見つかるものなんですか?私、今まで聞いたことがなくて・・・。今回、電話をもらってびっくりしたんです。」

担当者:「そうですね。たぶん10~15%くらいだと思います。でも、あくまで(遺伝病の)『可能性』なので、こういうカウンセリングを個々にしてるんですよ。」

私:「なるほど、わかりました。」

 

オフィスを出ると、私と旦那は駐車場で向き合った。

 

私:「羊水検査、したほうが良いのかな?」

旦那:「キミ次第だけど・・・確率としては、低いじゃない?」

 

1%を「低い」ととるか、「ゼロじゃない」ととるか、私次第なんだと知る。

 

「僕は・・・大丈夫だと思うよ。」

 

色々な気持ちを振り絞って、旦那が静かにそう言う。

落ち込んでる暇はない。ベビーは毎日、毎時間、成長するんだ。

 

「うん・・・大丈夫だよね。」

 

旦那に、というよりは、自分に言い聞かせた。

別々の車で、別々の職場に戻る。

 

 

 

「絶対」ってないんだな、と初めて知る。

 

母親になることに、新しい命に、自分の子どもに、家族を作ることに、「絶対」なんてない。

 

 

 

 

メイクラブして、妊娠して、9ヶ月待って、子どもが生まれる。

 

頭ではわかってた。

 

だけど、何もわかってなかった。

 

それだけでは、「母親」になれないことを。

 

ほんの20週間のうちに、おなかの中のベビーは、すでに私を喜ばせ、動揺させ、悩ませ、不安にさせ、そして成長させた。

 

なんという強力な存在なんだろうか?

 

 

 

初めての妊娠。

 

それは、雑誌に書かれているような「バラ色ライフ」ではない。

 

毎日、立ち止まって、悩んで、苦しんで、吐いて、泣いて、それでも、たまに見えるベビーの成長に気づいて、小さな小さな幸せに気づいて、当たり前のことに感謝する日々。

 

そしてそれが、「母親の要素」なんだと、私は二人の子どもたちに教えられた。いや、今でも教えられている。

 

今年8回目の母の日に、私を母親にしてくれた子どもたちに、初めて、「ありがとう」と思えた。

 

私を「マミー」と呼んでくれて、ありがとう。

 

 

 

生まれてくるということは、偶然でも、必然でもない。

 

だって、「奇跡」なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

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