高校教育を受けている意味
こんにちは、Akariです。
私は教育は、将来生きぬく方法を学ぶためにあるべきだと思う。
それぞれの生徒の考え方を深める、アイデアを広げる、自分を造っていくことが学校がある理由だと思う。
これは私がアメリカの教育と日本の教育を受けてみて感じたこと。
私の意見では、アメリカの教育はもっと「生徒自身を育てること」に重点を置いていて、教育は、将来自分で生きていくための準備期間というふうに感じる。
日本にいた頃、高校に行く理由は、大学入試に備えるため、もちろん学ぶ事を楽しんではいたけれど、結局全てテストで良い点を取るための目先の目標に対する手段であった。
けれど、今私が高校に行く理由は、自分の考え方を深めるためであったり、将来を考えるためである。そして、アメリカの大学は、生徒が高校でどれだけ考えを深められたか、どれだけ自分自身が成長できたのかに重視していると思う。
これは日本の教育とアメリカの教育の大きな違いだ。
アメリカの学校にあって日本の学校にはなかったと感じるものは、選択肢の多さ、自由。
学校という1つのドアを開けると、そこには無限に道が広がっている。「マテリアルは全て揃っていますが、何を選び、どの道を進むのかはあなた次第です」という感じ。
だからアメリカはもっとit depends on youだ。高校生活をしていく中で、自分だけで find solutions をしていかなければならない場面がたくさんある。
例えば、来年のスケジュールやクラスを決めるとき。
- どんなクラスを取るのか
- APを取るのかRegularにするのか
- 何個APのクラスを取るべきか
やはりAP course (Advanced Placement の略で、大学での単位にもなり得るクラス)というのは難しいし、誰にとってもチャレンジである。けれどそこで成功する事が出来ればそれはアドバンテージになる。
- 自分がどのくらい時間を割く事が出来るのか。
- どのくらいのabilityが自分にはあるのか。
- どれほどのリスクをとるのか、自分を試してみるのか。
- そのクラスを取ることによって得られるpro/con(有利・不利な点)は何か。
クラスを決める=自分と見つめ合う期間
だと私は思っている。
どれだけ自分がやれるのか、自分に対する分析をし、そして最終的に結論を出す。
自分の考えだけで不安だったら、友達や先輩に話を聞く、そのクラスの先生の教室に行って話をしてみる。周りにあるリソースを出来るだけ使って、時間内に、1番良い決断をする。このプロセスがクラスを決めるという事だと思う。ただクラスを決めるだけということであっても、そこでは
Making decisions
Solving problems
Seeking resources
Taking risks
といった将来必要なことを、「クラス決め」という作業を通して練習することができる。
そしてその後、新学期が始まってもそれは続く。
APのクラスを実際に2週間ほど体験してみて、続けていくのか、あまりにもハードルが高いから落とし、違うクラスを取るのかを決める。全てが自分の決断だ。
私もつい最近、来年のクラスを変更できる最後のギリギリの日にレギュラーの英語のクラスからAP Literatureのクラスに変えることを決めた。
最後の最後まで悩み、取ることに決めた。
今の英語の先生に、エッセイを書くこと、小説や文章を分析することが好きだということを伝えた時に、AP Literatureをとってみることを勧められ、それから考え始めた。
先生のオファーを聞いた時、とてもワクワクしたけれど、いやいやそれはあまりにもリスクが大きすぎると思った。もうすでに他のAPのクラスを取ることを決めていたし、何より、その教科が「英文学」だからだ。
私はたった2年ほど前に渡米して来て、未だにEnglish Learnerなのに、あまりにも無謀すぎる挑戦だ。このクラスにフォーカスしていたら他のクラスがおろそかになって、何もかもダメになってしまうかもしれない。
だけど、悩んで悩んで、取ることを決めたのは、私の好奇心や挑戦したいという気持ちが目の前にあるリスクの壁よりも大きかったから。
最後の最後の決め手はそれだと思う。
決める前、私はもう一度英語の先生と話し合ったり、今、AP Literatureを取っている友達に話を聞いたりした。そして、この夏休み、コミュニティカレッジで英語のクラスも取ろうと思っている。これらのことも踏まえてデッドラインの日までずっと考えていた。
そしてトライしてみると決めた。
学校が始まって、2週間トライしてみて、自分には大変すぎると思ったら、落とせばいい、とりあえず挑戦してみることにかけた。
考えて、悩んで、自分に問いかけて、周りの話を聞いて、自分を信じて決めたこと。
自分で自分の道を選び、その道を進む努力をする。それがアメリカの教育だなと感じる。
そのようなアメリカ特有の教育システムだけでなく、授業の中でも将来生きていく中で活かせると思える場面はたくさんある。
例えば、英語のクラスで書かされる沢山のエッセイだって、生徒の考え方を深めるためにあると思う。
Argumentativeエッセイだったら、一からArgumentを作っていく方法を学ぶ。
Narrativeエッセイだったら、インパクトのある文章や言葉を使い、自分のことを効果的に伝える方法を学ぶ。
他にも、プレゼンテーションや、グループディスカッションなど、どんな授業のトピックも、何か活かせるのではないかと考えられる。
宿題やプロジェクトだって、期限とRequirementが与えられた課題に対し、自分の頭の中で終わらせるためのプランを立て、時間内に提出する。
自分の成績も、常にパソコン上でチェックし続け、例えば、数学の成績が下がっているから、数学に時間を割かなければ、など計画を立てる。
アメリカは高校生活の中で、勉強だけではなく、それを超えたもっと大切な事を学ぶことができると私は思う。
そして大学側が勉強以外の「大切な事」を重要視し、評価してくれる。
だから私はアメリカの教育が好きだ。
“人を育てる、生徒の考え方、ユニークさを成長させる”
私は教育はこうあるべきだと思う。