「頭が良い」ってどういうことか
こんにちは、Erinaです。
個人的なことですが、最近、「ブログにこういうことを書こうかな」と思うトピックが、教育心理学のクラスとシンクロしていてとても楽しいです。笑
今日のトピックもそうで、教員免許プログラムでの勉強や教育実習を通して感じたことを、先日の授業でも取り上げたので、書いておこうと思います。
「頭が良い」という言葉、よく使いますし、よく聞きますよね。
英語でも同じカジュアルさで使われるという意味で、”smart”があります。
“She is smart.” は、「彼女は頭が良い」ですね。
しかしこのsmartという言葉が表す、具体的な「資質」が変わってきていて、アメリカの公立校における新しいカリキュラムというのはやはり、これまでの「頭の良さ」を試すのではなく、新しい資質を試されているというもの。
例えば数学で頭が良いというのは、従来では「答えを速く出せる」ということでした。
先生の質問にパッと答えが出せるとか、公式を覚えているとか、スピード (quickness) が重要視されていました。
みなさんも記憶にあるかもしれませんが、算数や数学のクラスで「頭の良い子」というのはやはり、そうだったはずです。自分だって時間をかけて、自分のペースでやればできるのに・・・と思ったことはないでしょうか。
しかし、新しい数学のカリキュラム(これもまた別の記事で書いてみます)では、そのようなクイックネスではなく、もっと別の資質を必要とされていて、生徒達は新しい次元での数学教育を受けています。
そしてこれは数学に限らず、別の科目でも同じようで、国数のコモンコア、理科のNGSS (Next Generation Science Standards)、社会のHistory-Social Science Standards もそのような影響を受けています。
そんなわけで、アメリカの中学・高校の主要4科目(国数理社)の教員志望たちが考える、新しい「頭の良さ」を、従来のものと比べてみましょう。
従来の「頭の良さ」は・・・
- クイックネス(数学:問題が速く解ける)
- 量(国語:作文を長く書ける)
- 事前知識(理科:学校で習う前に宇宙のことをよく知っている)
- 自然さ(社会:歴史のことを語れる)
- 勤勉(全教科:宿題をちゃんとやる)
- 自信(全教科:自信を持って自分の考えを言える)
- 授業参加(全教科:挙手・発言できる)
という感じ。
思い出してみても、クラスにいた「頭の良い子」というのは、確かにこれらのことを難なくやっていたり、自分もこういう努力をすることで、「頭が良いね〜」と言われたりした記憶があるはず。
ではでは、新しい意味での「頭の良さ」は何かと言うと・・・
- Resourcefulness: 正しい情報の使い方を知っている
- Patience/Perseverance: 忍耐強さ・粘り強さ
- Effort: 努力できること
- Collaborative: 他人と協力できること
- Able to ask questions for clarification: 物事を明確するために質問できる能力
- Synthesize thoughts: 思考をまとめたり、つなげる能力
- Implement feedback: 他人からのフィードバックを実用できる
- Strategize: 戦略立てる能力
というもので、科目に関わらず必要な資質であり、基本的かつ総合的な人間力と言えます。
そしてこうやって見てみると、従来の頭の良さというのは、結果(テストとか作文とか)にフォーカスされているのに比べ、新しい考えでは、問題や課題に対する姿勢や取り組み方に反映されているわけです。
また英語には、”Book smart”と”Street smart” という表現があります。聞いたことはあるでしょうか?
“Book smart” (ブックスマート)というのは、本から得られるスマートさ、教科書などで通用するスマートさという意味で、つまり従来の意味での「勉強ができる子」という意味で使われていました。
それに反して “Street smart”(ストリートスマート)というのは、ストリート(つまり街中、実際の生活)で得られたり通用するスマートさという意味で、従来の意味では、「あの子は、学校の勉強は微妙だけど、ストリートスマートだよね」という感じで使われていました。
しかし、こうやって二つの「頭の良さ」を比べてみると、新しく必要とされる資質というのは、やはりストリートスマートな人間に見られるように思えるし、そのためには、この記事でも書いたように、教室の外での人生経験が大きな差を生むことになるのです。
昨年、この記事でも書いたように、とある高校にアシスタントとして参加しました。このエリアは、世界各国からの移民や難民が多く住み、おそらく多くの日本人や富裕層は居住地として選ばない地域です。
そのような学校で9年生(日本の中3)のクラスにお邪魔した私は、学期途中で編入してきた、とある男子生徒と勉強することになりました。
彼はとても物静かで、自分から手をあげたり発言することはありません。しかし、何か聞かれた時の対応はとてもポライトで、人を見下したり、邪険にすることはない生徒でした。
彼が入ってきてすぐに、メインの先生に、「彼の数学のレベルがどれくらいかわからないけど、一緒に組んで勉強してくれる?」と言われ、グループ作業や 1-on-1で勉強することが増えました。
彼の数学レベルが、学年レベルよりもかなり下であり、それもまだらな理解になっているということは、私はすぐに気付きました。だけど、私が驚いたことは、彼が、とても忍耐強く、集中力のある青年だということでした。
編入してキャッチアップするためにどっさりと出された課題や、まだ知らないトピックを目の前にしても、物怖じしたり、投げやりになることは一度もなく、ただひたすら、一歩一歩前進できるタイプの学生だったのです。
彼の数学レベルから、課題完了に達するまでの道のりを考えると、おそらく99%の人間は嫌になるはずでした。それくらいの大きなギャップがあったのです。
だけど、彼は文句や泣き言を一つも言うことなく、その問題と向き合う姿勢を、私と勉強した数ヶ月間、ずっと持っていたのです。
私は彼のそういう姿勢に脱帽したし、教える側にいながら、彼に大切なことを教わりました。
アシスタント任期が終わる頃、メインの先生が、「彼はどう?」と聞いてきました。
私は、
「彼はものすごく忍耐強いです。文句も一切言わない。だから・・・」
と言うと、メインの先生は、ハッとして、
「確かに・・・彼は、うん、そうだな。あきらめたりしないね。」
と自分に言い聞かせるように言いました。
やはり数学に必要なのはクイックネスではなく、目の前の問題や課題に対して物怖じしない気持ちや、我慢強く一つ一つ乗り越えていける能力であり、私はこの生徒にそういうことをリマインドしてもらったのでした。
これまで、様々な子供達を見てきて、「この子は面白いな」と思える子というのは、「伸びしろ」を持っていて、それを表に出している子。
その伸びしろは勉強面で現れるとは限らず、むしろ、他の子供達との関わり合いとか、大人との接し方とか、問題に対する姿勢とか、そういうものです。
やはりこれは、他人(親や先生)から課題を与えられるのを待っているだけでは、身につきません。自分が夢中になれるものを自力で探し、その意味を見つけ、時間を忘れるくらい没頭できる経験から生まれます。
最近の脳科学では、25歳まで人間として未発達らしいので、それまでは、試しに何かをやってみた経験と、失敗した経験の数が多ければ多いほど良いと私は考えています。
どうでしょうか。
21世紀の「頭の良さ」、みなさんはどう思いますか?