バイリンガルの子供がティーンになった時に起こること
こんにちは、Erinaです。
日本語だけでなく、スペイン語、アラビック、ベトナム語などを話すバイリンガルの中高生と仕事をすることが多いのですが、今日は、そこで気づいたことを書こうと思います。
このブログでも扱っていますが、子供をバイリンガル環境で育てるかどうか、というのは簡単に結論づけることができないもので、海外で生活をしている親にとっては常にジレンマとの戦いです。
この記事でも書いたように、我が家は英語オンリーで育てるということを、子供達が小さい頃に決めたわけですが、やはりその決断は多くの場合、子供が0〜3歳くらいの頃にされるでしょう。
今日は、その決断から時間を少し早送りして、10年後、つまり子供が10〜15歳くらいになった時(プレティーン〜ティーンの時期)に、どんなことが起こりうるのか、ということを書いてみたいと思います。
私がバイリンガルの子供達と仕事をし始めたのは3年くらい前。
その頃はなんとなく、バイリンガルの子供とその親との間に、何かしらの壁(または溝)があることが多いな、と気づき始めた程度でした。
しかし具体的にそれが何かはわからず、
子供にとっては、「ママは英語がわからないから」
親にとっては、「私は英語がわからないから」
と徐々にお互いの距離が広がっていった結果、というのが第一印象でした。
私の仕事はそうやって出来上がったギャップを少しずつ埋めていくことだったり、そのギャップのせいで生まれたミスコミュニケーションを解消することでした。
「どうしてこの課題は重要か」
「どうすれば次の学期に自分のとりたい授業をとれるか」
「先生とどんな話をするべきか」
という内容の対話に、私が通訳兼アドバイザーの形で介入するたびに、親子間のコミュニケーション不足を感じました。
そこからもう少し深くこの年代のバイリンガルの子供達と勉強するようになって、気づいたことは、「人生や価値観などに関する深い対話」というものを親子ですることができない、という事実でした。
- 進路のこと
- 人生のこと
- 性のこと
- 仕事のこと
- お金のこと
などなど、ティーンの子供達が必要としている人生の教訓はたくさんあって、親が一番身近な手本である時に、バイリンガル親子の場合、言語力がそのハードルになってしまうことが多い。
という事実に気づいたのです。
それは、学校の勉強が急激に難しくなり、親が「私はもう教えられないわ」となっていき、そのフェードアウトが勉強とは関係ないところでも同時に起こってしまう。確かに、私だって中高生の社会とか国語なんて、パッと見ただけではほとんどわかりません。だからこそ科目別に教師というプロがいるんです。
だけれど、「人生」という勉強のプロ、それも身近な存在はやはり親であり、親がそこからフェードアウトしてしまうと、途端に親子の絆は弱くなる。
それまで感じていたバイリンガル親子の「壁」とか「溝」はそこにあるな、と気づきました。
もちろんモノリンガル(単一言語)環境で育つ親子全員が、ハイクオリティの深い対話を持てているか?と言われると、そうではありません。特に日本文化では、親子で、人生や性やお金についてのオープンな会話を10代で持てた、なんて家庭は稀でしょう。
親子で同じ言語を使えるからと言って、思春期の難しい時期に親子間に溝が生まれないわけではありません。
そこには対話を持とうとするお互いの努力が必要であり、同時に、それを実行できる言語力が必要、ということです。
では、それを踏まえて、バイリンガルの子供(しかも英語力はどんどん伸び、それに反して家庭言語が衰える)を持つ親はどんな心構えを持つべきか。
学び続ける
もうこれは、絶対ですね。大人になったら勉強しなくて良い、なんて大嘘です。
やはり子供が新しいこと(それも親は習っていないこと)をどんどん教わってきたら、親もそれを学ぶべき。もちろん全てをマスターする必要はないけれど、この記事でも書いたように、子供から学ぶという姿勢を持ち続けることが必要です。
また、アカデミックなものだけでなく、中高生の精神的なものや人生観について語り合えるだけの英語力も身につける。これはやはり、外国語環境での子育てを決断した親の宿命であり、避けることはできない現実です。
そこで、「もう子供とのコミュニケーションはこれくらいで良いや」と諦めるのか、なんとかしながら粘るのか。それは自分次第。
忙しい毎日をただやり過ごすのか、それとも月一で二人でスタバに行っておしゃべりするか。
メンターである
親はやはり子供のメンターであるという意識を持つこと。
小さい頃は単純にケアテイカーだった親も、子供自身が社交性を高め、世界を広げていく時に、そのお手本でいなければならないと私は思います。
夫婦関係、友人関係、お金の使い方、他人との接し方、価値観・・・などなど、子供が将来的に社会に出ていく時に、どんな人間になっていて欲しいかというのを、伝える役割です。
そういう対話はティーンになるずっと前から始まっていて、「対話を持つ努力」というのはここから始まります。
もちろんスポーツチームのコーチや学校のカウンセラーのような存在も大きいけれど、子供にとって常にavailableでいられるのは親だろうな、という気がするのです。
体はどんどん大きくなっても、まだまだ中身は子供。
ティーンの娘・息子達は、みなさんを必要としています。
どうでしょうか。
バイリンガル子育てに関してこんな記事も書きました。
今日の記事は興味深く読ませて頂きました。うちは今年からキンダーで、下はまだ小さいですが、私が子供の宿題が分からなくなる日はきっとすぐ来るはず。その時、諦めずに私も勉強しないとですね。うちはバイリンガル教育ほぼ出来てませんが、私の英語力をもっと伸ばさないとと日々思っています。。
Kayさん、こんにちは。
そうですね、やはり子供は英語環境で育つ以上、私たちが知らないことを覚えてきますから、それにキャッチアップする努力は欠かせませんね。
頑張りましょう!
はじめて。
とても良い情報、ありがとうございました。
こちらはオーストラリア在住で、4歳の娘がいますが、英語オンリーです。
言語に集中するより、オーストラリア人として必要な他のスキルに、時間とお金を費やすよう、迷いに迷い、英語オンリーで育てています。かといって、これが正解かは時間が経たないと分かりませんが。
私が知るバイリンガルの子供達は、比較的、親と溝があるような子供が多い気がします。(もちろん、溝がない子もいますが。)
自分はオーストラリア人なのに、英語でなく、しょうがなく、親が喋れる言語を使い親とコミュニュケーションをとってる感が。その事により、親の文化でさえ積極的に受け入れたくない雰囲気が。
これがティーンを過ぎれば変わるのかもしれませんが、、。
言語はどうあれ、親が何人であろうとも、子供にしてみれば、親はロールモデルですよね。
改めて考えさせられました。
ありがとうございました。
かみなり3番さん、こんにちは!
コメントが遅くなって大変申し訳ありません。
お役に立てて嬉しいです。
子供が小さい時って、言語選択の影響がどう現れるかって想像できないですよね。
なのでどの言語を選ぶにせよ、やはり親がそこにブレない軸を持っていることとか、同時に現実を見ながら調整していくフレキシブルさも必要だと思います。
大事なのは目の前の子供と常に向き合うことですよね。
頑張りましょう!