広告から世界を見る、自分を知る
こんにちは、Erinaです。
先日、とある着物屋さんの広告に使われたキャッチコピーがひどいと炎上していました。私も目を通してみたけれど、怒りというよりも、その知性の低さとセンスのなさに唖然としました。(ここでは紹介しないので、興味がある方は調べて下さい)
ちょうどその日、私はカンファレンスに参加していて、そこでとある広告が例に出されたのです。
それは “perspective”(ものの見方、視点)という話をしていた時に使われた例で、Colgateという会社のものでした。Colgate は歯ブラシや歯磨き粉などの日用品ブランドで、P&G (Procter & Gamble) の競合社です。
スライドに使われた広告は、携帯用のデンタルフロスの広告で、以下の3つでした。ちょっと見てみてください。
どう思いましたか?
どの写真にも、歯に何か詰まっている男性達が写っていて、やはりそこに目が行くと思います。
なぜなら、これは「デンタルフロス」の広告である、とみなさんが考えていたからです。
では、それ以外の何かに気づいた方はいるでしょうか?
もう一度、同じ写真を見てみてください。
一枚め。
女性の指の数に違和感を持ちませんか?
二枚め。
女性の腕はどこから来てるのでしょうか?
三枚め。
男性の右の耳はどこ?
そう言われてみると、ギャー!って感じですよね。
これらのことに、最初に気づいた方はほとんどいないと思います。
なぜなら、「この広告はデンタルフロスを売るためのもの」といういう刷り込みをすでに私がみなさんにしていたからで、歯を意識的に見て、その他のもっと異常なことに気づかなかったからです。
つまり、
「歯に詰まった食べ物」にはそれだけの威力がありますよ、だからこの携帯用フロスを持ち歩きましょう!
というのが、この広告の本来のメッセージだったのです。
うーん、面白い!
さすがColgateのマーケティングだな!
というのが私の印象で、同じ日の朝に見た着物屋のキャッチコピーとは、天と地の差があると感じたのと同時に、この違いはどこから来るんだろう?と考えざるを得ませんでした。
マーケティングを勉強したり、仕事にしている人たちは、日本と外国の温度差を感じるだろうし、「何が売れるか」「何が響くか」というのは国によって異なるでしょう。アメリカに住む消費者視点から見ると、同じ職業とは思えないくらいのレベルの違いを感じます。(もちろん日本の広告が全てこうではないだろうけれど)
しかし同時に、今回の着物のキャッチコピーは私的には大失敗だと思うけれど、こういうものが生まれてしまう土壌を考え直さなければならないのも事実。
この記事でも書いたように、日本人女性に対するステレオタイプが、こういうオフェンシブで差別的なキャッチコピーを生んでしまったことは事実であり、私たちはその対象として、批判するだけではなく、これをどうやって受け止めるかを考え直さなければならないと思うのです。
フェミニズムの勉強になってしまうけれども、私は、今ある男性社会を否定することがフェミニズムだとは思いません。男性社会として成り立っている場所を、女性がテイクオーバーすることがフェミニズムのゴールではないからです。
女性のための土壌が出来上がり、それが男性社会とうまくバランスを取り合い、お互いをリスペクトしながら共存できることがゴールです。
そのためには、「この着物の広告はひどい!」だけでなく、「こんな低レベルな広告はやめて、本当にスマートな広告を作ろう。じゃあスマートな広告ってどんなもの?」と、日本の外に目線をやる必要があるかもしれない。
自身を振り返る時に必要な視点は、客観的かつ建設的に自分自身と他の存在を比べることであり、そこから自分自身の強みや弱点、改善点などが見えてくるはず。
ちょっと広告の話から外れてしまったけれども、まずは、今ある「土壌」を分析して、自分たちに照らし合わせていくことが必要なんじゃないでしょうか。
そこから「あ、やっぱりこっち(Colgateみたいな)の方が良いな」という感覚を人々の中に育てていく。
着物屋の広告が与える不快感と、Colgateの広告が与えるインテリジェンス、どちらが自分にとって良いものか?という感覚を育てることが本来の「教育」であり、世界で通用する判断力を養うことだと私は思います。
もちろんこの作業には時間がかかるけれど、それを面倒くさがったり、恐れていては、変化というものがいつまで経っても起こらない。そもそも教育というのは時間がかかるものであり、目先のテストや受験がゴールではなく、こういう人生をかけて必要な判断力や思考のことを真の教養と呼ぶはずなのです。
そしてそのためには、外に目をやる、というのが意外に近道だったりします。
どうでしょうか。