「ママの英語が上手じゃないから」
こんにちは、Erinaです。
多言語環境で子育てしている親が、おそらく恐れているであろうこのフレーズ。
「ママの英語(または他の現地語)は上手じゃない」
私も数年前、長男に言われました。
今日は、この衝撃発言の対処法と何がそう言わせるのか?について書いてみたいと思います。
まず、このような発言をする子供の心理について考えてみます。
それが、異国で子育てをする私たち親にとっての第一歩だと思うからです。
「ママ(またはパパ)は英語がわからない」
「ママの英語は通じない」
「ママはアメリカのことをわかってない」
・・・というようなことを、いつかは自分の子供に言われるのかもしれない。
そんな恐怖や不安をついつい抱えてしまうのは、やはり慣れない外国生活での子育てはそれくらい手探りだということでしょう。
子供の学校生活や人間関係など、自分自身の経験が応用されないという現実に、我が子ながらこの子はどうなってしまうの?という不安は拭いきれません。
そしてそういう不安は子供に反映されます。
「自分の親はこの国で育っていない」
「自分の親は外国人」
「自分の親は英語に自信がない」
というイメージは子供にとってネガティブに映り、社会的な人種差別発言などがそのイメージにさらにネガティブな拍車をかける。
ここで覚えておきたいのは、
「外国人である」
「英語が第二言語である」
という事実自体は、ネガティブでもポジティブでもないということ。
つまり、その事実にどういうイメージを植え付けるかというのは、自分次第であるということです。
ではなぜそれがネガティブに映ってしまうのかというのは、やはり自分自身をどう受け止めているかという「自己肯定感」の存在が大きく、ひいては親自身の自己肯定感が子供に投影されていくわけです。
そう感じた私は、うちの息子が「ママの英語が上手じゃない」と言った時、私自身の英語力ではなく、彼が自身をどう受け止めているか?という見方を瞬間的にしたわけです。
この発言の始まりはこんな感じでした。
ある日、学校から帰ってきて、Student Leadership(児童会)のスピーチの話題になりました。彼は興味を持っていたけれども立候補しなかったそうで、その理由を聞いてみると、「僕のスピーチは上手じゃない。それはママの英語が上手じゃないから」というようなことでした。
「ちょっと待って」
それは私の英語とはまず全く関係ない(笑)上に、なぜそんなに自信がないのか?というところで私はその会話を一旦停止しました。
私:「ねぇ、あなたのクラスには英語を話さない親を持つ子もいるよね。」
息子:「いるね。」
私:「その子達は、自分ができない何かを親の英語のせいにしたりしてるの?」
息子:「・・・してない。」
私:「じゃああなたが、ここで私の英語が上手じゃないというのは、理論が通っていないことわかる?」
息子:「・・・・。」
彼は沈黙し、自分が間違っているけれどどうしたら良いかわからないという表情になりました。
私:「ねぇ、本当にスピーチをやりたいなら、練習しよう。
それがあなたにとって必要なことでしょう。
あなたのママにとって英語が外国語かどうかなんて関係ないよ。」
息子:「でも、もう良いんだ・・・。」
結局、彼がこのスピーチをやることはありませんでした。
今になって思うと、この時の彼は思春期の始まりで、ものすごく繊細で敏感で、傷つきやすいというか、不安定な時期だったと思います。学校のことも自分ひとりでやるようになった反面、上手く対処できないことも親に言わずに抱え込んでいました。
あれから一年半が経ち、水泳や音楽をきっかけに体も心もオープンになり始めた息子。中学の最初の一年は、彼にとってものすごく良い経験で、彼の中で安定度や自信も高まり、周りからどう見られているかにナーバスになることも減りました。
同時に、自分がミスした Student Leadership に妹が参加することになり、自分がやりたいと思ったことはやはり言い訳をせずに、ベストを尽くすべきだと考えるようになったようです。
最近になって、このやりとりについて息子と話をしました。
それはツイッターで見かけた、とあるツイートが原因でした。
「アメリカで育つうちの子供が、アジア系である自分を受け入れられない」というものでした。
そういう風に感じたことがある?と息子に聞いてみると、「全くない」という返事で、じゃあママが日本人だってことについて何か感じる?と聞くと、「全く何も感じない」というあっさりとした返事でした。
上の発言についても彼は全く覚えておらず、「そんなことを言ったのだったらごめんね。今はそんな風には全く思っていない」と謝ってくれたくらいでした。
どこに行ってもマイノリティの日本人。
その事実を変えることはできません。
しかし、それをポジティブなものにするかネガティブなものにするかは自分次第。
そしてそれを子供に教えるのも、私たち次第。
果ては、そんなラベルは飛び越えて、個人として愛される存在になって欲しいなと思うのは、おそらく全ての親の願いではないでしょうか。
Privilegedを検索していて、こちらのブログに辿り着きました。
単語の意味(オンラインショッピングに出てきた)を調べたかっただけなのですが、何気に読ませていただいたら、とても素晴らしい内容で早速息子(中3)に読ませました。
(ありがとうございます!)
息子はいわゆるハーフですが日本で育っています。
読ませた後に彼は不機嫌になり、「こんなの学校で毎日やってる。何回同じことするんだ」と。
きっと見かけと中身のギャップ、それに関わる自分のアイデンティティに落とし所が見つからずにいる自分にイラついているのかな、と思いました。
私は1、2年で日本へ帰国する予定がすでに4年を過ぎてしまった、駐在妻(専業主婦)で英語がとても下手です。それでも頑張って生活しているだけ、自分で偉いと思っているのですが、最近の息子(すでに私の英語力より遥か上)は母の人種と言語力を恥ずかしいと思っています。
思春期ということもあるので、そのまま受け取るのは難しいですが。
ブレイディみかこさんの著書でも、多くの駐在母が直面する問題(イギリスでも)だそうで、「ついに来てしまったか」という思いです。(本当はそうなる前に日本へ帰国したかったのですが)
Erina様のブログを読ませていただいて、やはりこの問題はすぐに解決できるものではなく、息子の成長という時間を待つしかないのかな、と思いました。
(私の英語力がネイティブ並みになる可能性はないので)
今でも「自分は日本人だ」と言い切る息子ですが、Erina様がおっしゃるようにいつかそんなラベルを超えて、一人の地球人としての自分を見つけて欲しいものです。
初めまして。Critical thinkingについて探しているところでこのサイトにたどり着きました。カナダに移って15年経ちますが、Erinaさんの視点、半分唸りながら面白く拝見しています。Pandemic中の思わぬ拾い物かもしれません。
お気をつけて。
たこ10736さん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。
たこ10736さんも、どうぞお気をつけください。