激動のアメリカで生きる日本人母として
こんにちは、Erinaです。
前回の記事でアメリカにはびこる人種差別の長くて複雑に絡んだ歴史を紹介しました。
読んでくださった方もそうでない方も、世の中の動きを見ながら、「じゃあ自分には何ができるだろう?」と次のステップを考えている方が大多数だと思います。
今日はこの国で生きる日本人として、母親として、一人の人間として、どんなことができて、どんな思いを持ってアメリカで暮らしていけるのかを考えてみたいと思います。
前回の記事を読んで、または実際の黒人・白人間の人種差別を見て、「日本人としてできることはない」という無力感や疎外感を感じる方もいるかもしれません。
私も長い間、そう考えていたせいで、この国にある人種差別から目を背けていたところがあったことに気づいたのです。
しかしながら、
語らないことは解決にはならない。
目を背けることは “avoidance” として人種差別を黙認していることになる。
そう気づかせてくれたのは、アメリカ史を勉強することだったり、デモやプロテストをやめずにいるブラックコミュニティだったと思います。
彼らの勇敢な行動は、私たちのようないわゆる「第三者」にも、
「知らなくてはならない」
「無視してはならない」
「黙っていてはならない」
と感じさせたわけです。
私はプロテストに行けない。
やっぱり怖いし、コロナ感染も怖い。
だけどそのリスクをおかしてまで、立ち向かう人たちがいる。
ピースフルプロテスター(平和的プロテストをする人たち)は、社会からのリスペクトの対象であり、感謝されるべきなのだとわかりました。
プロテストに行けず、けれどこの国で生きる移民の一人として、私は何をするべきなのか?
プロテストに行けないことを憂うべきなのか?
そこでとある人にこう言われたのです。
“Everyone should be allowed to protest in their own lane.”
「それぞれのプロテストの仕方があって良い」
イベントに参加するもよし、SNSで訴えるのもよし。
アメリカ史と人種差別に関しての本を読むのもよし、映画を見るのもよし。
家族と話し合うのもよし、自分と異なる人種の人に質問するのもよし。
そこに「正しいかたち」はなく、自分にできること、自分がするべきことを自分で考えてやれば良い。
そう言われた時に、私はここ数週間、心の中にあったトゲトゲゴツゴツした重いものが自然と消えていくのを感じました。
そして、じゃあ私にできることはなんだろう?と考えた時、思いついたのは、
- 家族と話し合うこと
- アメリカ史を振り返って日本語で記事を書くこと
でした。
ケンタッキー州出身の白人旦那が人種差別について知っていること。
子供達が人種差別について現代アメリカの公立学校で学んできていること。
自分の人種と、周りの人たちの人種。
今、目の前で起こっていること。
人間としてあるべき姿。
そういうことをまっすぐに話し合った時、「家庭での会話」は何よりもパワフルであり、人々の意識の変化を起こすために何よりの近道であることを思い出したのです。
人種差別をなくしたいなら、まずは自分の子供の教育から。
私は母親として、これほどに影響力があることはないなと思うし、少なくとも自分の子供は人種差別に立ち向かえる人間に育てなければならないと思っています。
そして彼らが誰かの模範になれる人間になれれば、そこから少しずつ、本当に少しずつ、変化が起こるかもしれない。私はその可能性を無視するわけにはいかない。
私は社会の一員として、親の責任はそういうところにもあると思うし、100人の他人に影響を与えようとする前に、まずは唯一の自分の息子・娘からスタートするものではないでしょうか。
「警察」という正義の象徴の権威が揺らいでいる時、何を基準に「善」と「悪」を判断するべきか。
個人の中にあるジャスティス(正義)を使うしかありません。
肌の色や服装や出身地なんかに惑わされず、物事の状況と背景を理解し、人の心に寄り添い、ひとりの人間として正義を信じる。
そのためには、知識と経験以上の味方はなく、それこそが本来の教育・教養と呼ばれるものです。
我が家の10歳と12歳の子供達がそういう教養を身につけるためには、私たちみたいな大人の数十年分の経験談が何より役に立ちます。
経験談は家庭ごとに異なるけれど、そこに「より良い明日」を掲げている限り、この国は時間をかけながらもユナイトしていくと信じているし、そうやって、見えないところにある個人の思いがデモクラシー(民主主義)を作り上げていくと、私はアメリカで人生の約半分を生きてみて感じています。
“Change is painful.”
「変化には痛みを伴う」
とはよく言われますが、その痛みを持ってしても、その先にある変化が良いものだと信じて、私は今日も子供達と向き合い、自分自身と向き合おうと思います。
We will get through this.
So stay with us.