私がもっていた特別支援教育の誤解
こんにちは、Erinaです。
今日は特別支援教育 (Special Education, “SPED”) について書いてみたいと思います。
最初に書いておくと、私はSPEDの専門家ではなく、診断などもできません。
ただ、一般教育 (General Education, “GenEd”) の一教師として、アメリカの公立校にあるSPEDというシステムと、それにまつわる私の経験を書いてみたいと思います。
まず、私がSPEDの必要性を最初に感じたのは、教育実習の時。
クラスに IEP (Individual Education Plan) を持つ子がいて、accommodations & modifications、いわゆる「合理的配慮」について勉強する必要があった時でした。
その子の場合は、ノートを取るのに時間がかかるので、授業後にコピーをあげるというものだったはず。
「なるほど、そういう必要性があるのね」とその場で感じたものの、この合理的配慮について、自分はとても無知だなぁ!というのが第一印象でした。
それもそのはず、私のいた一般教育の教職課程では、SPEDについての授業はほぼ皆無。プログラムを終えて実際に教室に入った時も、最初に戸惑ったのは、何よりもIEPを持つ子達へのサポートでした。
初任の年は、Independent Study Program と呼ばれるフレキシブルな個別指導の教室。ここで一からカリキュラムを作り、様々なレベルやニーズを抱える生徒達と向き合いました。
やはり「一般的な教室スタイル」に合わなかった子がほとんどで、その因果関係はわからないけれど、IEPを持つ生徒が3〜4割。
私は積極的にSPEDの先生や、各種スペシャリスト、セラピストと関わるようにしました。
それでも私の中で、「この子達が必要なものを、私は提供できているのだろうか?」という疑問は拭えず、ある日、仲良しになったSPED教師に相談しました。
「生徒にとって、何が正解なのかがわからずにいる」
と言うと、彼女はこう言いました。
「それは私達(SPED教師)にもわからない」
私:「え!そうなの?」
SPED教師:「そうよ。だから一つひとつ試しながら、この子には何が機能して、何が機能しないか (what works and what doesn’t work)を見つけていくの。」
私:「そうなんだ?」
SPED教師:「うん、それを見つける作業をするのが義務教育期間。生徒達が高校卒業する時点で【自分はこういうスタイルならできる】と確立するのがゴールだよ」
目からウロコがこぼれた瞬間でした。
私がSPEDというシステムに対してもっていた誤解はそこにあったのです。
SPEDというのは、目の前にある課題をただ乗り越えるための手伝いではない。
子供が社会に出る時に、自分に必要な武器や装備を理解し、その準備をサポートしてあげることがSPEDの目的なのです。
私:「なんだかすごくSPEDを誤解していたような気がする」
SPED教師:「That’s okay. だから最初から全てが見えなくて当たり前だし、子供達もそれはわかってるよ」
この言葉を聞いて以来、私が最初にもっていた不安【この子達が必要なものを、私は提供できているのだろうか?】はだいぶ薄れました。
それと同時に、私の目線は過去ではなく、【じゃあ次はこの生徒のために何ができるだろう?】と未来目線になったし、自分の中でものすごく良い切り替えが起こったのです。
教職課程を通して、「なるほど」と思った言葉はたくさんあったけど、これはもっと早くに聞きたかったし、自分の子供がグレーゾーンかどうかに関わらず、親達にも知っていて欲しいなと思いました。
もし自分の子供にIEPがあったら…と悩んでいる親は、特に知っていて欲しい。
「義務教育は社会に出るための準備」
であり、その専門家達はものすごい量の知識と道具を備えています。
自分一人では情報が足りずに行き詰まりそうな時、「これをやってみよう」というアイディアが、新しい扉へのきっかけになるかもしれません。
12年間の冒険をどんなものにするかを決めるのは、子供・親・学校スタッフのチームワークなのだと、生徒達の成長を見ていて感じます。
どうでしょうか。