21世紀の多言語教育

こんにちは、Erinaです。

 

記事「私が子どもに日本語を教えなかった理由」でも書いたように、我が家では、子供達に日本語と英語環境の二つを用意することを早々にあきらめながらも、さまざまな日本文化や、一度きりの日本滞在を通して、子供達が日本というものに触れる機会を用意してきました。

その結果、彼らは日本に限らず、異文化や外国語などに興味を持つ人間になったと思います。

学校やコミュニティを通しても、ここ南カリフォルニアにある多様性を理解して育っているように見えるし、このまま、何事においてもオープンマインドで、他者から学ぶ姿勢を持ち続けてくれたとしたら、私なりの多言語・ミックスカルチャー子育ては成功したのかも、と思うようになりました。

 

私自身がアメリカに住んで20年が経ち、人生の半分以上がアメリカになったわけですが、やはりそこには単なる言語力だけでは超えられない壁がたくさんありました。テストスコアや英検○級みたいな数値化できる言語だけでは、見えない壁です。

 

自分が留学生の頃は、そんなことは全く知らず、ただひたすら英語力を上げることに集中していました。

それは、

 

英語力が上がる→生活が楽になる

 

と思い込んでいたからです。

 

しかし、読む・書く・聞く・話すというコミュニケーションスキルは、生活の基盤になるものではあるけれど、生活自体を立体化してはくれません。外国での生活に奥行きを出すには、やはりそこにいる人達と実際に触れ合い、文化を知り、現地の食べ物を食べたり、意見交換をしたり、泣いたり笑ったり、そういう経験が不可欠だからです。

 

昨年から働き始めた現任校には、日本からの短期・長期留学生が来ていて、英語力も留学への意気込みも様々です。

その中でも、「この経験を次に繋げたい」と願う子達と触れ合うことで、私自身も初心に帰れたし、外国語で生活することの意味を思い出すことになったので、書いてみたいと思います。

 

留学生活において、「英語がわからない」というのは、実はとっても小さな割合でしかありません。まぁ授業中にこれが起こると100%になるのですが、親元を離れて留学生活をしていると、授業以外の場所で、さまざまな問題やイシューが起こります。

 

「食べ物が合わない」なんてのは日本の若い子がまず経験することだし、

「一人ではどこにも行けない」という辛さは実感してみないとわかりません。

ホストファミリーや友人、学校の先生なんかと意思疎通ができずに起こる人間関係問題も多いです。

 

話を聞くと、「夜中に一人でコンビニに行って、食べたい(それも口に合う)ものを買って食べられる幸せ」をひしひしと感じた高校生がほとんどだったし、自分で電車に乗って友達と遊びに行ける自由や、欲しいものが手に入る現実を、改めてありがたいと感じた、という声を聞きました。

 

私はこういう気づきは素晴らしいことだと思うし、この年齢でその体験をしたことはとても貴重だと思います。そういう感謝を持ち帰って、日本の家族に伝えることで、留学は成功だと考える人は多いはずです。

 

ただ、知っておいてほしいのは、その中に少数でも「次に繋げる人材(学生)」がいるということ。

そしてその「次」というのは、グローバルレベルの行動です。

 

例え留学が一週間であれ、一年であれ、今回の留学は次への踏み台でしかなく、その小さなステップを積み重ねて、将来的に、国境も国籍も関係ないレベルで勝負するようになる学生というのが、実はその中にいるのです。

 

「必ず親を説得して、大学でアメリカに戻ってきます」と言った子は、自分でコミカレのカウンセラーに会いに行ってたし、「大学ではこういう勉強をしたいです」とはっきり言った子は、アメリカでの勉強法を完全にマスターしていました。

 

「この子達は、きっと戻ってくる」

 

そういう目に見えない「次」を形にできる子達を通して、言語力よりも人間としてのスキルが何よりも大事だということを実感しました。

  • 他人に共感する力
  • 自分と異なる意見を聞く力
  • 妥協する力
  • 新しいことに挑戦する力

・・・と、彼女達に必要なものは色々とあるだろうけれど、それはなんとなく私の中で「この子達は大丈夫だな」と思わせてくれるものだったのです。

 

もちろん「外国語を勉強する」という経験を通して、他人への忍耐力はつくし、相手を理解しようとする努力をします。

ただ、アプリやウェブサイトがこれだけ充実した今、20年前のように word-to-word で正確な翻訳ができる能力が、全人類に必要かと言われると、私は疑問です。ググれば単語なんていくらでも出てくるし、正しい文法も瞬間的にチェックしてもらえる。

それよりも、AIやデータではなく、人間にしかできない経験というものを見極め、そこから自分の手で何かを築き上げるスキルのほうが、これからの時代にもっと必要なのでは、と思うのです。

そんなことを考えると、我が家の日本語教育はかなりもやっとしたものになったけれど、言語学習は本人達の意思に任せているし、もっと内面的でユニバーサルなソフトスキルを考慮するのも、我が家においての親の役割かなと思っています。

 

どうでしょうか。

 

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