本との出会い

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こんにちは、Erinaです。

 

読書(特に村上春樹)が好きな私ですが、やはり、大好きになれる本との出会いというのはそんなに簡単なものではありません。

 

いわゆる「ジャケ買い」で失敗したこともあるし、成功したこともあるし、名作と呼ばれる作品にピンとこなかったり、さすが!とあっという間に読み終えたりした結果、一つの作品に対する感じ方というのは、人それぞれであり、人それぞれであるべきだ、と思うようになりました。

だからこそ、大好きだ!と思える本と出会った時は、一生の親友を見つけた気分になるし、本との出会い方というのは一生もののスキルなんだな、と思うようになったのです。

 

このブログでも書いていますが、うちの8歳になったばかりの娘は本の虫(英語で Book worm)と呼べるくらい読書が大好き。どんなに疲れていても、風邪をひいていても、寝る前に必ず本を開いて、それを読んでいるうちに眠ってしまう子供です。

 

先日、カンファレンスで、彼女の先生にこう言われました。

 

「娘ちゃんは、自分に合った本を見つけるのが上手です。簡単すぎず、難しすぎず、自分が読みたい本をよーくわかっています。」

 

そんなことが報告の対象になるなんて、今まで考えたこともなかった私ですが、やはり、子供が人生において読書を続けられるかどうかを考えた時、自分に合った本を見つける、というのは重要なポイントで(これはこの記事で書きました)、そうか、娘はそこはクリアしているんだな、と思ったのです。

 

 

 

私は子供の頃から、何かを強制されるのが大嫌いで(笑)、特にそれが「読書」というものならなおさらでした。

小学校の夏休みの読書感想文では、「この中から選べ」という推薦図書のリストがあったのだけれど、「読む本くらい自分で選べる!」と思っていた私は、変な本を選んでみたり。

小中学ではマンガばかり読んでいたけど、それもやっぱり人気作品というものを外れていたし、とにかく読書に関しては、我が道を行く、な子供でした。

 

今、自分の子供達や、周りの子供達を見て感じることは、「読む本くらい自分で選ばせたほうが良い」ということ。まぁ年齢制限があるものとか、暴力的なものとかは除き、子供の興味に、親や教師が枠を作ってはいけないと思うのです。

うちの母が偉かったな、と思うところは、私が読む本に反対したり、制限したりしなかったこと。(というか、一緒になって読んでいた)

だから私は少年マンガも読んだし、少女マンガも読んだし、どちらからも得られるものがありました。

 

本という媒体は、ものすごく自由で、クリエイティブで、一つの世界として完結している素晴らしいものです。

新しいボキャブラリだけじゃなく、人間の心の移り変わりや、行動だとか、社会現象だとかを、自分で実際に体験することなく頭に入れることができる。

私自身が、一人の人間として経験できることって制限があります。1日24時間しかないし、物理的な制限だってある。

だけど、本を読むことで、誰かの人生を疑似体験できて、そこでの失敗や成功を自分の人生に応用することだってできる。

読書が好きな人は、読書のそういう素晴らしさを知っていて、素晴らしい本というのは、一人の人間として、同感できたり、同調できたり、いや、それは違うだろ!と思える友達みたいなものなのです。

 

だから、子供が自然に友達選びをするように、本選びもできるようになるべきなのです。親が、「Aちゃんと遊んじゃだめ!」と強制できないように、「この本を読んじゃだめ!」と強制もできない。

子供は一人の人間として、自分の個性を生かせる友達選びをし、自分の個性を生かせる本を選ぶ、と私は思います。

 

本の読み方というのも、人それぞれだと思いますが、私の本の読み方は、やはり人との付き合い方に似ています。

 

それは、どちらも、「狭く深く」ということです。私はどちらかというと、社交的な人間ではなく、数少ない友人とじっくりと深く付き合うほうが好きです。

本も同じで、話題の本を手当たり次第、読むのではなく、一度、「良いなぁ」と思えた本を、何度もなんどもリピートします。

そうやって読んだ本は、ストーリーを人に説明できるくらいだし、好きなフレーズを暗記できるくらいになりました。笑

迷った時や疲れた時に、「あぁ、あの文章を読みたいなぁ」とその本に戻ってくる瞬間っていうのは、「ちょっと聞いてよ〜」と親友に会いたくなる瞬間に似ています。

 

たとえば私にとって、「家族」ということを考えた時に読みたくなる本は、江國香織さんの「流しのしたの骨」という作品です。江國さんの他の作品は読んだことはないのですが、なぜかこれは、人生の指針にしたくなる本なのです。

 

実はこの本は、10年間、私の本棚にしまわれる運命でした。

最初にこの本を読んだのは、20代前半。結婚したばかりだった私は、家族のあり方とか、子供の育ち方、というものにそれほど意識は向いていなかったのですが、30代に入って、子供達もそれなりに自我を持ち始めるようになった頃、この本を再び読んだのです。

すると、本の中の言葉や会話が、スーッと入ってきて、私の中で、登場人物たちが自然と動き回るようになりました。

夫婦と4人の子供達のそれぞれのキャラクターや、彼女たちの日常生活のあり方、外からは見えない家族というもの。

そういうものがとても素敵に思えたのは、自分自身が「母親」になって、家族のウェイトが自分の中で大きくなったからなのでした。

 

本も、ワインみたいに、寝かせておくことって必要なんだなと思ったのと同時に、読み手(私)の準備が整ってないと、素晴らしい作品も響かないのだな、と思ったのです。

 

「流しのしたの骨」という作品が、私にとって印象深い理由は、もう一つあります。

私はこれまで、好きな作品というのは、その世界観とかストーリーとか、「全体像」として好きだったのです。だから、本の中に、線を引いたり、ページの角を折ってみたり、印をつけることはありませんでした。

 

だけど、この作品だけは違ったのです。

「ここ、良い!」という一文があって、そのシーンを読むためだけに、この本に戻ってくることが増えたので、最終的にページの角を折ることにしました。笑

特にドラマティックなシーンだとか、ストーリーのキーというわけではないのだけれど、この表現は私には絶対にできないな、と思える一節で、母親という役割をずっしりと描写しているのです。

 

これだけ世界が電子化しても、私はやっぱり紙の本を手放す気にはなれないし、特に一生ものの付き合いになる本というのは、いつも紙の本。

小さい頃、若い頃に出会った本は、何十年経っても私の中で生き続け、一緒に成長しながら、それでもそこにいてくれる、親友のような存在なのです。

 

だから、子供の時から読書が好きで、好きな作家や作品がある人というのは、「親友」のようなよりどころがあると言えるし、そういう意味で、うちの子供達にも読書を続けて欲しいなと思うのです。

 

みなさんにとって、「親友」と呼べる本は、なんですか?

 

 

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。
日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。
アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

One Response to “本との出会い”

  1. avatar

    Sarah

    江國さんの「流しのした・・・」が好きなら、ぜひ彼女の他の本も読んでみることをお勧めします!私もあの独特の江國ワールドが大好きで、単行本化された著書はほとんど全部読んでいると思います。なかでも私が一番好きなのは・・・「落下する夕方」と「ホリー・ガーデン」、この2つが甲乙つけがたく好きかな。「落下・・」の方は、江國さんの作品としては珍しく、「とくに大きな事件もなく日常がさらさらと描かれる」という感じではなくて、割と起承転結のあるストーリーなんですが、このなんとなく不吉な感じがするのに同時に美しい題名が本当に絶妙で、題名の付け方からして天才的だなと読み返すたび思います。独特の世界に引き込まれて読んでいる間ずっとその世界にとらわれているような読書の醍醐味が味わえる本だと思います。
    「ホリー・ガーデン」の方は、私が知る限りここまでリアルに女性同士の友情を描いている小説ってないな、と思う本で、男性同士のような熱い友情とも違うし、かといって表面的な仲良しというのでもなくて・・・年齢とともに離れたり、恋愛関係についてお互い理解できなかったり批判するようなことはあっても、「今までの歴代のどんな彼氏より深い部分で分かりあっている女友達」っていう存在を思い出させてくれる小説です。
    母子が主人公の「神様のボート」がその次くらいに好きです。江國さん自身は子供がいないし、子供のいる生活感があまり感じられない人なので、よくこんなに上手に母子を描けるな、って思うのですが、よーく考えてみると、これは視点が移動しつつも究極的には娘から見た母親の話だということがわかります。これも、読んでいる間ずっと江國さん特有の透明感、寂寥感、現実離れした夢の中にいるような感覚に浸れる本です。千葉や鎌倉の地名が出てくるのに、ちょっとヨーロッパの小さな港町の風景が浮かんでくるような、不思議な感じ。母親としては、娘が少しずつ自分と同じ世界から離れていって、自分の信じるおとぎ話を共有しなくなっていくという寂しさが痛烈で、最近読み直して改めて辛い話だな、って思いました。
    残念ながら江國さんの最近の作品はあまり心に響くものがなくなってしまいました(と言う昔からのファンはとても多いです)。でも人それぞれだと思うので、いろいろ読んでみるといいと思うのですが、ちょっと古いけど、ぜひ上にあげた3冊あたりを試してみてください!

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