結局、コミカレってどんなところ?

こんにちは、Erinaです。

最近、留学ネタが続いてますが、また別の視点でもう一本、行ってみます。

 

数週間前のことになりますが、ここ、サンディエゴで活動するプロボノ団体のJapanese Family Support Center (JFSC)として、あるイベントを行いました。コーヒーショップなどに集まって、少人数であるトピックについて意見交換をする、いわば、”Round table discussion”です。

 

今回はこのなでしこブロガーでもあるMikaさんにリードをお願いし、「コミュニティカレッジ(通称コミカレ)」をトピックにしました。

参加者のみなさんは、勉強したい分野があって質問をしにきてくれたり、自分のコミカレでの体験を元・学生としてお話ししたり、もちろんMikaさんはコミカレで働くカウンセラーとしてお話ししてくれたりと、とても多角的な意見交換の場所になりました。

 

 

日本人にとっては、知ってるようでよく知らない「コミカレ」ですが、私自身の体験を基にすると、コミカレは

「アメリカで、ピュアなアメリカ人たちと勝負したいなら行っておくべき場所」

と言えます。

 

私たち日本人は、ここアメリカでは、確実に超がつくマイノリティ(少数派)です。

言葉も、文化も、教育も、意識も、常識も、何もかもが生まれ育った環境のもの(ネイティブ)とは異なります。

「アメリカで成功してやる!」と思って渡米するというのは、敵地に一人で乗り込み、そこで勝負するということに他なりません。

しかしコミカレは、私たち外国人にとって、その敵地における勝負に備えるためのトレーニングができる最高のベースキャンプなのです。

 

 

アメリカンドリーム 

私が初めて「アメリカンドリームは実在する」と感じたのは、コミカレに通っていたときでした。

それは、自分がどこからやってきたとか、肌の色とか、お金を持っているかなどに関係なく、クラスルームというフェアな場所で、「どれだけ結果を出せるか」というシンプルなものさしだけが使われるということでした。

「やればやっただけ、やらなければやらないだけ」結果が出るのです。

書くことが好きだった私は、英語のクラスでは成績が良く、アメリカ人学生たちがヒーヒー言いながらエッセイを書いているのを横目に、教授たちから褒められたことや、クラスの優秀ライターとして教授が本をくれたことなど、とても鮮明に覚えています。

数学のクラスでは、テスト前にはクラスメートと朝4時まで勉強しました。あっという間に朝が明けるまで、微分・積分や線形代数の問題をあーだこーだと言いながら、一緒に解いたものでした。

 

それまでは、何もかもに手抜きをしてきた当時の私にとって、自分の性格とポテンシャルを見直すチャンスでした。「何事もなせばなる!」と思えたこの体験は、若いうちにできて良かったことの一つになりました。

 

 

コミカレの意味

参加者の方から、こんな質問がありました。

 

「グロスモントカレッジの、ある医療系プログラムに興味があります。これは、私立の専門学校のようなところでも同じ資格をとれます。

でも、就職となるとコミカレ卒のほうが強いみたいなのです。

この2つの学校の違いは何ですか?」

 

というものでした。

 

私が思うに、「コミカレ」はあくまで「高等教育の場所」なので、専門資格に加えて、一般教養などの授業もとることになります。

アメリカが学歴社会と呼ばれるのは、このような一般教養をきちんと理解し、履修した人材というところにクレジットをくれるので、資格だけをとった人材に比べたら、雇用における市場価値が上になるのだそうです。

英語で言う「学歴」は、日本語で言う「教養」に近いところがあります。

専門的なスキルや知識に加えて、学士レベル、修士レベル、博士レベルの教養がある、という意味です。なので、「学歴社会」と言ったときに直接的に重要視されるのは、大学名よりも「学位」に意味があることのほうが多いです。

 

 

自分の道を切り拓く

Mikaさんが、自分の大学と大学院の経歴と、現在の仕事の話をしてくれました。

 

「当時は、この職業に就きたいからこれを勉強する、とは考えていませんでした。

そのときどきでやりたいことを選んで勉強して、今に至ります。

気づいて振り返ってみたら、自分の後ろにはちゃんと道ができていた、という感じです。」

 

この発想は、なかなか日本人には難しいかもしれません。

 

というのも、日本の教育システムというのは、子供の頃から、

 

「この企業に就職したいなら、この大学。この大学に入るためにはこの高校、そのためにはこの中学・・・。」

 

と、ゴールから逆算し、それを手前から一つずつ穴埋めしていく人生選択を教わります。言うなれば、「逆算穴埋め方式」。ってそのまま。

これは今の自分のためじゃなく、来年の、10年後の、30年後の自分のための選択肢です。

その逆算が計画どおりに行くとは限らないことは、大人の私たちが身をもって証明できるはずですよね。(笑) なのに、どうしてそれを次世代の子供たちにも強要するのか・・・・私には疑問なわけです。

 

まぁとにかく。

人間とは新しいことを学ぶたびに、「探究心」とか「興味」が生まれるもの。

「やっぱりこっちを勉強してみたいかも。」

「あの仕事ってどんなことだろう?」

こういう気持ちが生まれることは当然のことなのですが、日本のような逆算穴埋め方式しか教わらなかったのでは、方向転換をするのがとても難しいのが現実です。

 

 

先日、英語のある記事を読みました。Sheryl Sandberg著の”Lean In”だったかもしれません。

 

「現代のキャリアの形は、Corporate “Ladder”から、Corporate “Jungle Gym”になってきている。」

 

というものでした。

少し前までは「コーポレートラダー」、つまり会社で昇進するには「はしご」がイメージされていました。

「はしご」というものは一人ずつしか上れませんよね。つまり、上るためには、他の人と競争したり、一歩一歩同じ方向で進み続けるしかありません。

 

しかし、これが最近では「コーポレートジャングルジム」と呼ばれ、イメージとしては、様々な場所から頂上に行けるジャングルジムになっているとのことです。

 

つまり、「直線的」なはしごから、「非直線的」なジャングルジムへ。

数学的に言えば「一元的」な旧キャリアスタイルから、「多元的」な新キャリアスタイルへ移行しているというのです。

 

これは企業という場所が多様化し、今日では様々なスキルや経験、人間としての+αが重要視されている証拠だと思います。

従来のような、「これをすれば昇進への道」という保証はどこにもなく、自分自身で未来を切り拓き、企業やコミュニティに利益をもたらせる人材が、ジャングルジムに残っていくのです。

これがMikaさんの言った通り、「気づいたら後ろに道があった」ということだと私は思いました。それは誰かに用意された道でもなく、逆算穴埋めをしてきた道でもありません。

アメリカ国内でも、このような社会構造の変化が起こっているというのは興味深いですし、日本も遅かれ早かれ、このような兆候を無視せずにはいられないはずです。

 

ちょっと話がずれましたが、コミカレを体験した学生は、このジャングルジムでサバイブする能力が鍛えられている人が多いです。

それは、物事を多角的に捉え、利用できるものを把握し、問題を解決するというトレーニングが、クラスルームが小規模なコミカレでは日常的に行われているのです。

 

「四年制大学では、学生は『数字』でしかない。コミュニティカレッジでは、学生は『パーソナリティ』である。」

 

というフレーズを読みました。

どうしても教室が大規模になってしまう四年制大学では、学生は一人一人の個性が生かせません。学問に必須の「どうしてそう思うか?」にじっくりと時間をかけて弁論し、煮詰めて、新しいものを形作るチャンスがなかなか回ってこないのです。

この経験は、学問分野だけでなく、世界を二次元、三次元で見渡すためには必要なスキルと言えます。

 

 

 

コミカレの素晴らしさは、足を踏み入れてみないとわかりません。

そしていったんそれに病み付きになると、「いつかはコミカレで働きたい!」と思う人たちが、アメリカには本当にたくさんいます。

それはコミカレには、独特の情熱やヒューマニティ(人間性)が存在し、それだけ人々の人生に影響を与えてきたからだと思います。

 

 

どうですか?

コミカレ、ちょっと行ってみたくなりませんか?

 

 

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