アイデンティティの断捨離

こんにちは、Erinaです。

 

「アイデンティティの断捨離」とは、私たちのような移民が外国生活で通らなければならないあるプロセスのこと。(私の造語です笑)

 

今日は、外国生活を送る上で、永住を見据えた移民一世が感じるジレンマについて書いてみたいと思います。

 

 

「外国生活をしたい」

「アメリカに移住したい」

「国際結婚をして旦那の国に移住する」

 

 

という声を聞きます。

特に日本はまだまだ外国人受け入れが進んでいない島国であり、日本で生まれ育った日本人が「外国」というものに憧れをもつことは当然のことでしょう。

 

私も子どもの頃からアメリカへの憧れがあり、異文化、英語、外国人・・・という異質なものと暮らすというイメージは、とてもキラキラしていました。

 

大人になって、実際にアメリカに14年間暮らしてみて感じたことは、やはり「良いことばかりではない」ということ。

それは「悪いこと」と言うよりはむしろ、「切ないけど受け入れなければならないこと」の多さに驚きました。

 

アメリカという国は、私たちのような外国人に対して懐の深い国であり、それが「アメリカンドリーム」と言われる理由だと私は思っています。

母国では想像もつかなかったようなことが許され、自分で人生を切り開いていく機会がその辺にゴロゴロと転がっている。

その懐の深さに魅了され、アメリカにやってくる移民は毎年たくさんいて、それがこの国をユニークな場所にしているわけです。

 

同時に、新しい何かを得るためには、古い何かを捨てなくてはならない。

 

母国で培った常識だったり、価値観だったり、言語だったり、人間関係だったり。

 

それを「アイデンティティの断捨離」と私は呼んでいます。

 

 

 

昨今、流行っている断捨離。

 

私もこの考え方はとても好きで、古い洋服という物質的なものだけでなく、エネルギーという意味で古いものはどんどん捨てよう!ということを取り入れています。

実際に、クローゼットを片付けて寄付をした次の週に、別の人からお下がりをもらった・・・ということが頻繁にあったり、気持ちの整理をつけた途端に新しい出会いがあったりと、色々な実証が自分の中であるからです。

 

それは「新しいものが入るスペースを作る」という作業であり、古いものに別れを告げることで次のステップへ進む儀式であり、それを外国生活でも応用しよう、というのが私の考えです。

 

「古いものを捨てる(ここでは手放す)」は英語で“let go of stale things”という感じでしょうか。

ここでの「古い」は”old”ではなく、”stale”のほうが適切ですね。時間的に古い(old)というより、自分の中で古いものという意味です。

 

“Some people can let go of stale things and memories, but it could be hard for others.”

「古いものや思い出を捨てられる人もいるけれど、中にはそれがなかなかできない人もいます。」

 

って感じかな。

私は「去るものは追わず主義」で”attachment”(執着)がない人間なのでこの作業は得意ですが。

(なかなかモノが捨てられない人は、ぜひ呼んでください。代わりに断捨離屋として処分してあげます。笑)

 

 

私がこの「アイデンティティの断捨離」という作業の必要性を感じたのは、留学一年目を終えて、初めて日本に一時帰国したときでした。初めての外国生活を一年終えて、自分の中では「凱旋帰国」だったわけです。

 

友人たちや家族との久しぶりの再会。

 

しかしそこには、想像していたものとは少し違う感情がミックスされていました。

 

「会えて嬉しい」という気持ちが60%くらい

「みんな別々の道を歩き始めた」という発見が20%くらい

「やっぱりアメリカが良い」という再認識が20%くらい

 

だったのです。

 

その中でも、

 

「みんな別々の道を歩き始めた」

「やっぱりアメリカが良い」

 

という気づきは、外国生活から一時帰国した人なら誰でも感じたことがあるでしょう。

 

これは“Reverse Culture Shock”(逆カルチャーショック)とも呼ばれ、私も大学の異文化コミュニケーションのクラスで教わりました。

 

どういうことかと言うと、「外国生活を終えて母国に戻った人が、母国で感じるカルチャーショック」のことを指します。

「えっ!日本ってこんな感じだったっけ?!」っていうアレですね。

 

このクラスの教授は中国系の移民だったのですが、彼女自身の体験をもって説明していたし、同じく移民の私が共感できる部分もたくさんありました。逆に、同じクラスのアメリカで生まれ育ったアメリカ人学生たちは、この用語にあまりピンと来てなかったみたいですけど。笑

 

 

移民一世というのは母国(私の場合は日本)においても、移住先(アメリカ)においてもユニークな存在です。

日本しか知らない日本人とは違うし、だけど純アメリカ人にもなれない。

言ってしまえば、どっちにも混じることができない。

 

そういう現実を孤独と感じる人もいるでしょう。

 

今までは目に入らなかった、母国の嫌なところや足りないところに気づくかもしれない。

移住先が「肌に合う」と実感するかもしれない。

「やっぱりアメリカが良いな」と無意識のうちに母国と比べているかもしれない。

 

そういう自分の中の気持ちの変化に気づいたとき、「私って日本人なの?アメリカ人なの?」というジレンマに陥るのは当然のことでしょう。

 

このジレンマは、アメリカ人の旦那には一生理解できないだろうなと私は思っているし、アメリカで生まれ育つ私の子ども達もわからないだろうなと思っています。

彼らには彼らのジレンマがきっとあり、移民一世としてスーツケース一つで太平洋を渡ってやってきた私のそれとは違うものなのです。

 

私はそう実感したとき、「自分は一人だ」と思いましたが、それを悲しいと思ったことはありません。

アメリカにやってくると決めたのは、あくまで私自身の選択であり、私自身の人生のためだったから。そこに何があるとかないとか、誰が待っているかは関係なく、14年前のあの日、LAXに降り立ったのは私の決断だったからです。

 

アメリカという国で何を築くかというのは、日々、アイデンティティの断捨離の繰り返しであり、新しい何かを取り入れるためには、やはり古い何かを捨てなければならない。

「日本はこうなのに」を捨てて、「アメリカはこうなんだね」に自分を同化させていかなければならない。

 

そこで生まれる「切ない」という感覚は、英語で言う”Bitter-sweet”で、やっぱり移民一世の人生はビタースイートなものであり、母国にいたのでは感じられない独特の体験がてんこ盛りなわけです。

 

だから今の私は、日本人でもアメリカ人でもありません。

 

「どっち?」と聞かれたら、「どっちでもありません。アメリカ人に限りなく近い、日本からやってきたErinaです。」と言うでしょう。

 

 

 

 

 

“アイデンティティの断捨離” への4件の返信

  1. うぅぅぅん!読み応えがあります!私も最近、私は日本人だとかより、私はりょうこだって思うようになってきてるなと思います。
    あまり日本人であることにこだわりすぎると、アメリカ生活も楽しめないなという気もしてます。

  2. いつも興味深く拝読させていただいております。

    今回は何だか自分の感じていることをずばり言い当ててもらったようでスッキリしました。

    >「自分は一人だ」と思いましたが、それを悲しいと思ったことはありません。

    これ、私も同じ。そういう自分だからこそ面白い決断が出来る場合もありますし・・・。
    基本的に楽観的だというのもあるんですけれど(笑)
    私は断捨離しつつ再構築を重ねたアイデンティティーも悪くないです。

  3. りょうこさん、こんにちは!
    そうですよねー、「私って日本人だな」って感じるきっかけが、年々少なくなっている気がします。良いのか悪いのか・・・w
    そう感じるのは、周りからも外国人扱いされなくなったり、英語とか外国生活っていうハンディキャップを乗り越えた結果なのかとも思ったり。だからこそ、日本に帰るのがちょっと怖いんですけどね・・・。りょうこさんは、日本に一時帰国するときはどんな感じですか?

  4. h42m47さん、こんにちは〜!

    人間、最後は一人ですしね。笑
    自分で自分を満足させられない人間は、誰と一緒でも満足できないだろうし。
    こういうこというと、冷たいって思われるんですが、いやいや、もっと自立しようよと思いますね。

    だからこそ面白い決断ができる、ってわかります!自分ラブ❤️ 笑

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