
子どもの「できない」「わからない」の真意
こんにちは、Erinaです。
数学を教えていて、よく聞く言葉、「できない」「わからない」。
英語だと、”I can’t do it.” または “I don’t know.” ですね。
これらのフレーズは、数学に限らず、子育てをしているとよく聞く言葉です。
この「できない」「わからない」というのは、子供にとってとても都合の良い便利な言葉で、同時に、大人にとってはフラストレーションを感じる言葉でもあります。
特に、アメリカで必要性が高い Critical Thinking において、「どう思う?」と聞かれた時、「わからない」と答える日本人の子どもが多いのは、やはり何かについて意見を持つという訓練が足りないため、この便利な言葉がつい出てきてしまうわけです。
今日は、この「できない」「わからない」という言葉の真意と、その対応について考えてみたいと思います。
子どもが「できない」「わからない」と言ったら、みなさんはどう思うでしょうか?そして、どんな反応をするでしょうか?
「どうしてわからないの?」
「どうしてできないの?」
「だから、こうだって言ってるでしょ。」
そんなことを言った覚えはありませんか?
自分にできることを、相手ができない場合、「どうしてできないんだろう?」と思ってしまうのは当然のことです。しかし、自分にとって当たり前のことは、相手(しかも子供)にとって当たり前じゃない、という事実に気づかなくてはなりません。
そもそも、足し算や引き算、九九を例にしてみると、私たちは数10年の人生において、もう何千、何万回もやってきたわけです。
しかし、子どもにとってはそれほど多くはなく、絶対的な練習量が異なります。だから、大人の私たちほどスムーズに、スピーディにできなくて当たり前なわけです。
なので、まず大人が、「できて当たり前」という固定概念を捨てること、それが最初の一歩。
次に、「わからない」と「できない」というのは、いくつかの思考の解釈だと考えます。
それはどんな思考かというと、
- 「今は、それについて考えたくない」(I don’t want to think about it now.)
- 「今は、それをやりたくない」(I don’t want to do it now.)
- 「今は、それについて話したくない」(I don’t want to talk about it now.)
または、
4. 「そのトピックについて全く理解していない」(I don’t understand anything about it.)
という真意が、「わからない」または「できない」に翻訳されてしまっている可能性があります。
1〜3の場合、解決策としては、「理由を見つけること」が大事です。
どうして、
「今は考えたくない」
「今はやりたくない」
「今は話したくない」
のかを聞き出してみると、
「お腹が空いているから」(because I’m hungry.)
「疲れているから」(because I’m tired.)
「他にやりたいことがあるから」(because I want to do something else.)
という答えが出てきて、目の前の課題とは全く関係ないところに「できない」「わからない」原因があることに気がつきます。
お腹が空いていたり、疲れていたら、やはり目の前の課題はできない、わからない、と思うのは当然のことでしょう。大人だって、そういう理由で、やらなきゃいけないことから目を背けてしまうことはあるはずです。
他にやりたいことがある場合、どちらが大事なのか、または優先順位を教えるチャンスになるはずです。
では、4番目、「そのトピックについて全く理解していない」(I don’t understand anything about it.)の場合。
これが原因の場合、やはり手を出す気になれません。何かを理解するのには、ステップというものがあって、それを大きく飛び越えた場合、理解の範囲を超えてしまうわけです。
この場合、次のアプローチはこう。
「何がわからないか、わかる?」(Do you know what you don’t understand?)
この質問をされて、「この部分がわからない」とピンポイントで答えられる子供は半数くらい。
「あら、どこがわからないかわかってるんだから、エライじゃない」と褒めましょう。
半数は、「自分で何がわからないのかわからない」という状態なので、これも少し大人のガイドが必要になってきます。
特に算数・数学の場合、小学校低学年からの積み重ねが必要なため、昨日今日の問題ではないことが多々あります。
体積の問題につまずいている子でも実は小数が危うかったり、マイナスの計算ができない子が実は分数の足し算・引き算でつまずいていたりして、「どこからできなくなっていたのか?」を探り当てなければなりません。
私が数学を教えていて、難しいなぁと感じるところは、目の前にいる子どもや学生が、何を知っていて、何を知らないのかを発見するところにあります。
誰しも、今日新しく学ぶところの手前までを、完全に理解しているわけではありません。やはり作業途中のジグソーパズルのように、ところどころクラスター(かたまり)として出来上がっていたり、でもその間はつながっていなかったりするのが、普通です。
なので、特に数学がわからないという子どもが目の前にいる場合、その子のジグソーパズルはどんな状態なのかを把握することから始まるわけです。
この作業は、消去法的な地道な作業です。
「これはわかる?」「うん」
「これはできる?」「うん」
「じゃあ、これは?」「うーん・・・」
と忍耐強く聞くことも必要です。
また、「質問で何が聞かれているかわからない」というのは、問題作成者のほうにも非がある、と考えられています。
問題自体がクリアじゃないと、たとえそのコンセプトを理解していたとしても、どうやって取りかかったら良いのかわからない、ということは多々あります。これはやはり、問題作成者のコミュニケーションスキルが問われるところでもあり、これは課題を作った人(先生)に、「この問題ってどういう意味ですか?」と聞くべきです。
こうやって、子どもの頭の中でジグソーパズルを明確化していくと、目の前の課題に取り組むために、その子はどんな知識を必要としているかがわかってきます。
その足りなかった知識というのは、「○○についてどう思う?」という質問に答えるために必要なものだったりして、「そっか、これを知らなかったんじゃ、やっぱり答えられないよね」と大人として反省させられることも。
たとえば、子どもが、アメリカ史のクラスで黒人奴隷制度について、学校で勉強してきたとします。
「奴隷制についてどう思う?」という質問に答えるには、表面的な史実よりもそのコンテクスト(人として奴隷であるとはどういうことかとか、家族との関係など)を知らなければ、個人的な意見を持つことは難しいでしょう。
そういうコンテクストは、私たち大人は、これまでの経験で「だいたいこうだろうな」という予測がつけられるものの、子どもはそうではありません。
つまり、思考力と知識量というのは、相互作用はあるものの、イコールではない、ということであり、その部分を大人がカバーしてあげなければ(つまりある程度の情報が入っていなければ)、思考は成り立たないわけです。
どうでしょうか。
子どもの「できない」「わからない」という言葉に隠された真意と、その対応について書いてみました。