サンディエゴ大停電!!
9月8日木曜日の午後3時40分頃、突然、「カシャン」という音とともに、職場のPC画面が突然オフになりました。
オフィス全体が薄暗い・・・。
「停電だ・・・」
10秒くらい待ってみましたが、電気は戻らず。
隣のオフィスのマリリンに、「これ、よくあるの?」と聞いてみると、ここで5年働いた彼女は「これで3回目」とのこと。
なんだかオフィスがざわつき始め、誰かが「サンマルコスでも停電だって。」
え〜っ!?!?
このブロックだけとかじゃないの?サンマルコスなんて、ここから30マイル(50キロ近く)離れてるのに。
心配になって旦那に電話をかけてみると、ちょうど子供達をデイケアでピックアップするところとのこと・・・よかった。電話も通じるし、とりあえず安心。
そんなことをしている間に、どうやら北はパームスプリングスやオレンジカウンティ、南はメキシコまで停電、とのことが発覚。これは長期戦になりそう、とのことで、全員帰宅の雰囲気に。
そうこうしているうちに、ビルのサイレンが鳴り始め、どうやら強制的にビルから退去することになりました。
地下駐車場に階段で下りてみると、車が全く進んでない様子。そうだよなぁ、これじゃ渋滞で絶対に動かないよ・・・と考え、15ブロック先の旦那の職場(そこに子供もいるはず)まで歩くことにしました。
予想通り、道路の車は全く進んでいません。運動不足なのに歩いている私の方がよっぽど速い。でも、車、どうしよう・・・?
途中で迎えを待つ人々がビルの前に座り込んでいました。中国人っぽい女の子が一人で座っていて、お腹をおさえている。見てみるとどうやら妊娠7ヶ月くらい。
“Are you ok?”
“Yes… my friend is picking me up.”
“Oh, I see. Please take care.”
やっぱりこんな状況だから、つい話しかけてしまう。
フリーウェイの入り口の交差点では、警察が車の誘導を早速し始めている。車を止めて、私が道路を渡れるようにしてくれた。
“Thank you, Officer.”
と言うと、にっこり笑ってくれた。
案の定、旦那のオフィスに子供達もいて、とりあえず安心。よかった。こういう時に家族がバラバラだとすごく嫌だ。3月の東北地震のことを考えずにはいられない瞬間。
私の車はオフィス、旦那の車はガソリン不足ということで、家にはまっすぐ帰れない。とりあえず近くの友達の家まで行くことに。そこでもうちょっと待機してみよう。情報もなさすぎる。
子供にピーナッツバターサンドイッチを食べさせ、冷たい水で体を洗い、薄暗くなってきた頃にSDG&E (San Diego Gas & Electricサンディエゴの電気会社)の報告がラジオで始まる。
「電気の復旧まであと数時間はかかります。」
ということなので、ダウンタウンまで私の車を取りに戻り、帰宅することに。
それ以外に得た情報は、北はオレンジカウンティで停電中。東はなんと、ニューメキシコ州でも停電。原因は、どうやらアリゾナの電気会社の一作業員による人為的ミスらしい。一人のミスでこれだけの影響って・・・どんなシステムなの?と疑問。
サンディエゴダウンタウンはありえないくらい真っ暗で、歩行者も見えない。信号ももちろんついてない。いくつかのビルの緊急時用ライトが見えるくらいで、とても不気味でした。
家に戻ってもまだ電気は戻っておらず、夫婦でラジオに釘付けに。
そういえば、私まだ何も食べてないな。でも食欲もない。
そうこうしているうちに、ラジオで「サンマルコスの電気復旧!ボニータでも!」という報告が入ってくる。うちはいつかな〜と気長に待つけど、気になる。
子供達とほぼ満月のお月様と星を見て、「サンディエゴでもこんなにたくさん星が見えるんだな〜」と初めて知る大停電の夜。あたりはすごく静かで、車の音も、人の声も、雰囲気も感じない。こんなサンディエゴの顔もあったんだ。
一人、眠れずにラジオをもう少し聞こうと起きた頃、我が家にも電気が復旧しました。11時45分。停電開始から8時間後のことでした。
やっぱり日本人である私は、終始、3月の東北地震のことを考えずにはいられませんでした。これで地震や津波が最初にあったら・・・と考えると、パニックにならずにはいられないだろうし、家族と連絡がとれたことがどんなに安心材料になるのか、とても実感させられました。
サンディエゴの人々は、思いのほかパニックになったり人を押しのけたり、ということもなかったようで、少しほっとしました。今回の停電は、色々なところに課題を残していったはずです。アメリカの、サンディエゴの危機管理について、これから少し注意してみようと思います。