アメリカ同性婚合法化について思うこと

こんにちは、Erinaです。

 

もう2週間前のことになりますが、アメリカでは全州で同性婚を合法化するという宣言が最高裁判所から出されました。

 

つまり、ゲイカップルやレズビアンカップルの結婚を公式に認める、ということです。

この動きはアメリカ国内でず~っとありましたが、州によっての考え方の違いや、時代の流れなども影響して、「この州ではオーケーだけど、あの州ではダメ」というものだったのですが、今回、アメリカ全州で認められることになりました。

 

私が今回の全州での合法化について感じることは、「結婚への意識の変化」でした。

それは単純に「へぇ、同性同士でもオーケーなんだ!」ということではなく、「結婚」そのものの人々の定義。

 

たとえば、私がアメリカ人の現旦那と付き合い始めた頃、もし自分に「外国人」というハンディキャップがなければ、「結婚」という形にこだわらず、パートナーとして一緒に暮らすということをしばらくしていたと思います。

それは相手がどうこう、ということではなく、あくまで私の個人的な考えで、「結婚という形はいらない」と思っていたからでした。(旦那がどう思っていたかはわからないですけど・・・・)

 

つまり、「好きな人と一緒に暮らし、欲しかったら子供を持ち、育てる」ということをするのに、「結婚」という形は必要ないと思っていたのです。

 

昔のような「結婚して家族の仲間入りをする」という意識は薄れ、結婚は当事者の決断と同意であり、そして結婚生活を運営していくのも二人の人生である、という考えが強まっているからでしょう。

日本では「事実婚」なんて呼ばれるのかもしれませんが、アメリカにはそのような選択肢に今のところ「言葉」はありません。

 

私の周りにも、そういうパートナーシップの形を選ぶカップルがいて、周りは「結婚しないの?」なんて野暮な質問はしません。「本人たちが良けりゃ、良いんじゃない?」という感じです。この傾向はヨーロッパで多いと聞きますが、先日会ったドイツ人の友人たちもそうで、「結婚はしない」と言っていました。

「合法に結婚しないと一緒に暮らせないのか?」と言われたら、答えは「ノー」ですよね。

私の周りの同性カップルたちは、一緒に家を買い、手をつないで散歩したり、レストランでデートしたり、子供をアダプトして育てたり、今回の合法化以前から幸せな暮らしをしていました。

 

つまり結婚は、好きな人と暮らして家庭を持つためのクオリフィケーションではなく、あくまで個人の選択でしかないという考えに移行していると思ったのです。

 

そしてそれは同性婚・異性婚に関わらず、単純に「人々の意識の変化」であると思います。

 

 

「じゃあどうして今さら、この合法化が必要だったのか?」

 

と思う人もいるかもしれません。

それは、「同性婚の市民権確立」という思想的な部分だけでなく、同性パートナーが合法で書類にサインできるとか、配偶者として法的権威を認められることにつながります。

 

アメリカは「書類社会」で、生活の様々な場面で書類にサインさせられます。

そのときに、パートナーを配偶者として選ぶわけですが、結婚していないカップルはそれができないこともあります。

また、遺産などがある場合、結婚していないカップルは、たとえ長年連れ添ったパートナーでも、配偶者と認められないなどの問題もありました。

そういう事務的な場面で、同性パートナーを配偶者と認めてもらうために、この合法化は必要だったのです。

今まで他の人達は当たり前にできたのに、自分には当たり前じゃなかったことが、今回、当たり前にできるようになった、という意味でおめでたいと思うし、守られるべき人が法的に守られるようになるという意味で私も嬉しく思います。

 

ただ、パートナーが同性・異性に関わらず、「結婚」は幸せの保証ではなく、「幸せとは何か」というものは結局のところ、当人達が決めるものであり、外からは見えてるようでも見えないものですよ、ということだと思うのです。

 

 

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