脱”Should”宣言

こんにちは、Erinaです。

 

みなさん、”Should”という単語は知っていますよね。

日本語の「~すべきだ」「~であるべきだ」という意味です。

今日は、この単語についての私の個人的なエピソードと、それをきっかけにして出来上がった、

 

「言葉の選び方=生き方」

 

について書いてみようと思います。

 

英語にも、「ネイティブスピーカーが嫌う単語」というのがいくつかあって、この”Should”もその一つに入っていると思います。

 

私が留学生として、ホストファミリーのおうちにやってきた当初。

ホストマザーのフランシーに「あなたにはTrue Englishを教えるから」と言われ、それこそ発音から発声、単語の使い方や時制など、かなり事細かくレッスンしてもらいました。

 

そしてこの”should”もその一つでした。

 

ある日、私が

 

“I should study XXX.”

“I should do XXX.”

 

なんて使い続けていたのを聞いたフランシーは、「”Should”はやめなさい。」と言ったのです。

 

そして「その代わりに、”want to”を使いなさい」と。

 

それはつまり、「XXXを勉強するべき」と自分に言い聞かせるのではなく、本当に自分のやりたいことを選んで、そちらを勉強しなさい、という意味でした。

 

当時の私は、生物学を勉強するために渡米したものの、化学の実験が好きじゃないことがわかったのと同時に、数学の楽しみを発見したところ。

でも、「専攻を変える」=「卒業が遅れる」ということを心配した私は、自分の心に素直になるのではなく、頭で考えて「自分はこうするべきだ」と言い聞かせていたのでした。

 

フランシーの言葉をきっかけに、私は「Shouldは使わないようにしよう」と自分に言い聞かせ、つい “I should….” と口から出そうなときも、言い直したり、フレーズを考え直すようになりました。

 

どうしても何かやらなきゃいけないときは、”should”の代わりに”will”を使うと、「やらなきゃいけないからやる」(受身)のではなく、「自分で決めてやる」(自発)という変化も起こります。

 

たとえば、

 

“I should clean up my closet.” —> “I will clean up my closet.”

 

だと、受ける印象が違いますよね?

 

 

“Should”という言葉は、どうしてもその対象者に、威圧感とか責任感(obligation)を与えてしまいます。

「こうあるべき」という考え方は、「こうじゃなきゃいけない」になり、色々な可能性や、自分の中の本当の自分(authentic self)をガチガチに縛り付けてしまうのです。

 

この「”Should”ではなく、”Want to”な生き方」という考えは、今の自分にも影響しています。

 

周りから見てどうかとか、他人から評価されたらどうか、ということよりも、「私が本当にやりたいこと」を見極めて、それを追究する人生は100倍楽しく、カラフルで、tastefulだとわかったのです。

 

 

そして、その付加価値として、自分にShouldを課さないと、他人にも課さないということがわかりました。

つまり、”You should wear this to work.”とか、”You should clean your car.”のような、「あなたはこうするべきだ」と思わなくなったのです。

 

これは結果として、現在の旦那との関係に直接的につながったなぁと思います。

相手に「こうあるべき」「こうするべき」と期待しないことで、彼のあるがままを受け入れ、感謝し、お互いを楽しめるようになったのです。

 

留学当初、ホストマザーのフランシーがそこまで見据えてアドバイスをくれたかどうかはわかりませんが(いや、彼女なら見据えてたかも・・・)、この「脱”Should”宣言」は、結果として、様々な場所での人間関係で役に立っているわけです。

 

フランシーいわく、”Should makes a person feel powerless.”

 

「Shouldという言葉は、その人のパワーを奪ってしまう。」とのこと。

 

ここでの”power”とは、その人らしさとか、その人が持つ良い影響力とかエネルギーみたいなものです。

 

どうでしょうか?

 

“I should….”というフレーズばかりを使って、自分で自分のパワーを、奪っていませんか?

 

 

 

 

 

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