ついて行かない選択

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こんにちは、Erinaです。 私が現在の旦那と結婚する前、ある約束をしました。

 

それは、「旦那がリタイヤしたら、彼のホームタウンであるケンタッキーに引っ越す」ということ。

 

彼が故郷のケンタッキーを離れて数十年。

残してきた両親や弟妹とまた近くで暮らしたいと思い始めたようで、リタイヤしたらケンタッキーに引っ越そうと思っていた彼。なので、私たちが結婚するとなったときに、「将来的にケンタッキーに引っ越しても良い?」と聞かれ、私は「良いよ」と答えました。

 

当時、学生だった私は、ここサンディエゴに仕事があったわけでも、仲の良い友達がたくさんいたわけでもなく、身軽だったし、ケンタッキーの気候は北海道よりも温暖だったし、でも四季もあるし、「ケンタッキーで暮らす」ということにノーを言う理由はありませんでした。

しかしここサンディエゴで大学を卒業し、仕事が決まり、子どもが産まれ、そしてまた日本人コミュニティとのつながりができてくると、その気持ちがまた揺らぎ始めました。

加えて、旦那は「具体的にいつリタイヤするか」という計画を自分の中でも決められないらしく、それが私の決断を余計に鈍らせました。

 

 

3年前に今の家をサンディエゴで買うと、ケンタッキーに住む彼の弟妹が、「もうこっちに戻ってくる気はないのね」と言いました。

もちろんそんなつもりではなかったけれど、「まぁそういう風に思われても仕方ないかもな」と私は割り切ることにし、優柔不断な旦那を見ていても、ケンタッキーへの引越しはまぁここ数年で起こる話ではなさそうなので、放っておくことにしました。

 

 

ある日突然、彼はこう切り出しました。

 

「エリナはさ、ケンタッキーに引っ越す気持ちはないでしょ」

 

「いや、それは私の決断じゃないし。でも、うん。強いて言うなら(その気持ちは)ない。」と私は答えました。

 

彼はきっと、リタイヤしてケンタッキーに行くことに対して、私に背中を押して欲しかったのだ。私に「早くケンタッキーに引っ越そう」と言い出して欲しかったのかもしれない。

ちょっとずるいなと思いながら、「あなたがどうするかは別として、私は完全移住する気はない。」と答えました。

 

「結婚前と違うじゃない。」

 

また、ずるいなぁと思いましたが、私はこう言いました。

 

「じゃあ、あのときに『ケンタッキーには住みたくない』と答えていたら、私と結婚しなかったの?」

 

「・・・・それはするどい質問だ。」

 

「ね、あそこで『ノー』って答えて、不満を持っての結婚をスタートさせたくなかった。嘘ついたわけじゃないよ。あの時は本当にケンタッキーに行っても良いって思えた。だけど、時間が経って、色々なことが変わったじゃない。」

 

そっちが10年も待たせたくせに、と言いたかったのを抑える。

 

「子ども達だって、この環境で育ってる。私も仕事や日本人コミュニティで居場所ができたし、このライフが好き。学生だった頃とは違うんだよ。」

 

「・・・・・。」

 

「だけど、あなたが行きたいって言うなら、私は止めない。夏休みだけとか、期間限定でまずは行ってみたら良いじゃない。」

 

「・・・・そうだね。」

 

私がいてもいなくても、どうせ数年に一度しか里帰りしないでしょ、と言いたかったのだけど、それを言うのもやめた。ここで彼を責めるような女にはなりたくない。

 

人間、10年も経てばいろいろなことが変わる。それは事実だし、現実だ。

まして私は20代という怒涛の時期を含めた10年だった。

結婚を続けていく中で、環境とか周りの人々というのは入れ替わり立ち代わりで変化する。

どちらが正しい・間違っているという議論をするよりも、そういう変化に柔軟に対応しながら続けるのが「結婚」なんじゃないの?と私は思った。

 

加えて、私は個人的に「決断力」というものが余りに余っていて、ご近所におすそ分けしたいくらいある。

こういう大きな決断も、やはり私のほうができるんだな、女性のほうが思い切りが良いのだろうか。それともこれはウチだけなのだろうか。なんて疑問が生まれる。

 

我が家はきっとこうやって夫婦のバランスがとれているのかもしれない。

 

 

彼と結婚して10年ちょっと。

結婚前に付き合ったのが1年ちょっと。

付き合い始めてすぐにほぼ同棲になって11年、別々に寝たことは数えるくらいしかない。

最初の年に私が日本に里帰りした3週間と、数年前に私が出張に行った3日くらい。

 

それまで、昼間はそれぞれに別行動でも、夜は同じ家に帰ってくるのが当たり前で、それを疑うことなんてなかった。

私はもともと一人でいるのが平気な人間だし、彼もそう。お互いにものすごく独立した人間同士なはずなのに、こんなに生活を共にしても嫌じゃないというのが、自分でも不思議な結婚生活なのだ。

 

 

でも、今回のケンタッキー移住の件で感じたことは、「離れてみても大丈夫」ということ。

それはお互いのやりたいことやライフスタイルが違うからと言って、愛情が減ったわけではないし、距離が欲しいわけでもない。

むしろ相手を信頼しているからこそ言えることなのだと思った。

 

私は旦那が彼の人生を楽しむために、やりたいことがあるならやってほしいし、私のために我慢して欲しくない。

きっとそれは彼も同じで、迷っている私を無理強いしてケンタッキーに移住させるようなことは絶対にしない。

離れて寂しい思いはあるかもしれないけれど、私には私のやるべきことがあり、彼には彼のやるべきことがある。

それをお互いにリスペクトできるから、私たちは夫婦になったのだ。

 

そう思えるようになってから、次は一人で日本に里帰りしようと思えた。

 

子ども達とそんなに離れるなんて考えたこともなかったけれど、一週間くらいなら大丈夫なんじゃないか、と思えた。

 

前回、日本に帰ったのは7年前。

「4人で日本旅行」となると、経済的にも時間的にも精神的にもハードルが高くて、なかなか踏み切れなかった。

だけど、一人でちょっと行ってくるわ、ならそれほどでもない。

 

そう言うと、旦那も「今年の夏はケンタッキーに里帰りしてくる」と言った。子どもも連れて行くのか、一人で行くのかはどっちでもよいのだけれど、「オーケー、行ってらっしゃい」と言える自分に気づいた。

 

 

 

人生の選択肢は、「みんな行く」か「みんな行かない」だけじゃない。

 

「私だけ行く」もあれば、「私だけ行かない」もある。

 

 

そして、行くといっても、完全に行くのではなく、「ちょっとだけ行ってみる」とか「とりあえず行ってみて、残るかどうか決める」でも良いのではないでしょうか。

「旦那の海外駐在・留学についていくかどうか」と悩む日本人妻は多いけれど、完全に生活の基盤を移すというのはやはりとても大変な作業です。だから、「最初からまるまる100%じゃなくても良いや」と思えたら、少し深呼吸できるスペースが生まれて、周りがよく見えるようになるかもしれません。

行かない決断をしたとしても、仕事や子どもを言い訳に使う必要はなくて、「私は今ある生活が好きだから、行けない」という気持ちを理解してもらうコミュニケーションが必要だし、そのためには、お互いが精神的に自立していて、「○ヶ月くらいなら離れても大丈夫だよ」って言ってあげられる信頼とか愛情をそれまでに築き上げてきたかがキーになってくるのではないかな?と思います。

 

今、我が家のケンタッキー移住計画には様々なオプションがあって、「夏だけ子どもを連れて行く」とか「私も最初の一週間だけ行く」とか新しい可能性も生まれました。

 

良いじゃない、そういうのも。

 

白か黒かだけじゃないし、苦痛しかない団体行動をすることが家族じゃないと思うし。

 

人生の選択肢は、自分たちで作るから面白い。

 

今日の悩みや苦しみも、将来は「そういえば、ああいうこともあったよね」って笑える時間が過ごせるような、そういう夫婦でありたいなと思うのです。

 

 

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

2 Responses to “ついて行かない選択”

  1. avatar

    Ako

    Erinaさん、ありがとうございます!
    もっと肩の力を抜いて、柔軟に、私らしく、そして楽しみながら♪

    このブログをお守り代わりにとりあえずアメリカで生活してみます。

  2. avatar

    Erina

    Akoさん、こちらも読んでくださってありがとうございました!
    リラックスして楽しみましょう♪
    またいつでも読みにきてください。

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