宇多田ヒカルが母になったら
こんにちは、Erinaです。
先日、発売された宇多田ヒカルの新しいアルバム「Fantome」をiTunesで購入して聞いています。ちなみに日本でCDを買うより安いです。
私は彼女とは同学年で、高校時代のあの電撃デビュー以来、彼女の音楽が好きでずっと聞いています。
アメリカと日本のダブルアイデンティティの中で育ち、幼い頃からおそらく一人の時間をたくさん過ごした彼女。
お母さんの死や、結婚・離婚・再婚・出産を経て、今回、一体どんな音楽を書くのだろう?と半分期待、半分不安に思っていたのですが、聞いてみて、「さすが!」と思いました。
あの宇多田ヒカルが母になったら、こういう作品を作れるのか!と心から感動しました。
それは、ワーキングマザーとして、生活の中にある様々な制限の中で、苦しいことや辛かったこともすべて栄養にして、自分の才能の使い方を知っている女性はとてもパワフルであるということ。
彼女の場合、一挙手一投足がメディアに取り上げられて、きっと不自由なこともあるのだろうけど、そんな中で「自分」という軸をきちんと持って、ひょうひょうと生きることの強さ。
あー、強いな。
波の流れに対抗することや、「私はこうなんです!」と主張することばかりが正解ではない、と知っている人は強い。
私も、一人っ子+ワーキングシングルマザー家庭で育ち、一人の時間を過ごすことが多かったので、一人でいることをとても居心地良く生きてきました。
なので、家族、というか子どもという存在が自分の殻を破ってくれることに対して、想像ができなかった。自分の世界が壊されるということが想像もできなかったのだけれど、自分の子どもというのはとても優しくそのプロセスを行ってくれるもので、苦痛を伴わないというのは、やはり実際に子育てをしてみて気づいたことでした。
宇多田ヒカルの今回のアルバムを聞いて、今の彼女の生活は、そういう優しい気持ちや愛情、そして感謝で満たされているんだな〜とわかったし、聞いてて何より安心しました。
10代〜20代の時は誰でももてはやされていても、結婚したり、子どもが生まれたりしたら全く話題にも上らない「時の人」になってしまうというのは日本特有の文化だと私は思います。
そんな中で、バージョンアップした30代のワーキングマザーが、こうやって、30代だからこそ持てる魅力をひっさげて戻ってきたことは、同じ立場の一人の女性として、心強く、自分の過去を相手に戦う必要はないのだ、と気づかされた気がしますね。
同時に、
「娘」から「母」になることはどういうことか
という感覚を、彼女独特の美しい日本語で描写しているのはやはりアートだなと思いました。
これまで、「与えられる側」だった娘から、「与える側」の母になることは、孤独な道。それはパートナーがいる、いない、に関わらず、「母になる」というのはやはり自分自身と向き合うプロセスであり、新しい命につなげる作業というのはとても尊いもの。
いや〜、すげーな。笑
宇多田ヒカル、すごい。
ありがとうと言いたい。
このアルバムを、すべての母たちへの応援歌と思って私も精進します。
私も母親であることを武器にできる強さと賢さを身につけよう。
・・・という独り言な記事で失礼しました。