私が若い時にやりたかったこと
こんにちは、Erinaです。
サンクスギビングホリデーの最中、24年ぶりに25歳のいとこと再会しました。
当たり前ですが、彼の方は私のことを全く覚えていなく、当たり前ですが、私が覚えている彼とは全く別の青年になっていました。笑
彼とじっくり話した5日間に、私は自分が若かった頃(いや、今でも若いんですけど笑)のことを考える機会がすごくあったのと同時に、今の自分が進もうとしている道というのは、当時も今も、自分の原点に近づこうとしているのだな、と気づいたことがあったので、ちょっと書いておきたいと思います。
私は日本の高校時代〜浪人時代、やりたいことが一つありました。
それは「バックパッキング」。
そう、バックパック(日本語のリュックサック)一つで、世界中を旅することです。
旅行会社のツアーではなく、自分で行く国を決め、滞在する場所を決め、お金がなくなったら帰国する、というあれです。
各地の格安ホテルやユースホステルを探し、他のバックパッカーたちと情報交換をし、地元の人たちとコミュニケーションをとり、見たい風景を見て、地元民が食べるものを食べる、というのが17〜19歳くらいの私の夢でした。
そしてその道中で出会った世界中の子供達の写真を撮る、ということをやりたかったのです。
私は昔から、世界で起こっている戦争や飢餓など、自分には想像もできない生活を送っている子供達に強く魅かれるところがあって、戦争の前線ではなくて、そういう影響下で生活している子供達が、どんな人生を送っているのかに興味がありました。
だから、彼らに会うために、バックパッキングをしたかったのです。
しかし、アメリカ留学を経て、私の目標は「バックパッキング」から、「1日でも早く大学を卒業し、親から自立すること」になりました。そんなわけで、学校を休学することも、長期旅行をすることもなく、大学を卒業し、就職し、家庭を持つことになりました。
今となってはバックパッキングは「あぁ、そういえばできなかったな・・・」というものの一つになってしまったわけです。
今でももちろん、旅行はできます。
でも、きっと19歳の時にやりたかった、というか、できたはずの旅行とは違うものになるでしょう。今ではユースホステルに泊まるなんてちょっと考えられないし(何せ熱いお湯の出るシャワーときれいなシーツじゃないと嫌なので。笑)、使うレストランや行く場所も19歳と34歳では違います。
それは、この15年間に私が経てきたものがあるからこそ選ぶ旅行になってしまうし、19歳の私が見ていただろう風景と、今の私が見える風景は全く別のものになるからです。
そう考えると、どちらが良い悪いではなく、やはり19歳の時に見ておくべきものは、19歳の時にきちんと見ておくべきだったんだな、と思うし、逃してしまったチャンスというのは私の中にもそれなりにあったんだな、と実感したのでした。
私はもともと、「あの時、ああしていたら・・・」とあまり考えない性格なのですが(笑)、このバックパッキングは自分の中でもかなり大きなものだったのでしょう。今回の、25歳のいとことの出会いで、「若い時にやりたいことはやっておいたほうが良い」と熱く伝えざるを得なかったのでした。
私は自分を「現在主義」(←造語です)だと公言しています。
過去に捉われるのでも、未来を恐れるのでもなく、「今」を生きるという考えです。
だから、なんだかんだ言っても、今、この瞬間を100%楽しんで生きることが大事。
過去の自分や未来の自分が、ドラえもんのタイムマシンでやってきたときに、ガッカリされたり、不満に感じるような生き方はしない、と心に決めているのです。
そして「世界中の子供達の写真を撮る」という夢は今、「アメリカという国で移民や難民の子供たちに数学を教えたい」というものに少しシフトした形で現れようとしています。
自分から世界に出向くわけではないけれども、アメリカというメルティングポットにやってくる世界中の子供達と向き合うというアイディアは、今も変わらず私をワクワクさせてくれるのです。
旅行もいつかそのうちにできれば良いけれど、今はここでやりたいことがあるな、と私は思っていて、まずはそれを自分が納得のいくまでやることが自分の仕事なのかなと思っています。
だから、19歳の自分が不安げな顔でタイムマシンでやってきたら、”My life is not so bad.” と笑って言ってあげたいなと思うのです。
こんにちは、Erinaさん。真実です。
私も[こうしていれば良かった]と過去を振り返ることが好きではないのでしないのと、特にそういうことがないのですが、この記事を読んで今だに心残り?みたいなのはあります。私はずっとアメリカ留学をしたかったのですが、そこをお金が足りずにオーストラリアにしてしまったことです。もう少し踏ん張ってアメリカへ行けるようにすれば良かったなと思うこともあります。オーストラリアが悪いわけではなく、やはりずっと子どもの頃からアメリカという国に興味があったのに妥協をしてしまった自分にちょっと後悔のような気持ちがあります。ただオーストラリア帰国後すぐに旦那と出会い、彼の仕事上、国を転々としなければならない、私の飽き性な性格にはなんだか合っているような、更には英語は必須の生活、、もちろん日本から出ることへの不安などまだありますが、私は今の生活が大好きです。私も当時の自分に声をかけるのなら、My life is pretty cool.ですかね(笑)^ ^
>過去に捉われるのでも、未来を恐れるのでもなく、「今」を生きるという考えです。
私もこの考え方が好きです。確かデールカーネギーの『道は開ける』に書いてありましたよね。
猿岩石をTVで見ていた世代なので、私は日本国内でバックアップでヒッチハイクの旅行をしたことがありますよ~ カナダの大学生時代はユースホステルなんかも泊まっていました。
でも、30代の今は絶対に無理です(笑)
私も今となってはあったかいシャワーときれいなベットが必要です。
カナダ、日本、アメリカといまだにフラフラと放浪してますけどね~
真実さん、こんにちは!
いやぁ、人生って面白いですよね。
どこで人生の大きな曲がり角がやってくるかわからないですもんね。
私もバックパッキングに行っていたら、旦那に会ってなかったかもしれないし、そうしたら子供達も生まれてなかっただろうし。
そう考えると、「こうしていればよかった」と後悔しない生き方というのはつまり、現在に満足するという自己肯定なんですよね。
その上で、やりたいことがあるなら、またアレンジして違う形でやっていけば良いわけで。
人生一度きりですから、楽しみたいですよね。
マエマエさん、こんにちは〜!
あら、そうでしたか。
私も彼の本は読んだんですけど、すっかり忘れてました・・・笑
猿岩石!懐かしい!私も見てました。
もしかしたら私も、バックパッキングというアイディアはあそこから来たのかもしれません。笑
私もバックパッキングや猿岩石世代(笑)なので、Erinaさんの記事も皆さんのコメントにもワクワクします。
その年齢でやりたいと思ったことはいつやるかいつかやりたいと悩むより、今でしょ。
学生時代にトレックアメリカという外国人と国立公園をキャンプしながらまわる旅に参加したのですが、日本以外の国で生きていくにはどうしたらいいか知りたかったのが原点です。
そんな知りたい原点があるから、飛行機だけ予約して現地で宿を探して、現地の人の家に泊めてもらう旅をした20代でした。
日本で恵まれた生活をしていることを知り、もっと広い世界を知りたい欲求を感じたのも20代の旅。
ところが40代、家庭をもってからの旅は、安全と私自身の癒しが必要不可欠(笑)。それも自分の人生に必要なものです。
常に今を精一杯と思って生きてきましたが、いつかアメリカで生活したいということがこれから後半戦にやりたいことだと
この記事を拝見して改めて思いなおしました。
yunさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
yunさんも猿岩石世代ですか。あの番組は、あれはあれでかなりの人をinspireしたんですね。笑
本当、若いうちはエネルギーとフットワークしかないんだから(笑)、それを使わないでどうする!という感じですよね。
私も、現在の理想の旅は、日本の温泉旅行をすること。笑
うちの人たちは温泉をおそらく楽しめないので、もう一人でじっくり温泉宿に一週間くらい泊まりたいです。あ〜、そんなの夢。
今になってこう思えるのも、若いうちに冒険しきった!と思えることが大事なんでしょうね。
はじめまして。
何がやりたいか、ということをはっきり記述してある文章に感激して、コメントさせてもらいます。
やりたいことをやるために、親から自立されたのはすばらしい。
私も、自分が何をやりたいのかを自覚したのは「現在主義」になってから。
すべてのものごとは目の前にある「実在」から出発しなければ、一体どこから出発するのだ?と思った時です。
私の場合、目の前には山があったのですが。
理由もなく、そこに行きたくなりました。
それまでは、夢の中で生きてきただけだったような気がしています。
若者は夢を見ることが大事だ、といいますが、私は現在を見るべきだと思います。
コンピュータが生み出す、夢の世界は、実際には存在しない世界。
現実の世界こそ、夢の世界以上に面白い世界なんだなあ、と思います。
今さら気がついても遅いですが、気がついた時が出発点と思って、これからも頑張って生きたいと思います。
alphaさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
「親から自立」なんて当たり前のことなので、褒められるとちょっと恥ずかしいのですが、それでもその目標のためにがむしゃらになれた20代という時間は、自分の中でとても大事な時間だったと思います。
人生、全ては選べませんからね。常に最善を選びながら生きているのだ、と思うことが大事かなと思います。
確かに、「時間」という有限のリソースの中で、「夢」という無限のものを抱え続けている若者が多いですね。
夢や目標を持つことは大事だけれど、それをどうやって実現していくか、というところに目を向けるトレーニングが少し欠けている気がします。
私も現実社会で、自分の手を動かしながら、体を動かしながら、ものごとが形になっていくのが面白いと思い始めたところです。