日本が戦争をしちゃダメな理由
どうもこんにちは、Erinaです。
今日は、「日本が戦争をしちゃダメな理由」です。
おそらくとっても個人的な意見になるかと思いますが、これは政治的なものでもなんでもなく、アメリカに渡った一人の日本人としてのつぶやきです。
私は多くの同年代の日本人と同じく、戦争を体験したこともなければ、戦争の話を身近に聞きながら育ったわけでもありません。
強いて言えば、戦争に関する小説や、宮崎駿監督の映画を見て、「昔、日本ではそういうことがあった」と情報として持っている程度でした。
しかし、この11年間、アメリカ、それもサンディエゴというミリタリータウンに暮らし、「戦争」に対しての考えがものすごく変わりました。それをちょっと書いてみようと思います。
数週間前のことになりますが、久しぶりに会った学生時代のホストファザー・ジャックとゆっくりと話をする機会がありました。
ジャックは退職したシェリフで、いつも面白いネタを持っています。若い頃からの不動産投資で成功し、見識も広く、常に客観的。人とのディスカッションが何よりの楽しみですが、感情的になることは絶対にありません。
私がアメリカのニュースに興味を持ったり、ビジネスについて学んだりしたのは、このジャックのおかげです。
金曜日の夜、カードナイトで我が家のダイニングテーブルについたジャックが切り出しました。
ジャック:「ちょうど、ある本を読み終わったんだ。」
私:「何?」
ジャック:「硫黄島のRaising Flagの軍人たちの話。」
私はピンと来ました。
(あ、きっとあの本だな・・・・。)
私:「ちょっと待って、ジャック。それについて、知って欲しいことがあるんだけど。」
私はカードを始めようとしていた私の旦那と、ホストマザーにも目を向けます。この二人は、「もう、な~に?カードするんでしょ?」とディスカッション好きな私とジャックに呆れています。
私:「日本人として、あなたたちに知って欲しいことがあるの。
信じられないかもしれないけど、19年間、私は日本で育って教育を受けていた間、実は一度も『硫黄島』の言葉を聞いたことがなかった。初めて『硫黄島』の存在を知ったのは、アメリカに来て、アメリカ人に教えられたからよ。」
そこにいた3人のアメリカ人(旦那、ホストマザーとジャック)のまわりの時間が、一瞬、止まった気がしました。
それを意識的に壊すように、ジャックが言います。
ジャック:「日本にとっては、とても大きい敗戦地だったからだよ。」
私:「そう、日本は硫黄島のことを伝えたくなかった。
だけど、アメリカでは『あの写真』がこんなにも称えられている。
私は、日本とアメリカ、戦争に負けた国と勝った国とで、こんなにもギャップがあるなんて思ってもみなかった。それから『戦争って本当になんなんだろう?』って考えるようになった。」
英語で”Iwo Jima”と呼ばれ、アメリカ人なら知らない人はいない、とても象徴的な写真があります。
硫黄島の擂鉢山(すりばちやま)に、6人の海兵隊(Marines)と海軍兵(Navy Corp)がアメリカ国旗を立てている写真です。
これは「アメリカのプライド」として母国に持ち帰られ、「勝利のシンボル」となったのです。
私:「こっち(アメリカ)に来て、ミリタリーや戦争のことを知るたびに、思うことがあるの。」
ジャック:「何?」
私:「日本と全然違ったんだな、ということ。」
ジャック:「たとえば?」
私:「特にサンディエゴはミリタリータウンで、原始空母が『観光地』になっている。町のエコノミーは軍需で支えられている。軍人たちが毎日戦地に出向き、そこから帰ってくる。ファミリーが待っている。リタイヤした軍人のために、企業が再雇用プログラムを用意している。大学もそう。」
ジャックは黙って私の話を聞いています。
私:「こういうのを見ているとね、日本があの戦争で勝てるはずはなかったって思う。0.1%の可能性もなかった。」
ジャック:「どうしてそう思うの?」
私:「アメリカの軍事力、経済力、マンパワーは、当時の日本とは比べ物にならない。」
ジャック:「アメリカだってしんどかったよ。パールハーバーの奇襲なんて、全く準備していなかった。」
私:「でも、国家レベルでのスケールが違うよ。」
疎開や空襲が当たり前になり、普通の生活が失われた日本。
食べ物もなく、軍用品を集めるために一般家庭からも搾取した日本。
もう何度読んだかわからない妹尾河童さんの「少年H」を思い出しながら、一人の少年が体験していたやるせなさを想像していました。
この違いは、単純に敗戦国と勝利国というだけだったのだろうか?
戦争に対する国民の意識、準備と戦略、文化・・・・両国の様子を聞いていると、戦争をするには何もかもがつりあっていない気がしました。
アメリカにとって「戦争」とは国の歴史であり、アイデンティティであり、プライドであり、学問であり、経済であり、文化であり、それは国の一部です。
日本という戦争放棄をした国で育った私は、この現実を目にしたとき(それは9/11でした)、「あぁ、アメリカっていうのはこういうこともありえる国なんだ」と初めて知ったのです。
私はアメリカという国が好きで、自分で選んでここに住んでいます。
アメリカの全てを受け入れられるほど器の大きな人間ではありませんが、毎日、自分らしく生きるために、それを手助けしてくれる人たちと出会い、自分の人生を豊かにする方法を学んでいます。
私は戦争とか国家間のいざこざを考えるときに、まずは、ある人たちのことを想像します。
それは、その国からやってきた、自分の周りにいる人たち。旦那や彼の親兄弟。ホストファミリー。学生時代に出会った外国人留学生たち。同僚。友人。近所の人。子供の同級生の家族。スーパーや街角で会う人たち。
外国人の私に、温かいごはんを食べさせてくれるお母さんたちがいる。
お互いにつたない英語で、自国のことを一生懸命に説明し合った学生たちがいる。
私の子供たちを、自分の孫のように見守ってくれる人たちがいる。
自分の知識や経験を、純粋に「役に立つから」という理由で教えてくれる人たちがいる。
満面の笑顔で挨拶し、一日の始まりを明るくしてくれる人たちがいる。
彼ら・彼女らのことを「○○人だから」という理由で憎めるでしょうか?私はできません。
日本が戦争を放棄すると決めたとき、当時の日本人は、未来の日本人(私たち)が、そういう「個人レベルの調和」を世界各国と育てていけることを期待していたのではないでしょうか?
国家間のいざこざは、国のトップの一存ではなく、もっと知恵とオープンマインドネスを持った未来の日本人個人に任せよう、と託してくれた気がします。
国レベルの紛争と、個人レベルの調和はどこにでも存在し、政治家でも国家のトップでもない私にとっては、毎日出会う人たちと笑ったり、仕事をしたり、新しいことを知ったりすることのほうが価値があるのです。
こういうことに気づかせてくれたアメリカに、感謝しています。
外国に住むことで、自分が日本人であることに気づき、その意味に気づいたのです。
どんなに長くアメリカに住んでも、生活がアメリカナイズされても、自分は日本で生まれ育った一人の人間であるということは絶対に変わらないし、それを誇りに思っているのは、私だけじゃないはずです。