
「その後」がないと意味がない
こんにちは、Erinaです。
アメリカで教育の分野に関わるようになって以来、よく触れるマインドセットみたいなものに、「その後のアクションプラン」があります。
何か問題が起こった時や、予想通りに物事が動かなかった時、「じゃあどうするか?」という部分です。
初めての教育実習に行った時、あまりよくない指導教員にあたってしまい(彼女は後々クビになったらしい)、教職課程で言われたことがありました。
“What happens to you doesn’t define who you are. What you do next defines who you are.”
「あなたの身に起こることはあなたを定義しない。その次に何をするかがあなたを定義する」
つまり、自分自身がどんな人間かを決めるのは、自分の身に起こる数々の出来事ではなく、その後にどんな行動を起こすかという部分。
それ以来、何か不幸なことが起こった時、私は意識的に「じゃあどうしようか」を考えて行動するようになり、そこに集中するようになりました。
特に学校という場所では、もうそれはそれは数え切れないくらいの不測の事態が毎日毎時間起こります。そこに重きを置いていると、おそらく神経は削られるし、身も心もボロボロになってしまう。
だけどそれはそれ、じゃあ何をどうしようか?という部分の決定権とコントロールは自分が握っているわけです。
先週の金曜日に単元テストがありました。
ある男子生徒はその日、水球の試合が遠方であるため、早退しなくてはならず、テストを受けられないとのことでした。
「早退はオーケー、で、テストはどうするの?いつ受けるの?」
と聞くと、
「え!どうしよう?わかりません!」
と戸惑う生徒。
「いつだったら受けられるの?早退前に来られる?」
と聞くと、
「その準備はしてません。できません」
と答える生徒。
「早退と準備できているかどうかは別の話よね?」
と質問すると、急にフリークアウトする生徒。
「でもその日はいないって前から言いましたよ!」
「うん、その日にいないのはわかった。でもその後のことを私たちの間で取り決めしない限り、あなたのところに責任が残されたままなの、わかる?」
一瞬、テストの準備ができていないことと、試合のことで頭が真っ白になった生徒。
私は続けました。
「これからのことも含めていうけども、『その日はいません』だけじゃ物事は解決しないの。そこは理解した。じゃあどうやって挽回するの?っていうところまで行きつかなければ、その会話は無意味なものだから」
「はい、わかりました。じゃあ月曜日のランチに半分やって、授業後に残り半分でもいいですか?」
「うん、いいよ」
「ありがとうございます。」
この会話の後、「大人になるってこういうことだよな」ということを感じていました。
「その日は休みます」の後に、「こうやって挽回させてください」を言える大人になってほしい。
思考を「休みます」で止めるのではなく、「じゃあどうするか」と未来を含めるところまで広げてほしい。
それがすでにできる生徒も多数いて、やはり高校生達の「差」というのは、そういう成熟度に現れるところが大きいです。
高校というのは、数年で社会に出ていくであろう若者達が、科目教科だけでなく、社会のルールとか、人間同士のやりとりだとか、そういうものを練習していく場所であり、教えられる場所。
そういう成長は数学の成績だけでは目に見えないし、こうやって身近で言葉を交わし、顔色を見ながら、作り上げていくものなんだなと思いました。