学校という場所、親という存在

こんにちは、Erinaです。

 

今年は息子の高校卒業という親としての節目を迎えました。

息子の12年間の義務教育を通して感じたこと、そしてその後の彼自身の決断から考えさせられたことを書いてみたいと思います。

また、現任校で3年連続で同じクラスを担当してみての考察と、親として「学校」という場所との向き合い方を書いてみたいと思います。

 

男女の違い

(前もって書いておきますが、これはあくまで「一般論」であり、全員に当てはまることではありません。また、私のとても個人的な見解です。)

やはり男女には生物学的な違いがあり、それは「学校」という場所、そして6-18歳という劇的な変化の起こる時期に、子供達の成長を考える上で欠かせない要因だと思います。

生徒や自分の子供達を見ていると、女子の社会性や適応力みたいなものは典型的な学校という場所に向いている反面、朝8:00-午後3:00の日中に座学を中心とした設計というのは、多くの男子生徒がフィットインしないかもしれない、と感じ始めました。

5-6人の異なる先生と課題のセットを、朝から午後までこなせる Multi-tasking skill や、問題が起こった時に自分からアプローチできるコミュニケーションスキル。実際の学力云々よりも、こういう “study skill” の有無が左右されることが実際はものすごく多くて、やはりこういう場面では女子生徒が優位なことが断然多いです。

この記事にもあるように、Social-emotional の観点からもどうやって男子生徒達をサポートするかという考えは多々あって、男女間にある学力の差を埋めるために必要な学校構造は何か、という話がされています。

この生物学的な性差は色々な研究やテスト結果が出ているし、どれだけ平等や公平を唱えたところで、生物としての違いと向き合わない限り、何かとても大切なことを見過ごすのでは、と思います。

 

座学(机に座る学習)と実技(体を動かす学習)のバランス

上の項目にも関連するのですが、やはり「体を動かしたい子供」は多いです。子供達(特に男子生徒)は一日に消費するべき身体的なエネルギーがきっとあって、なのにそれを実際に消費できる機会が格段に少ないというのが学校生活の現実。

部活やスポーツなどを日常的にやらない限り、おそらく成長期の人類が必要とする運動量は絶対的に足りていない。

この記事には衝撃的なことが書かれていて、なんと現代の子供達は囚人達よりも外で過ごす時間が少ないとのこと。これは親として考えさせられます。

 

我が家の息子が高校卒業後に就職を選んだのも、「教室に座って一日中勉強するのはしばらくやりたくない」という感想がありました。

座学から得られる「概念理解」と、実技から得られる「体験理解」のバランスが取れていないと、どこかで学習意欲は頭打ちするし、それが彼の中で今だったとしたら、方向転換させてもいいのかも、と思ったのです。

 

昨年、以下の記事でも書いたように、やはり自分の手と体を使って何かを作ったり、直したりみたいな体験が、現代の子供達には絶対的に不足していて、座学メインの義務教育で子供達はバーンアウトしている。

「リアリスト (Realist)」を育てる

毎年のように、自動車整備のような選択科目クラスを取りたいという声が男子生徒達から多く挙がるのもすごく理解できるし、そういうハンズオンの学習機会があればもっと学校に来る子も増えるのに、と強く感じるのです。

 

以上のようなことを踏まえて、親として子供と共に、学校という場所と向き合うために、どんなことができるのか?

 

学校以外の子供の居場所

学校が全ての子供にとって最高の居場所になればそれは理想的だけれど、やはりそこには他人が何人も集まるわけで、さまざまな人間模様が生まれます。

 

大人でもそうですよね。誰だっていつでもどこでもハッピーでいられるわけではありませんし、人間の好き嫌いもあるでしょう。いい日もあれば、そうでない日もあるし、もう絶対にあそこには行きたくない、と思うこともある。

子供も同じ。

しかも新しいことを学習するというのは、人間にとって繊細な瞬間で、弱い自分をさらけ出したり、間違える不安なんかと戦わなければならない。

 

そんな中で、子供が「自分らしくいられる場所」つまり「安全な場所」が学校以外にあることは、子供も親も心強いし、それが自宅以外であれば、家族や学校以外で子供の世界が広がることにもつながります。

うちの子供達にとっては、それが水泳チームであり、同じ学校の子供達がいなかったからこそ、家・学校とも違う世界が彼らの中でできたわけです。

 

ここではだらけられる

ここではリーダーになれる

ここではひょうきん者になれる

ここではついていく人になれる

 

みたいに、子供が多様な役割を持てる場所があればあるほど、自分の中のバランスをとって成長していけるし、同時に「自分ってこういう人間だったんだな」というアイデンティティ構築にも繋がるはず。

そしてその時の子供の表情は、親に見えなくていい。(危ないことや悪いことをしてない限り)

そういう「親なしでも自分で世界を作っていけるんだ」という実感は、いずれ子供が自立するときに大きな支えになってくれるはず。

 

だから、その居場所探しを、親は一緒にしてあげてほしい。

それは親の期待に沿うためのものではなく、100%子供のものであり、子供にとっての一生ものの財産です。

 

学校のあとの人生

「学校生活」には必ず終わりがあります。

18歳の若者にとってのそれまでの12年間というものはとてつもなく長いものだし、永遠に続くような気がしてしまうもの。(だって人生の2/3だもの)

 

だからこそ、大人は子供とは異なる時間的感覚で捉えて欲しいし、「学校のあとの人生」を楽しむ方法を見せてほしい。

 

だってもったいないですよ。

(私が言うのもアレだけど)たかだか12年間の学校生活のせいで、自分自身にレッテルを貼ってしまったり、明るい未来の選択肢や可能性が見えなくなってしまうなんて、本当にもったいない。

人生はもっともっと長くて自由なのに。

 

私も高校時代は毎回、追試組で未来を悲観していたけれど、それもいつか終わり、新しいドアが目の前にやってきました。

 

誰かが作った「学校」という(かなり大衆的な)枠組みにハマらないからと言って、その後の人生を楽しむ権利まで失わなくていい!もっと楽しいこと、探せばたくさんあるからね!探し続けてね!

 

と言いたい。

 

そして親は、その探す作業を手伝ってあげて欲しい。

子供が自分だけで広げていける世界というのは、経験的にも、経済的にも、物理的にも、限界があります。

もちろん親にも限界はあるけれど、大人が見える世界は子供が見える世界よりずっと広い。

 

「学校は学校、これはこれ」という境界線がはっきりしていればいるほど、何をどこまで頑張るか、どこまでやれば十分か、のような目標設定もしやすくなってくるし、学校はこの広い世界の中で本当に一部でしかない、という見方が子供の中でも生まれてくるはずです。

 

 

我が家の息子、空港勤務が始まって数週間。

新しいことを毎日教わり、色々な業務をやらせてもらえるようで、生き生きと仕事に向かっています。

学校では得られなかった人々との出会いや、新しい感覚や場面に感動しながら、毎日、こんなことをやった!と教えてくれる姿はとにかく頼もしいです。

「この経験は、次のステップで有利になる」という彼自身の確信は、どんな進路データやアドバイスからも得られなかったものだし、その確信こそが、自分で自分の人生を切り開く強さになることを、私は知っているのです。

 

 

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