アメリカでテロについて考えよう

こんにちは、Erinaです。

 

今日は、アメリカに住んでみて感じる、テロリストによる攻撃と、その背景について考えてみようと思います。

 

先日のパリ襲撃、2011年に起こった9/11と、私たちはとても不安定な世界と時代に生きていることを感じさせられます。

私はこういう見たくない・聞きたくないニュースが流れるたびに、自分がいかにこの世界と時代に対して無知であるかを思い知らされるし、だからこそ、無視したり、拒絶するのではなく、どうしたらそういう環境で人々とつながることができるか?を考えたいと思っています。

怖いもの、嫌なものを排除するのではなく、そういう中でも生きていくために、そして次の世代を育てるために、自分には何ができるのか?を一緒に考えてみましょう。

 

 

 

そもそもテロリストとは

“Terror”とは、もともとhorror(ホラー)のように「ものすごい恐怖」という意味で、それを与えたり作り上げるような人たちのことをテロリストと呼びます。テロリストは、過激派 (radical, extremest)とも呼ばれ、過激(extreme)な思想を持ち、暴力的な手段で自己表現をする人たちのこと。

宗教・政治団体など、それぞれが様々な思想や文化を持つわけですが、その中でも特に過激なグループが起こす排他的な行動が、テロリズムのような形になるわけです。

つまり「俺たちは、お前らとは違うんだ~!」「お前たちは間違っている!」→「だからお前たちを排除してやる!」という自己表現が暴力的なものになってしまったときに「過激派」と呼ばれるわけです。

先日のパリ襲撃や9/11というのは、イスラム教徒の中の過激派によるものということですが、やはり危険なのは「イスラム教徒=危険」という間違った先入観を欧米文化に植え付けてしまうことでしょう。しかしテロリストたちはそれが狙いだったりします。

また、先週末にコロラドで起こった、Planned Parenthood(プランド・ペアレントフッド)襲撃事件。これは中絶を極端に嫌う犯人が、中絶や家族計画という女性の権利を保護するPlanned Parenthoodという団体を襲ったものです。つまり、「中絶は間違っている!」という犯人の過激思想によって引き起こされたものです。

そして今週起こった、San Bernardinoでの襲撃事件・・・。これは現段階では確実な動機はまだわかっていません。

 

 

では、テロから身を守るために、私たちに何ができるでしょうか?

 

 

ニュースを見る

つまり、世の中で何が起こっているのか(何人亡くなったとかだけでなく)、どんな規制がされるようになったとか、どんなことに気をつけたらよいのか考えること。

 

たとえば、先々週の日曜、サンディエゴチャージャーズの試合(アメフト)でセキュリティ要員が増えた、というニュースが流れました。

 

それってどういうことでしょうか?

 

それは「チャージャーズの試合は危ない」という安易な結論ではありません。

 

スポーツの試合のような、人がたくさん集まるところはテロの標的にされやすい、ということです。事実、パリ襲撃時もサッカーの親善試合が自爆テロの標的にされました。

これからクリスマスシーズン・年末年始に向けて、アメリカ各地で様々なイベントが行なわれることでしょう。こういう場所へ行く予定のある人は、やはり、今までになかったAlert(警戒心)を持つべきだと思うし、リスクを知っておくべきだと思います。

「テロが怖いから行きたくない!」とまでoverreact(過剰反応)する必要はないけれど、事実として「人が集まるところは標的にされやすい」ということを頭の隅においておくべきだと思います。

 

 

状況に注意する

私は、テロを防ぐために、そういうイベントに行くことを自重するべきだとは思いません。ただ、行くのなら、周りの状況などにpay attentionすることは必要です。

たとえば、誰のものかわからないバックパックがそこに置かれているとか、妙な動きをしている団体や人がいるとか、普段とは違うな、と感じるものにアンテナを張る。何か「おかしいな」というものに気づいたら、無視するのではなく、近くにいるスタッフに、「あれ、誰のか知ってる?ずっと置かれてるんだけど」と聞いてみる。

 

二年前に起こった、ボストンマラソンでの爆撃も、犯人はバックパックに爆弾を仕掛け、道端に置き去りにした。数分後、犯人はリモコンで爆発を引き起こしました。

 

“I don’t think this (or he/she/they) belongs here.”

(コレはこの場所にそぐわない気がする)

 

という本能とアンテナをオンにしていきましょう。

 

“Better safe than sorry.”

 

という言葉があるように、「何かあって悲しくなるよりは、安全をとって過敏になるほうがマシだ」という意味です。

 

 

 

人間として正しいことをする

 

もし過剰反応してしまい、私の思い違いだったら恥ずかしい・・・・。

 

そんな風に思う日本人は多いかもしれません。

しかし、思い違いだったとしたらそれはそれで良いことだし、そこで、”It’s better to be safe than sorry!”と笑えることのほうが大事。それをきっかけに、他人と仲良くなれば良いのです。

 

「人間として正しいことをしろ」とは、京セラの稲盛会長の言葉だそうで、私の中でいつも心に留めているものです。

 

 

「気づいていたなら、何か言って欲しかった」

「できるなら、助けて欲しかった」

 

もし自分が被害にあったとしたら、気づいていた誰かに対してそう思うと思いませんか?

だから、人間として正しいことをする。それがこの世界で、本当の意味でのグローバルな人間になる近道だと思うのです。

 

 

 

他人と仲良しになる

よく、道端で見ず知らずの他人がジョークで笑わせてくれたとか、なんとなくノリが合う面白い人に出会ったとか、荷物で手がふさがってる時にドアを押さえてくれたとか、アメリカではよくありますよね。

 

この国にある「人の温かみ」を感じる瞬間です。

私はそういうアメリカのフレンドリー(たまにおせっかい笑)なところがすごく好きです。

 

こういう瞬間があるたびに、私たちの世界で何が起こるでしょうか?

 

見知らぬ人に助けてもらう

「あの人、良い人だったなぁ。」

「私もできるときに人に親切にしよう。」

人に親切にする

親切をした相手が「あの人、良い人だったなぁ。」

「今日は人に親切にしよう」

また別の誰かに親切にする

 

な~んて、ハッピーなサイクルが生まれます。これ、“pay it foward”とも言いますね。

 

私は自分の一挙手一投足は、必ず世界のどこかで誰かに何かしらの影響(程度はどうであれ)を与えていると思っているし、それは私だけじゃなくて、誰もがそうなはずです。だから、理不尽に不機嫌にはなりたくないし、人には優しくありたいと思うようになりました。

私はアメリカという多様化した社会の中で、こういう人の温かみがあることは何よりだなぁと思うし、時代がどれだけ便利でハイスピードになったとしても、忘れちゃいけない部分だといつも思うのです。

 

 

 

世界を白黒にしない

コインの表と裏、白と黒、正義と悪、という二面性でしか物事を見れなくなると、「自分は正しくて相手は間違っている」という排他的な思考になってしまいます。つまり、世の中は白と黒しか存在せず、自分以外の人間を、自分と同じ白なのか、正反対の黒なのか?という見方でしかジャッジできなくなるわけです。

しかし実際のところ、この世界はカラフルで、赤もあれば青もあり、ピンクもあれば緑もある。白と黒という二択ではカバーできないものです。

 

テロリストは二面性の思考を持つため、世界には白黒以外のカラーがあると思っていません。

そこで私たちが、「青には青の良さがあるし、ピンクにはピンクの良さがあるんだよ~」と伝えれば、誰が正義で誰が悪か、という論理が全く無意味になるのです。

 

そのためには、色々な場所に行き、色々な人と出会い、色々な人の話を聞き、自分の人生をもっと(非物質的な意味で)豊かにすることって大事だなぁと思うのです。

 

 

 

どうでしょうか。

私がアメリカという国で暮らしながら感じることは、テロリズムというものからは逃れられないということ。それはここアメリカだけでなく、将来的に、世界のどこにいてもそうなるはずです。

大切なのは、どこで暮らしても無知でいるのではなく、自分の住む場所がどう世界から見られているか、どんな状況なのかということに常にアンテナを広げておくことだと思うのです。

そして私たち一人ひとりが、偏見を持たずに世界中の人々と付き合っていけるということは、私たちの母国・日本にとっても大きな財産になると思うし、まずは身近な人を一人でもハッピーにしてあげるところから、世界平和は始まるんじゃないかなぁと思います。

 

 

テロリストの襲撃で亡くなった方たちに心からの冥福をお祈りします。

無差別な攻撃で悲しむ人がいない世の中になりますように。

 

 

 

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