
相対的な幸せ、絶対的な幸せ
こんにちは、Erinaです。
ちょっと面白い記事を見つけました。
日本人小学生の78%が「良い大学に入れば、将来は幸せになれる」と思っているという統計が発表され、それは日本にとって不幸だという記事です。
みなさんはどう思いますか?
アメリカ人の小学生はどう思っているのか、興味があるところですねぇ。ちょっと聞いてみよう。
うちの子ども達はSDSUしか大学名を知らないと思うけど。笑
「良い大学=幸せ」
私はこのステートメントの否定はしませんが、もし、現代日本の子ども達が、学歴以外の場所にも幸せを見出せないのだとしたら、それは問題だなと思いました。
そもそも「良い大学」って何でしょうか?
偏差値が高いこと?
大企業への就職率が高いこと?
世界的に有名な研究がされていること?
この記事では「良い子」の定義は様々だと書きましたが、同様に、「良い大学」という定義も人によって異なるのではないでしょうか。何せ、「良い」という表現自体がとても曖昧です。
私は地元サンディエゴのコミカレ+州立二流大学卒業でしたが、二校とも「良い大学」だと思っています。
この世界的に有名で美しいサンディエゴでは、雇用市場の競争も激しく、それこそ世界レベルです。その地元産業を支えている母校の卒業生コミュニティはとても強いものがあるし、だからこそ就職にも強い。給料で言えば、私の新卒給は、当時のスタンフォードMBA卒生よりも100万円上だったと言われたこともあります。
逆にアイヴィーリーグやUCなどを卒業しても、仕事が見つからなくてアルバイトに自宅通い、家事は親任せで電光熱費や生活費を入れているわけでもない30代・・・という人もごまんと知っています。
つまり、私にとって「大学名での学歴」ほど幸せや人間力を測る上で信憑性のない物差しはないわけです。
そんなわけで、「良い大学=幸せ」という考えはどうしても日本的に感じてならない私は、なぜこの古風な考えが現在でもはびこるのかを考えてみました。
そもそも、「良い大学=幸せ」という考えは、「相対的な幸せ」(Relative Happiness ←私の造語です) を追い求める文化から生まれたものです。
相対的な幸せというのは、「誰か他人に比べてbetter」という比較級。
A大学はB大学よりもベター (A is better than B.)
A大学は他の大学よりもベター (A is better than others.)
だから
A大学に行けば、他の大学生よりもhappier
という理論です。
相対的に物事を測る人は、周りに比べる対象が必要になります。周りに寄りかかった判断しかできないので、周りが変われば自分の判断基準もブレます。
たとえば、それまで大学受験に向けて、同級生たちと切磋琢磨してきたし、その競争に自分の存在意義を見出してきた。しかし、高校3年の夏に突然転校することになり、同級生全員が大学進学しない学校に行ったら、自分は同級生たちより幸せであると、どう測るのでしょうか?
そう考えたら、幸せなんてそもそも測る・比べる必要があるのか?と思いませんか。
逆に「絶対的な幸せ」(Absolute Happiness) というものを持っている人は、周りがどうであろうと関係ありません。
どんな環境にいようと、何が自分を満たし、自分は何を欲しいかが常にわかっているからです。
Better or worse than others
という考えがないので、
常に”Best”しかありません。
This is the best choice for me.
であり、文中には「自分 (me)」しかないわけです。
なので、環境の変化や周りの決断に対して、自分の判断基準がブレないんですね。
こういう「絶対的な幸せ」の見つけ方は、最近の日本では大人でも知らない人が多いです。
だから、「これをすれば幸せになれる」とか「幸せを見つける方法」みたいなキャッチフレーズに引き寄せられては、振り回される。幸せそうな人をフォローしたり、同じことをしたくなる。
なので、「良い大学=幸せ」と現代の日本人小学生の78%が答えるというのは、現在の日本を如実に現していると悲観でも皮肉でもなく思うのです。
そもそも、日本が相対的な社会で、アメリカが絶対的な社会であるという事実は、今に始まったことではありません。
日本のように相対的にものや人を測る社会というのは、平均的な能力が高いし、これだけ人口密度の高い日本に「秩序」というものがある何よりの理由です。
「ムラ社会」だった日本の歴史の中で、お互いが牽制しあい、お互いが警備しあう。災害時などには素晴らしい文化だと思います。
ただ、それを息苦しく感じるというのも事実です。
アメリカのように絶対的にものや人を見る社会というのは、考え方が自分勝手になりがちです。
そこに「自然なハーモニー」というものはありません。笑
何らかの「目安」みたいなものが欲しい場合は、道に迷うことが多いだろうし、それに嫌気がさすこともあるでしょう。
だけど、「個」を重んじた幸せを追いかけることはできるし、それが「個人主義 (Individualism)」と呼ばれる理由です。
これはどちらが良いというわけではなく、どちらを好むかはその人次第だと思うし、だけど自分の置かれた環境の中で「幸せ探し」という作業をするときに、こういうことを念頭に置いておくと、良い意味であきらめもつくのじゃないかなと思います。
そもそも、「幸せ」なんてあきらめたときにひょっこり足元に見つかるものです。
自分:「あれ?いたの?」
幸せ:「ずっといたよ。」
って感じです。笑
あなたの幸せは、相対的ですか?絶対的ですか?
こういった記事大好きです!ありがとうございます!
えりなさんと直接お話しした事はありませんが,ぜひいつか様々なトピックについてお話ししてみたいです(笑)
すばらしい記事(T_T)本当にその通りだと思います。私はカリフォルニアの州立の三流大学に通ってますが、自分のmajorに出会えたこと、将来やりたいことに向けてステップを踏んでいることに誇りを持ってるので、他人がどう思うか関係なく、幸せです。幸せは人と比べるものじゃないですよね!
さりなさん、こんにちは。いつもありがとうございます。
そんなこと言っていただけて、とても嬉しいです。(照)
いつかお話したいですね♪
Shimaさん、こんにちは。
自分のやりたいことを見つけて、それに誇りをもてるなんて素晴らしいです!
Shimaさんみたいな若い日本人女性が、アメリカで頑張っていると思うと私も嬉しいし、元気をもらえます。
一緒に頑張りましょうね~!
はじめまして。数週間前にこちらのブログに辿り着き、様々な記事を読ませていただきました。このトピック、面白いし、とても良い記事だと思います。
私たち夫婦は、アメリカ永住予定の日本人ですが、私も夫もアメリカと日本で育ち、現在、カリフォルニアで2児の子育てをしています。子どもたちの将来の話をする時に、いつも夫は、「アメリカには良い大学、悪い大学なんてない。本人にとってbest fitかどうかが問題だ」と言います。私も同意しますが、これは、大学選びに限らず、とてもアメリカらしい考え方だと思うのです。あとはエリナさんのブログの通りで、とても頷ける記事でしたのでコメントさせていただきました。自分が何を求めるのか?自分にとって本当に心地よい状況とは?絶対的幸せとは、結局、自分を知ることに他ならない。これはアメリカ的な価値観ですよね。また、他の記事も読んでみます。