第一次・第二次離婚危機
こんにちは、Erinaです。
今日のトピックは「第一次・第二次離婚危機」。
夫婦を続けていると、それも長く続けていると、「離婚危機」というものが必ずやってきます。
外からは円満に見える結婚生活でも、やはり当人同士にしかわからない波というのはあって、それをどうやって乗り越えるか、の連続です。
結婚するまでは「理想の夫婦像」というものがあったとしても、やはり現実に足を一歩踏み入れると、「あ、やっぱり違ったんだな」ということが多々あって、そのギャップに戸惑うこともあるのではないでしょうか。
そのショックを軽減するために、私は結婚前の同棲とか、お互いのことを知り合う期間を持つことは必要だと思うし、そういうクッションが大きければ大きいほど、次々とやってくる離婚危機を回避できるのではないかと思っています。
私が周りの夫婦を見て・聞いて感じたことは(いくつかあるのですが)、「この時期に離婚が多い」という時間的な目安があるということ。これはアメリカでは世間一般的に見ても・・・という考察のようです。
それは
第一次離婚危機=子どもが生まれて最初の1~2年
第二次離婚危機=一番下の子どもが小学校に入学する時期
です。
第一次離婚危機は、「産後クライシス」という日本語もあるように、母親だけでなく、夫婦にとって大きなターニングポイントです。
子どもが生まれる前は、恋人同士のような生活を送っていたものの、出産で体はボロボロ、生活リズムは崩れ、精神的にも参っている、という状態は、おそらく夫婦にとって初めてやってくる「山」みたいなものです。
夫婦の時間は激減し、妻のホルモンは「母モード」に入っていて、旦那は何をしたら良いのかわからなくてオロオロ・・・。奥さんが仕事復帰なんてしたら、ボロボロの体にムチを打ってるようなものです。
あ~、もう悲劇の要素がてんこ盛りじゃないですか。
そのくせに時間だけがあっという間に過ぎていき、お互いへの不満が募る・・・。
ここでお互いへの不満が解消・解決できないで、なぁなぁのまま進んでいくと、旦那の浮気が発覚、または妻が実家から帰らず離婚・・・というシナリオになったりします。
う~ん、よく聞く話だ。
第二次離婚危機は、そういう日々のモヤモヤがつもりにつもり、一番下の子の小学校入学=少し手が離れる時期をきっかけにやってきます。
結婚歴で言うと、子どもの年齢からして、だいたい10年前後が多いですね。
奥さんも30代~40代くらいで、「まだこれで終わりにしたくない感」が強くて、それがこれまでにひずみがたまっていた「夫婦生活」という部分に現れてくる。
子どもが手を離れたら、パートタイムで仕事を始めて、アパートを借りたら月いくら必要で・・・と緻密な計画を練っています。先輩ママたちからのアドバイスをもらったり、国際結婚だったらハーグ条約のことが知りたくなったり。
旦那さんはそんなことに全く気づかず、長年のセックスレスや会話レスの生活に慣れていて、「ウチはこんなもんだろう」とあまり危機感はない。”Passion”なんてもう遠い昔のものだ・・・なんてね。
う~ん、これもよく聞く話ですね。
私は結婚生活のプロではないので、統計を集めたわけではありませんが、あくまで個人的な情報として感じることであり、この記事で書きたいのは、こういう無意識のうちにやってくる離婚危機をどう回避するか、そこからどう立て直すか、ということ。
正直なことを書くと、私たち夫婦も様々な離婚危機は迎えたし、そこまで大きくなくとも、小さな日々のhiccup(英語の「しゃっくり」は「ちょっとうっとうしいもの」という意味でも使われます)はそこここで起こるわけです。
最初から波風の立たない結婚生活なんてこの世には存在せず、むしろそれが起こっていないというのは、まだそこまでお互いに深く突っ込んでないということかもしれない、と私は思います。
それは、たとえ結婚したいと思った相手でも、異なる環境で育った二人の人間であり、それぞれの思惑や意志があり、二つの思惑や意思が100パーセント一致するなんてことは絶対にありえないからです。
だから私は個人的に、物事によって60~90パーセントくらい旦那と一致できれば、残りの10~40パーセントの不一致は努力で埋めていこうと思えるし、そう思えるうちは結婚生活を続けたいわけです。
芸能人の離婚ニュースなどを聞いていると、離婚の理由は「価値観の不一致で」とよく言われます。
私がこの理由について思うのは、「そもそも価値観なんて不一致で当たり前」ということ。じゃあどうして離婚するかというと、「その不一致を埋めたいと思えなくなったから」だと思うんですね。
つまり、相手のために、もう努力したくなくなった。
努力するための愛情が尽きてしまった。
(・・・って、そう言えば良いのに、といつも思う)
その気持ちを私は否定するつもりは全くありません。
人として、「もうこの人のために努力する価値はないわ」と見切りをつけたら、愛情ってパーッと冷めます。
私は他人の離婚に反対するわけでも、奨励するわけでもありませんが、「努力のしどころ」って人それぞれで、周りから「もうちょっと頑張りなよ」って言われても、どうにもならないですからね。
ただ、自分の中で、「もうちょっとチャンスをあげようかな、もうちょっとだけ頑張ってみようかな」という声があるのなら、「じゃあ、もうちょっと頑張ってみなよ」と言いますけども。
だから、そこまで行ってしまう前に、何らかの対処をすることが必要なんです。
徹夜覚悟でとことん話し合うのもよし。
冷却期間で一時帰国するのもよし。
妥協案を実践するのもよし。
同意の上で、時間が経つのを待つのもよし。
とにかく、お互いが納得する方法をきちんと話し合って、それを実行すること。
こう考えると、長続きする結婚と離婚って、背中合わせなんだな~と自分の結婚生活を見て思うのです。
「ちょっと道を変えてたら、ウチだっていつでも離婚に至ったかもしれない」という危機感は常にあるし、そういう緊張感を持ちながらいると、少しのhiccupに気づくことができる。
旦那が無事に家に帰ってきてくれることに感謝できる。
家族全員で夕食の食卓を囲むことが、いかに特別であるかに気づく。
ビッグイベントなんて必要なくて、日常のささいな出来事が、何よりの幸せなのだとわかるし、それこそが「10~40パーセントの不一致を埋めよう」という動機になるのです。
・・・・・と、小さな幸せに気づく独り言でした。