学生時代のこと

14年前に一緒にコミカレに通った友人が、日本で亡くなった。

44歳の若さで。

 

彼の訃報を聞いた土曜日の夜、私はあまりのショックで頭がグラグラした。

 

彼が帰国して10年、その間に連絡をとったことは数えるくらいしかない。

だけど、彼と同じコミカレに通っていた時間というのは、私の人生の中で、最も意味のある時間だった。だから、その時間を共有した、その経験を共有した、という意味で、今でも同志のように感じている。

 

今日は、かなりパーソナルな話ですが、よければ読んでください。

私には書くことしかできないから、ヨシさんのことをずっと忘れないために、文章にしておきます。

 

2003年1月。

春学期が始まる数日前の朝、サンディエゴシティカレッジのとある建物で、留学生オリエンテーションが予定されていた。

ちょっと早めに着いた私は、がらんとしたキャンパスを通り抜けて、向かいにあるマクドナルドに行くことにした。空気はサンディエゴといえどもまだちょっと肌寒い。温まる場所が必要だと思った。

 

横断歩道を渡る目の前には、サンディエゴダウンタウン。

Merrill LynchとNBCのサインが、それぞれの建物のてっぺんに見える。この二つは私にとって、見るたびに、「アメリカに来たんだな」ということを実感できるシンボルみたいなものだった。今では、高層コンドミニアムが周りに乱立し、この二つのサインを同じ場所から見ることはできない。

 

マクドナルドに入ると、若い日本人男性の姿があった。

目が合って、なんとなく挨拶すると、彼も同じオリエンテーションに行くらしい。彼の名前はマサさん。私より7歳くらい上で、日本でビジネスマンだったらしい。

 

オリエンテーションに行くと、私とマサさん以外にもう二人の日本人留学生がいた。ヨシさんは私の10歳上で、東京都で働いていたエリート。マユコちゃんは私の4歳くらい上で、日本で音楽業界で働いていた彼女もエリート。

 

おぉ、早速、同い年のペーペーはいないじゃん、と思い、みんなすごいなぁと思いながら、アメリカでの大学生活が始まる。

 

私がこのサンディエゴシティカレッジを選んだのは、この「日本人学生の少なさ」にあった。

当時、「南カリフォルニアのコミカレはどこに行っても日本人留学生ばっかり」と言われていたので、それを避けようと、私はなるべく日本人学生が少ない学校を選んだ。

まだインターネットもなかったあの頃、「アメリカ大学カタログ」という電話帳みたいな本をパラパラとめくり、「日本人学生数:2名」と書いてあったシティカレッジを選んだのだ。そしてその情報通りの学校だった。

 

なので、同時に入学した私たち4人は、メジャーも趣味も住んでいる場所もバラバラで、だけどたまにみんなでご飯を食べに行ったり、それぞれの家に集まったりしながら、情報交換をした。その距離感は、最年少の私にとって、とても居心地が良かった。

みんなとても良い具合で独立していて、もちろん大人だった。

マユコちゃんは困った時は助けてくれたし、マサさんはビジネスのことを教えてくれたし、ヨシさんはいつも優しくて、みんなのお兄ちゃんみたいだった。

 

私以外は車を持っていなくて、みんなダウンタウンの徒歩生活圏内のアパートやユースホステルで暮らしていた。

ヨシさんは、ある時は、日本食レストランでバイトしながら、月200ドルだという四畳半くらいの部屋に住んでいて、「俺の生活は自転車操業だよ」なんて笑っていた。みんな、たくましかった。

 

ヨシさんはサンディエゴパドレスがとにかく好きで、当時、それほど知られていなかったサンディエゴを留学先に選んだのも、それが大きかった。

私も当時はパドレスをよく見ていたので、一緒に野球にも行ったし、打順やらで熱く語った。ちょうど球場がクアルコムからペトコパークに移動した頃だ。

 

とにかく、ヨシさんはいつもニコニコしていた。

何かについて怒っていても、根がたぶん優しいので、彼を見ていて可愛いなと思ったくらいだった。きっと彼は、素敵なパパになって、素敵なおじいちゃんになるんだろうな、と思っていた。

早稲田の理系学部を卒業して、東京都に就職、と聞けば、私にとってはまさに「東京のエリート」だった。

しかし彼は、アメリカを選んだ。

彼にはやりたいことがあったからだ。

 

当時、ハタチの私にとっては、「30歳」というのはとても遠い存在で、それも日本で就職したことがある、というのはとても大きな壁だった。

だから私は、ヨシさんや、マサさんや、マユコちゃんの3人の背中を、いつも追いかけていた。

そして、あれから14年経った今も、あの3人の背中はずっと見えている。

私の中では、3人とも、それぞれのゴールに向かって走っている。

今ではほとんど連絡を取らなくなってしまったけれど、そしてこんな形でヨシさんの訃報を聞くことになるとは思わなかったけれど、私の中で、あの時の彼らの背中は、薄れることなく残っているのだ。

 

「ありがとう」も違う。

「寂しい」も違う。

 

今まで、人に話したことのなかった、あの4人で過ごした時間。

考えてみたら、4人で撮った写真も一枚もない。

 

どういう言葉にしたら良いのか、いまだにわからないのだけれど、あの時、あの場所で、出会えたことは私の中でとてもパワフルで、今の「えりな」を作るとても重要な要素になっていることだけは確かだ。

きっと、こうやって言葉にするよりも、肌で、目で、耳で、全ての感覚を使って感じ取ったものが、私の中であまりに絶大なのだと思う。だから、どんな言葉にしても、しっくりくるようなこないような感じがする。

 

Because everything is still alive in me.

 

ヨシさん、私は絶対に忘れないよ。

シティカレッジで過ごしたあの2年半、私は絶対に絶対に忘れない。

 

 

 

 

 

 

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