
数学教師による文系科目のススメ
こんにちは、Erinaです。
数学教師になろうとしている私が言うのもなんですが、これからキャリアを選ぶ学生や、子育て中の親のみなさんに伝えたいことがあります。
それは、
「文系科目の勉強を、怠ってはいけない」
昨今のSTEM (Science, Technology, Engineering, and Mathematics) ブームのおかげで、ロボティクス(ロボット工学)やら、コーディング(プログラミング)やら、と21世紀的な科目に力を入れている教育界。
私立校やチャータースクールなどでは、いかにSTEMを取り入れているかが宣伝のポイントだし、就職だって有利!と散々、言われています。
私自身、数学の強さというのは、大学を卒業して肌で感じたし、「食いっぱぐれることはない」と断言できます。
しかし、これらの科目を学問の一つとして経験するのは良いのですが、それに偏ってしまうのはとても危険です。まして、そのせいで、文学とか哲学、アートとか社会学みたいな文系科目をおろそかにしてしまうことは、もっと危険だと私は思います。
私は今、数学を教えるための勉強をしているわけですが、今以上に、「文系科目って大事だな」と思ったことはこれまでありません。
今日は、その理由と、これからの社会でどんなことが起こっていくのかを書いてみたいと思います。
まず、勘違いしないで欲しいのは、この記事でも書いたように、これからの時代、STEMなしで人間の生活はありえないということ。
好き嫌いに関わらず、この世界はもっともっと情報化され、AI(人工知能)やロボットがそこここで活躍するでしょう。これは、経済的な流れであり、私が個人的に賛成するとかしないとか、そういうレベルではありません。
そんな中で、コンピューター言語を一つ知っている、というのは、やはり外国語を知っているというのと同じくらいのアドバンテージになっていくし、「就職」という観点から見れば、子供にもプログラミングはできるようになって欲しい、というのは、英語を話せるようになって欲しい、というのと同じくらいの親の期待だと思えます。
ただ、ここで知っておきたいことは、「プログラミングだけなら、ロボットでもできる」ということ。「計算だけなら、コンピューターでもできる」ということです。
私のそれほど長くない数学・データ分析経験からですら、「これは人間じゃなくても良いな」と判断できることはこの世の中にごまんとあります。ロボットや人工知能は「アルゴリズム」と呼ばれるルールを使って、物事を選別し、それぞれの対応を決めているわけですが、ちょっとこれを勉強すれば、「あぁ、これはきっとこういうアルゴリズムなんだろうな」と仕組みが見えるわけです。
先日、うちの近所のとある銀行に行きました。行きつけ(?)のブランチです。
入ってみると、数週間前まで工事中だった窓口には、無人の自動対応の機械が2つ取り付けられていました。
これまでは人間がやっていた仕事をするために、ロボットが導入されたわけです。
今まで、窓口にいたTellerの女性は、手にiPadを持って、私に挨拶をし、マシーンに誘導します。
「今日の用事は何ですか?」
「普通の預金です。」
「オーケー、じゃあ、ここでどうぞ。」
これまで、建物の外のATMでできていたことが、ここでもできるようになったわけです。
見渡してみると、いつもいたもう一人のTellerがいません。
窓口の中にもいないようです。
「人員削減」
の言葉が頭をよぎりました。
これまで3つあった窓口の2つがロボットに奪われた。
つまり、その分の人間は、不必要になる。
まぁ、私がここのブランチマネジャーなら、仕事のなくなったTellerをアイドリングさせておくわけにはいかないから、普通はクビにするだろう・・・。
と思いながら、これからの時代の「現実」を目撃したわけです。
そしてこれは、銀行だけでなく、様々なところで起こり始めていますし、みなさんも見てきているはずです。レジのキャッシャー、病院の受付、運転免許更新だってネットでできるし、買い物もオンライン。
つまり、「ロボットでもできる仕事」をやり続けていては、Job Security(仕事の確保)という面では、絶対に危険なのです。
じゃあ、「ロボットのできない仕事」って何か?
を考えた時、それを教えてくれるのが「文系科目」なのです。
文学、哲学、アート、歴史学、社会学、というような「人間」を対象にした学問。
これに対して、人間がどう受け止め、どう捉え、どう対応するか、というのは、ロボットではできません。なぜなら、答えや解釈が一つじゃないから。
理系科目でキャリア構築を目指している場合も、文系要素をきちんと使える人材にならなければいけない。
たとえば、自分でクライアントと交渉できるプログラマーだとか、哲学を理解しているロボットエンジニアだとか、歴史的観点からものづくりをできるエンジニアだとか、二足のわらじを上手に使えなくてはいけないわけです。
だから、昨今のSTEM一辺倒の教育に対して、私は危機感を抱かざるをえないし、その結果として文学とか哲学というものが見落とされてしまっては、それは教育とは言えない。むしろ、「職業訓練」でしかない、と、私が今、読んでいる本 “The Shame of the Nation” でJonathan Kozolという教育学者も言っています。
私が数学を勉強した結果、「これってなんて人間くさい学問なんだろう」と思ったことは、この記事でも書いています。
STEMのような無機的な学問の中にヒューマニティを見つける、というのが理系科目を勉強する人にとっての課題であるべきだし、同時に、文系科目を理解し、appreciateできること。
そのためには、プログラミングと同じくらい、太宰治やシェークスピアを読むこと。
ロボットの勉強と同じくらい、美術史を学ぶこと。
数学の勉強と同じくらい、外で遊ぶこと。
それが、「人間」として21世紀を生き残る手段だと、私は思うのです。