物書きのプライドを試す、Plagiarism とは?
こんにちは、Erinaです。
みなさん、Plagiarism(発音は「プラジァリズム」)という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
おそらく、アメリカで大学に通ったり、研究をしている方には馴染みのある言葉でしょう。
Plagiarism は日本語訳では、「盗作」とか「剽窃(ひょうせつ)」と呼ばれるそうで、意味としては「他人の文章やアイディアなどを、無断で使ったりアレンジして、自分のものとして利用すること」です。
英語では、”Taking a credit of someone else’s work as own work” なんて言われるでしょうか。
たとえば、日本では、音楽などで「この新曲は○○の盗作だ!」なんてニュースになることがたまにありますが、大学論文や、まして一般人のブログなどでそのようなことが取り上げられることはほとんどないように見えます。
しかし、ここアメリカでは、この Plagiarism に対してかなり厳しいので、ちょっと書いておきたいと思います。
私がこの Plagiarism という言葉を初めて聞いたのは、やはり大学に入学して最初のライティングのクラスでした。
「こういうことをしてはいけません」「もし見つかった場合は、厳重に罰せられます」と教授たちから聞いて、「はぁ、厳しいんだなぁ」と思っていたのですが、当初は、実際にどういうものが Plagiarism なのかという区別がつかずにいました。
当時はインターネットが普及し始めて、いわゆる「コピペ」というものがすごく簡単にできるようになりました。もちろんシンプルなコピペも Plagiarism の一つです。
また、一見しては Plagiarism には見えないのだけれど、「読む人が読めば一発でわかる」というものもあります。それは、単語をちょこちょこっと変えたり、文章の順番を入れ替えたりしたもの、またはオリジナルのアイディアを拝借してきたものなど。実は、私のアメ10で書いたある記事も、こうやって Plagiarism で別のブログで剽窃されたものが一つあって、しばらく前にたまたま見つけたんですが、ちょっと愕然としました。
私も大学在学中、それも英作文初心者のうちは、自分の考えをまとめることやそれを文章にすることで必死で、良いものを書くことに必死でした。
だから、誰かの文章と照らし合わせる、なんていう余裕はなかったし、どこかから持ってくるなんてことも思いつきもしませんでした。
どこかの文章から「引用」したいという場合は、きちんとフォーマットがあって(MLA, APA, ALAとか・・・) 、どんな情報をどうやって自分の文章に入れるか、という超細かいルールがあります。大学ではこれもビシッと学びます。
しかし、そうではなくて、「あ〜、これ良い文章だな〜。ちょっと使っちゃお〜」なんてカジュアルな気持ちで他人の文章を無断で使ってしまうと、読んでいる人(それもプロ)は、「おいおい、これ、絶対にアンタのオリジナルじゃないでしょ」と見抜けちゃう。
しかも最近は、そういう Plagiarism をチェックするウェブサイトがあって、怪しい文章を検索にかけたら、「マッチ率いくらで、この文章の盗用です」なんて出てきちゃうわけです。まぁ日本語でできるシステムがあるかどうかはわかりませんが。
実際は、Plagiarism 自体をキャッチすることはかなり難しいことだし、見つけたからと言って、一大事になることはほとんどないでしょう。
じゃあどうして、それでもアメリカのアカデミックや研究の場で、この Plagiarism をこんなにも取り上げるのか?
それはやはり、「個人のアイディア」や「個人の意見」というものを重要視しているからだと思います。
アイディアや意見というのは、個人の頭の中で作り上げられるもので、本来は他人には見えません。それを文章(または言葉)という形にして初めて、他人に伝わるものです。
その作業は孤独なものであり、語彙力や論理力、想像力、時間も体力も必要になってくる。
(「怪しい文章」というのはこの時点でわかるもので、文章を読みなれている人には、「こういう考えを持つ人間が、こういう文章の書き方をするはずはない」と非言語的な流れで見抜けてしまいます。)
なので、Plagiarism を厳しく取り締まるアメリカ文化というのは、こういう孤独な作業をリスペクトするためのものであり、「誰かが作り出したもの=文章」というものを、盗用するというのは、人として道徳に反していますよ、ということを示すためだと思います。
また、こうやって一度失った信用というのは、また築き上げるものが大変です。「この人が書く文章は全部、偽物なんじゃないか?」って思われてしまったら、同じ人が書いた他の文章も読もうと思えません。
私もこうやってブログで記事を書いたり、仕事で文章を書くようになって感じたことは、自分の文章には、自分の魂が詰まっている。プライドがある。「これは私が自力で書きました!」と胸を張って言えるものじゃないと、世の中に出したいとは思わないわけです。
だから、平気で意図的に Plagiarism をしてしまうような前述のとあるブログなんかは、「あんた、物書きとしてのプライドあるの?」と聞きたいし(いや、ないのはわかってる笑)、裁判にするとかそんなことはどうでも良くて、物書きとしての質が見えてしまいますね。
たとえば、どこかで読んだ文章に感動して、「この人のこの言葉や文章を紹介したい!」というときは、きちんと引用し、クレジットを残します。「○○ブログの○○さんの記事から」なんて書けば、全く問題ないわけです。
・・・とまぁ、こんな小さなブログですけど、日本人ライターとして、レベルを落とすような文章は書きたくないなぁと思ってるわけです。
ほんと、クレジットつけないで人の文章とか引用するの、なしだよね~。
まとめNaverで文句を言ってやりたいやつが一つあるんだけど、でもそのまとめページ、絶対誰も見そうにない(マイナーすぎて(笑))から、めんどくさいから言ってない。
Erinaさん、
日本語はキャッチできるかどうかわからないけど、アメリカでは他の人のブログの言葉を無断使用した、しないで、スー騒ぎになる事ある様ですよ。偶々昔読んだブログもそれで苦労したと言う記事が有りました。
論文騒ぎも、ある有名大学で、うちの彼の友達の書いた論文が名の通っている教授が書いた論文として発表された事があります。 その当時、私の彼の友達はまだ知名度が無かったので戦えず、他の論文を発表しリベンジをしたけれど。確かに怖いです。
アメリカのブロガーのブログはその点を注意する文章がブログのどこかに記載されてますよね。
日本はどうなのでしょう。私も他の記事を使う場合必ずリンクを付けますが、やっぱり書く時は慎重になりますね。日本でも論文を書く時、引用はかなりしっかり教えられると思うのですが、どうだろう。
マキさん
あのまとめサイトさ、リンクは自動的に貼られない?
使ったことないからわからないけど、どこかから引用するやつだよね?もし無断引用できるようなら、まとめサイト自体がもうplagiarismだね。そういうところからして日本人ライターの意識の低さに驚くわ。
mimiさん、コメントありがとうございます。
アカデミックな場所とか、営利目的のブログではそういうの厳しいですよね。アカデミックなら学界追放とかありそうですし・・・。
アメリカは「意見」とか「文章」という知的財産をきちんと守るシステムがあるように思えます。それもやはり「クレジット」、つまりは「信用」でできている世界だからですよね。
100%一致なんてことはありえないし、かと言って100%一致しない文章もないわけで。だからこそ、「これは私のものです」と言えることって大事なんですよね。
まとめサイト、あれ、誰でもまとめページ作れちゃうみたいだね。
記事からの文の抽出で” ”でくくってあるのはいいんだけどね。そうじゃないんだよね。しかもリンク先が間違っているという(笑)
お久しぶりですー
文章をそのまんまうつされちゃったのですか?苦情言ってみました?
論文の世界ではアイディアだけでも引用するときは出典明記しないといけないけどカジュアルなブログ世界だとアイディアだけなら、あ、私も同じ内容について自分の意見書いてみようってなるのかも。
りょうこさん
確かに、人の記事がインスピレーションになることはありますよね。
この情報化社会ですから、100%オリジナルの文章なんて絶対に作れないし、どこかで誰かが似たようなことを書いているのは当たり前だと思います。
でも、この問題になった記事は、ところどころの単語を変えただけで、文章はまるっきりそのままでしたね。もうちょっと手を変えろ、って突っ込みたくなっちゃうくらい。笑
苦情は言ってません。そんな程度の低い人間と同レベルになりたくないので・・・。