日本昔話とイソップ物語

こんにちは、Erinaです。

 

みなさんは子供の頃、日本昔話を聞いて育ったでしょうか?

桃太郎、浦島太郎、鶴の恩返し、サルカニ合戦などなど、たくさんありましたよね。

 

私が「日本昔話ってどんなもの?」と聞かれたら、「まぁたいていは、鬼がやってきて、退治するっていうストーリー」と答えるだろうし、あのシリーズに「鬼」という存在はかなり大きなものだったはずです。

アメリカで子育てしていて気付いたのは、この「鬼」という存在は、日本文化において、かなり独特なものだなぁ、ということでした。

 

 

うちの娘がもっと小さかった頃、彼女は「モンスター」の存在を恐れていた時期がありました。2〜3歳くらいだったかなぁ・・・。何か映画を見て、そういう想像上の「怖いもの」が彼女の世界に出来上がった頃でした。

当時おそらく4〜5歳だった長男は、一度も「モンスターが怖い」なんて言ったことはなかったので、「アメリカで育つ子供ってそういうのは怖くないのか」なんて思っていたのですが、その期待を裏切っての娘の反応だったのでした。

 

私も実は、子供の頃はかなり怖がりで、お化け屋敷なんて一度も入ったことがなかったし、怪談も肝試しも大嫌いだったし、田舎のおばあちゃんの家ではトイレに行くのも怖かった。

だから、どちらかというと、娘の気持ちのほうがよくわかるわけです。

 

「モンスターが怖い」と言い出した娘に、「怖くないよ、モンスターなんていないよ」と教える日々が続いたのですが、ここで、日本の子育てでよく聞く、あるフレーズを思い出したのです。

 

「悪いことしたら、オバケが来るよ!」

「そんなことしたら、鬼が来るよ!」

 

言ったこと、聞いたこと、ありませんか?

 

私はこの手のオバケや鬼が来るとは思っていなかったので、きっと親や周りの人に言われたことはなかったんだろうけど、こうやって子供に「想像上の怖い存在」を知らしめて、そこに出てくる「鬼」を日本昔話に登場させるのは、日本特有だなと思ったのでした。

 

私は民俗学の専門家ではありませんが、おそらく「鬼」というのは、昔の人々が恐れたもの、きっと自然災害とか、飢饉とか、年貢とか、地主とか、まぁそういうものをシンボル化させたものなんでしょうけど、それが現代にまで残って、「子供をしつけるためのもの」に使っている日本文化というのは、やはりちょっと面白いなと思うのでした。

だって、子供は「鬼が来るから、泣くのをやめよう」「オバケが来るから、ママの言うことを聞こう」と思って、大人になるわけです。

 

で、私は今、アメリカに来て、日本を外から見て思うんですが、こうやって、実態のない「鬼」が怖いのって、子供だけじゃないんですよ。

大人になっても怖い。

それは、「誰かに見られてるんじゃないか?」っていう恐怖。間違ったら「鬼」(という想像上の何か)にジャッジされるのじゃないか?という強迫感。

 

「やりたいことがあるけど、人にどう思われるかわからないからできない」

「○○歳も過ぎて、周りがうるさいから結婚しなきゃ」

「子供が欲しいけど、職場でどう言われるかわからない」

「こんなこと言ったら、どう思われるかわからないから黙っておこう」

 

なんて、日本の現代人の悩みに共通しているフレーズじゃありませんか。

こうやって、自分以外のもの(=社会、つまりは鬼)に、自分の選択肢を委ねているのは、やはり日本に独特なのです。

ね〜、洗脳されてるでしょう?

こう思うのは、アメリカではこういうフレーズを、全くと言って良いほど耳にしないからです。

 

私は日本昔話を全否定するつもりはありませんが(笑)、時代背景なども考慮しないと、歪んだ子育てにつながってしまうリスクもあるのじゃないかなぁと気づいたわけです。

 

 

そこで、「じゃあ、アメリカでは何を使うのか?」と思っていたところに、娘が、モンスターを恐れていた時期にクリスマスプレゼントでもらった本がこちら。

 

Aesop’s Fables

 

つまり、「イソップ物語」(またはイソップ寓話)でした。

 

アリとキリギリス

ウサギとカメ(英語ではThe Tortoise and The Hareと言いますね)

金の斧

北風と太陽

 

などが有名でしょうか。

 

これらも、タイトルを聞けば、「あぁ〜、あの話ね」と思い出せるはずです。

 

これらのストーリーには、想像上の「鬼」のような存在は登場しません。

登場するのは、擬人化された動物や太陽などで、最後に「教訓」があるのが特長です。

そしてそれらの「教訓」は、登場するキャラクターたち自身の言動が元になって、物事が進み、結果として、「あぁ、あの時にこうすればよかった」とか「こうしなければよかった」という教訓が得られるわけです。

つまり、自分自身の”Consequence” (コンセクエンス、物事の流れ)を考えるきっかけになる。

 

私はそれこそ3〜4歳のうちの子供達が、日本昔話の代わりに、イソップ物語を読んでいるのを見て、「そうか!これが違いなのか!」と膝を叩いたわけです。

 

それは、

 

「鬼が見ているかもしれないから」という周り主体の選択と決断(日本式)

「これをやったらこうなるから」という自分主体の選択と決断(アメリカ式)

 

の違いは、こんなところからも始まってる!という気づきでした。

 

私が今でも、他人が自分をどう思うかを気にしないのは(笑)、きっと「鬼が来るからやめよう」というタイプの子どもじゃなかったからなんでしょうね。爆笑

 

今月中は我が家でも「サンタが見てるよ」を使ってるわけですが、それもあと数日の効果。

鬼、来てくれないかなぁ・・・。

 

 

 

 

“日本昔話とイソップ物語” への3件の返信

  1. 確かに、日本にいた時の、周りからの圧力、つまり「母親は(子育ては)こうあるべき」というプレッシャーがアメリカに来てかなり減った気がします。習慣も文化も違う多国籍の家族が身近にいると、違うのが当たり前、正解は1つじゃない、という感覚が普通になってきます。でも逆に、しっかりした自分の軸を持つ必要が出てくる。エリナさんの「自分主体の選択と決断」は、自分のことは自分で決める強さですね。

  2. Naokoさん
    私もしばらく日本に帰ってないし、帰っても短期なので、もう完全にビジターですが、アメリカの「鬼の不在(笑)」がcomfortableでたまりませんね。
    鬼との相性って合う・合わないがあると思いますけどね。そういうのが必要って人もいるだろうし。
    ただ、お互いが息苦しくなるだけなら、その意味を考え直す時期かな、とも思います。

  3.  こんにちは!いつも楽しく感心しながら読んでいます。とくに国語教育の違いはびっくりです!
    日本の昔話とイソップ物語について、興味深く読ませていただきました。

     そこで、日本の昔話について、ひとこと。
     日本の昔話に登場する鬼は、いわゆるモンスターではないと思います。確かに日本では「そういうことをすると鬼が来るよ」とか「鬼が見てるよ」ということを子どもに言いますね。これは日本のしつけの最も悪い点だと、私は思っています。私自身は3人の子育て中、一度もこういった脅し?を言わないで子育てしました。昔話に登場する鬼は自分自身の中にいるもう一人の自分ではないでしょうか?私は絵本の読み聞かせボランティアで長く活動し、昔話の勉強もしました。日本の昔話の持つ力というのは、年齢を重ねるごとにまるでボディブローのように効いてくるのです。単純なお話の中で、おじいさんやおばあさんの気持ち、鬼の気持ち、どちらも理解できるようになってくるのです。そのためにも子どもが幼いうちに昔話ど出会う機会を与えてあげたいと思っています。

     そしてイソップ物語についても、ひとこと。
     イソップ物語については詳しくないので、かつてどこかで読んだ本のうろ覚えですが、作者と言われているイソップ=アイソポスはギリシャ時代の奴隷だったそうです。特権階級に支配されていたため、そうならないようにするためにはということからこの物語を書いたとされています。そう考えると、イソップ物語は欧米社会には受け入れられやすいかもしれませんね。

     それから、もうひとつ。日本の昔話にはグリム童話のようなお姫様と王子様のお話がとても少ないのです。不思議ですね。

     ずいぶん前の投稿にコメントしました。ごめんなさい。
     これからも楽しみにしています。
     

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