理科の先生は国語の先生?

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こんにちは、Erinaです。

 

ここ数日、数学以外の授業参観をさせてもらっているわけですが、先日は、9年生(日本の中3)の理科のクラスに行ってきました。

 

 

朝、準備室にいるダンカン先生(40〜50代の女性)に挨拶すると、「今日は、Earth science(地学)の単元だから。ウェルカム!」と教えてくれました。

理科室は、元素周期表 (Periodic table) が貼ってあったり、何らかの生物がいるであろう水槽がポコポコと音を立てていたり、「あー、理科室だな」って感じです。

 

このクラスは生徒数21名。

どうも理科のクラスというのは、安全上、かなり厳しい生徒の人数制限があり、あまり大人数のクラス設定にはならないそうです。

教室に入るとすぐに、生徒たちは数日前の実験レポートを先生に提出。ページは一枚で、タイプしてあります。プリントアウトは図書館でしてくるそうですが、それをし忘れた生徒は自分のクロムブックを持って図書館に戻ります。

 

その後、先生が「はい、じゃあ実験のデータシートを集めてきて。5分で戻ってきてね」と言うと、生徒たちはおもむろに教室から出て行きました。

 

「ん?どこに行くのかな?」

 

と思って見てみると、外にある電柱やら壁になんかしている・・・。

 

どうも数日前に貼っておいた「データシート」というものを回収しているようなのです。

データシートには、ガムテープのようなものが裏返しに貼られていて、風で飛んできたチリやほこり、植物や虫などがくっつくようになっています。

 

この日の単元は、geosphere(地圏)とbiosphere(生物圏)の勉強で、

 

geospheric material:地表に属するもの(チリやほこり)

biospheric material:生物に属するもの(植物や動物)

 

の数をそれぞれに数えて、比率を調べるものでした。

 

これらのコンセプトはすでに数日前から勉強していたので、今日は実際のデータを見て、レポートにまとめる日のようです。4人グループになった生徒たちは、ハンドレンズを使ってそれぞれの数をまとめていきます。

 

ここまでは、かなり典型的な理科の授業のようでした。

 

データが集まると、先生は各自のクロムブックを出すように指示します。

 

「じゃあ、CLEARを書いていきますよ」と言うと、ダンカン先生は、ホワイトボードにこう書いていきます。

 

Cl

E

A

R

 

「じゃあ、”Claim” から。今回の “Claim” は何かしら?」

 

なるほどなるほど。

どうやらこのCLEARというのは、実験レポートを書く上で必要な要素の頭文字をとったもののようで、

 

Claim(主張)

Evidence(証拠)

Analysis(分析)

Reasoning(理由)

 

を明確にすることで、今回の実験について科学的な文章を書く練習につながるのです。

これをとても上手に生徒とやっている様子を見て、「この先生、国語も教えられるんじゃないかなぁ?」なんて思ってしまいました。

 

一通り、CLEARをまとめると、生徒たちはそれぞれのクロムブックに向かい、自分たちの言葉で作文をし始めます。生徒たちがカチャカチャと忙しくタイプし始めると、先生は私の質問に答えてくれました。

 

彼女はもともとは地学の学位を取ったのだけれど、修士号は英語 (English) だったので、作文指導も勉強したとのこと。国語の教員免許も持っているそうです。やっぱり!

CLEARというプログラムは学年全体で行っている取り組みなのだけれども、科学的文章を書けるようになると、他の科目での作文力も上がるため、彼女は個人的にこれをフォーカスしているとのこと。数学の証明だってできるようになります。

 

「現在の社会では、ものを書く力=社会的成功に直接的につながる。いつまでも底辺にいたくなかったら、やはりしっかりとした作文力が必要。」

 

とのことで、私はとても強く同意せざるを得ませんでした。そしてこう言いました。

 

「私はもともと日本出身で、今は日本人の学生たちに英作文を教えています。日本の作文と、アメリカの作文は大きく異なっていて、まずはストラクチャーを教えます。

多くの人は、難しいボキャブラリーとか、かっこいいフレーズとかに気を取られてしまうけれど、大事なのはストラクチャーがしっかりできているかどうかだと思うんです。」

 

するとダンカン先生は、

 

「まさにその通り。

あとは長さね。作文というのは、長ければ良いというものではない。特に今回のような要約では、飾りだけで無意味な文章は全て削らなくてはならないし、何が必要な情報で、何が不要な情報かを、見極めなくてはなりません。

だからそのために、今日の実験もシンプルなものにしたのよ。」

 

その後、彼女は生徒たちの作文をチェックしたり、添削したりしながら、歩き回りました。

 

それを見ながら、「いやぁ、この授業を受けられる学生はラッキーだな」とつくづく思ったのです。

 

ダンカン先生曰く、

 

「ほとんどの理科の先生はこんなこと(=作文教育)はやらないでしょうね。たいていはボキャブラリーを覚えて、ワークシートをやって終わりだから、スケジュール通りに進められるのよね。だから私の授業は予定通りに進まないのだけれど。(笑)

だけど、どんな素晴らしい科学的発見をしたとしても、それを伝えるスキルが必要になるでしょう。だからサイエンティストだって作文力が必要なのよ。」

 

そうか、それぞれの科目で色々な葛藤があるんだなぁ・・・と思いながら、それでもやはり理科の授業で作文教育を受けられることはとても素晴らしいことだと思ったのです。

 

昨今のコモン・コアカリキュラムでは、国語教育で取り扱う文章が、物語(フィクション)から、科学的文章のようなノンフィクションに移行しています。つまり、現在の小学生たちは、現在の大学生以降の年代が小学生だった時よりも、ずっとたくさんの説明文や科学的文献、歴史的文献を読んでいるのです。

この傾向はしばらく続くと考えられるし、やはりノンフィクションの情報を読んだり書いたりできるスキルというのは、これからの世代には絶対条件。

 

前回の記事で書いたような、シェイクスピアのような純文学の単元は最小限に抑えられ、これからどんどんノンフィクションの文章が取り入れられるようで、特に理科や社会科での作文や文献分析などが増えています。

 

それを考えると、理科の先生でありながら国語教師であるというダンカン先生は重宝されるだろうなと思うし、生徒も得られるものがとてもたくさんあるわけですね。

 

どうでしょうか。

 

私がこのブログで書いている作文関連の記事はこちらで読めます

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

2 Responses to “理科の先生は国語の先生?”

  1. avatar

    ken

    大変おもしろく、かつ意義のある記事をありがとうございます。

    「理科でも作文力が必要」、全くその通りだと思います。
    私は日本の私立大学で工学部の教員をしており、仕事で一番時間がかかるのが学生の文章の添削です。
    私にやってくる文章の多くは、正直言ってはちゃめちゃです。笑

    「理系だから論理的な思考が得意」とよく言われますが、論理的な文章の組み立てはこれまで全く訓練されていないな、ということを日々感じています。
    そして、文章が書けない人は、「なぜ?」という問いかけを何度か繰り返すと先の回答と矛盾した回答が出てくることもしばしば。そうなると科学的な発見からも遠ざかることになります…
    研究室の学生には、分量の上限が決められた短めの文章を書く(+添削して返す)というトレーニングを定期的にしてもらっていますが、より効果的な方法を見つけられるようにErinaさんの記事から勉強させていただきます。

  2. avatar

    Erina

    kenさん、初めまして。
    コメントいただき、ありがとうございます。

    私自身、日本の小~高校で作文教育というものを受けた記憶がなく、「気が付いたら書かされてた・・・(汗)」という感じでした。
    こちらに来て、とてもシステマティックな作文教育を受けて、これなら誰でもできるじゃん!と思い、それもなるべく早い時期から教えたいと思うようになりました。

    >文章が書けない人は、「なぜ?」という問いかけを何度か繰り返すと先の回答と矛盾した回答が出てくることもしばしば。

    まさにそうですよね。
    英語では、”Writing is thinking.” と言われ、やはり書くことをしないというのは、考えるトレーニングがされていないということで、現在の日本の教育カリキュラムにとても欠けている部分だと感じています。「これってどう思う?」というオープンエンドな質問にパッと答えられる学生の少ないことに驚きます。
    アメリカに限らず、世界では「自分の考えを持つ」という教育が当たり前に行われているので、kenさんのような日本の教育・研究現場にいらっしゃる方に、私の記事を読んでいただけるのはとても幸いです。
    私も数学と作文の二本柱で記事を書いていきますので、またぜひいらっしゃってください。

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