日本語を話すこと、日本人であること

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こんにちは、Erinaです。

 

今日は、言葉とアイデンティティの関係について書いたみたいと思います。

 

この記事でも書いたように、アメリカで生まれ育つ我が家の子供達には、日本語を教えずに育てています。しかし、「母親が日本人である」という彼らのアイデンティティは、「日本語」という言語とは別のところで教えています。

 

この21世紀、日本生まれ日本育ちの日本人が、日本国外で子育てをする機会はどんどん増えていきます。旦那さんが外国人かもしれないし、留学先や赴任先で結婚するかもしれないし、または結婚相手が日本人だとしても、海外転勤になるかもしれません。

 

そんな中で、「子供にどこまで日本語を教えるか」というバイリンガル教育への葛藤や、「子供に日本人であることをどう教えるか」というアイデンティティ確立の問題が生まれます。

 

そこで、「日本語(言語)」と「アイデンティティ」というものをつなげて考える方が多いようですが、私は、

 

「日本語を話すことと、日本人というアイデンティティは別である」

 

ということを認識してもらいたいのです。

つまり、日本語を話すからといって、子供が自動的に「自分は日本人だ」と認識するわけではないということ。

 

というかそもそも、「自分は〇〇人だ」なんてはっきりと白黒つけられる人間のほうが少数であり、それができるのは島国育ちの日本人くらいなんじゃないかなと思うのです。

 

ここアメリカでは、「自分はアメリカ人」だと表面的には言うけれど、深く話をしたら、「父方の祖父母はどこどこからで、母方の祖父母はどこどこからだから、自分は何らかのミックスだ」という認識をしている人がほとんどです。「私は純〇〇人です!」と言える人はほとんどいません。

だから、島国日本で生まれ育って大人にならない限り、「自分は〇〇人です」と言える人(子供)はほとんどいないし、むしろそうやって無理に視野を狭めない方が良いと私は感じます。

 

うちの子供達より少し上の、アメリカで育っている日本人の子供や、ミックスの子供達に聞いてみたことがあります。

 

「あなたは、自分をアメリカ人だと思う?日本人だと思う?」

 

この答えはまちまちで、やはり自分をどこに置くかによって自己認識は異なるということ。そして年齢が変われば、その認識も変わってくるということ。

つまり、「そんなこと、結論付けられない!」ということだし、むしろその決断って残酷で無意味だよな、と思ったのです。

そう思った時、自分の子供がナニ人だろうとどうでも良くて、彼らが自分らしくいられることの方が大事であり、こうやってミックスアイデンティティの子供達には、そういうサポートが必要なんじゃないかと思ったのです。

 

先日、アメリカ各地で今年度の AP Japanese のテストが行われました。

 

これは高校の外国語(日本語)単位のためのテストで、日本語に興味のある学生たちが受験するもの。日本語環境で育つ子供達も多く受験します。学校によってはクラスがあり、日本語や日本文化について勉強するようです。

 

私は今回、このテスト勉強を見ることになったので、テストの内容を把握するために過去問などを研究してみました。やはり外国語のテストらしく、読む・書く・聞く・話すの4部分で構成されており、内容としては日常会話〜高校卒業レベルの言語スキルを問われるものでした。

ただ、私が新しく知ったことは、これは「単なる日本語のテストではない」ということ。つまり、日本語を話せる・聞ける・書ける・読めるだけでは、合格点は出せないということでした。

 

どういうことかというと、書く・話すのアウトプットの部分では、日本文化に対する自分の経験や意見を述べなければならず、その文化について知識がなければ、さっぱり手をつけられない問題だからです。

 

たとえば、練習問題にリストアップされていたテーマとしては、

 

  • 日本の家族
  • 日本の気候
  • 日本の学校生活
  • 日本のビジネスマナー
  • 日本の食べ物
  • 日本の旅行
  • 日本の住居
  • 日本のエンターテインメント
  • 日本の医療
  • 日本の友人関係

 

などなど、アメリカと日本のものを比べたり、具体例を5つ挙げたりしなくてはならず、それぞれの項目について、ある程度の知識が必要になるわけです。

 

反対の例を挙げてみると、日本の英検では3級以上から英作文がありますが、これらのトピックは環境問題や社会問題、それも日本に関するものであり、アメリカの食生活や、イギリスの天候などの知識は必要ありません。なので、英語という言語力と、一般的な自分の文化の知識さえあればまぁ乗り切れるわけです。

 

しかし、今回の AP Japanese という科目は、「その言語を使っている国のことも知ろうね」というのが目的なので、やはり「日本」という国のことも知らないといけない。

 

アメリカで生まれ育った日本人・日系アメリカ人の学生たちが苦労するのはやはりそこでした。

家では日本語を使っているので、日本語力は十分にあるのですが、やはり「生活」というものをしていない国や文化の知識習得というのは別のものだったのです。

 

こうやってバイリンガル環境で育っている子供達を見ていてわかったことは、

 

「アイデンティティ=言語」ではなく、

 

「アイデンティティ=時間」であるということ。

 

つまり、その環境で過ごした時間が長ければ長いほど、私たち人間は「自分はここに属する」と自己認識するわけです。

 

そんな中で、「日本人」という要素を教えたい場合、「何をもって日本人とするか」という定義をはっきりさせる必要があります。

年上の人を敬うとか、家に入る時は靴を脱ぐとか、そういう礼儀作法は日本語を話せなくても教えることができるし、枕草子を読んで素晴らしいと思ってもらうには、やはり日本の四季とそれにまつわる変化を体感させなければならないかもしれない。

 

単純に日本語を教えるだけで、私たちが感謝できる日本文化を、外国で育つ子供たちも同様に感謝できるかというと、やはりそれは不可能でしょう。

 

次回の記事では、私たち親の世代と、外国で育つ子供世代に存在するギャップについて書いてみます。

 

 

 

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

6 Responses to “日本語を話すこと、日本人であること”

  1. avatar

    るる

    Erinaさん、こんにちは。
    今回の記事もふむふむと頷きながら読ませていただきました。
    また前回残した(ちょっと言いがかり?と思われるような)コメントにも誠実なお返事をいただき、ますますこちらのブログのファンになりました!

    私が海外に住んでひしひしと感じたのは、言葉が話せればその国の人と分かり合えるというものではない、言葉=その国の文化、歴史を反映しているものなのだ、というものです。
    日本は英語が「正しい発音」で「話せる」ということに重きをおいていますが、それらが出来たとしてもただの主張となってしまいます。相手国の歴史や文化、風習を理解・尊重して初めて分かり合えるような気がするのです。
    ですので、アメリカのAP日本語の試験はそれらを踏まえての試験内容でとても驚きました。とても良いですね。

    アイデンティティは私自身も悩んだ時期があります。住んでいる国の言葉が理解出来ているのに、子供を育てるにあたり、些細なこと(例えば学校に持たせるおやつはどんなものが良いのか?)さえ分からない時など。

    何だかまとまりのない文章になってしまいました。
    子供たちには一般的な日本人とは違う家庭環境で育っていますので、それを前向きに捉えて「日本と住んでいる国両国の良いとこ取り」をした、フレキシブルな人になって欲しいなぁー、と願っています。

  2. avatar

    りょうこ

    ちょっとテーマからそれるかもですが。。日本人って日本人以外が日本語を学んでると「ほ〜感心だなー」って思うけど、日本語を完璧にマスターできるのは日本人だけっていうちょっと上から目線が多いって聞いたことがあります。日本語は日本の日本人だけのものっていう。

    だから、日本を出た日本人の子どもへの日本語習得プログラムが国レベルでは無いらしいです。中国は中国を出た子ども用に国がサポートする中国語習得プログラムがあるって聞いたことがあります。

    日本って海外へ出ていく人へ冷たいというか。。(もちろんプロ野球の選手とかは別ですが)だから、2重国籍も認めて無いのかな。海外に住んで外国籍を取ったら日本国籍は持つなっていうか。

  3. avatar

    Erina

    るるさん、こんにちは。

    >言葉が話せればその国の人と分かり合えるというものではない

    まさにその通りだと思います。
    アメリカで暮らして数年、日常英会話に問題がなくなっても、「自分は外国人なんだな」と感じる人が多いのはやはりそれが原因でしょう。
    私もそうでしたが、アメリカ市民になることを決意し、この国の歴史を勉強したとき、もう自分はこの国のアウトサイダーだと思わなくなりました。
    そしてその努力をするかどうかは本人次第なんですよね。生活するうえでは何の問題もないけれど、自分をその国のどこに置くかというのは自分の意志です。
    日本でも単なる聞く・話す・書く・読むだけではなく、そういう「郷に入っては郷に従え」というメンタリティも教えてほしいなと思いますね。

  4. avatar

    Erina

    りょうこさん、こんにちは。

    私もそれ、わかる気がします。
    やっぱり日本の「血縁主義」が強いんでしょうかね。
    日本を出て、日本人と子孫を残さないなら・・・っていう。
    外国人が使う日本語と、日本で生まれ育った日本人が使う日本語では、意識が違いますよね。

    う~ん、日本の島国根性は思ったより根が深いなぁ・・・。
    日本人には、もっともっと外に出て、色んなものを見て欲しいですよね。

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    Michiho

    Erinaさん、こんにちは。いつも楽しく記事を読ませていただいています。先週我が家の息子も初めてAP Japaneseのテストを受けてきたので、とてもタイムリーな話題でした。日本人家庭ですが、生まれも育ちもサンディエゴの息子のアイデンティティはアメリカ人75%日本人25%という感覚らしいです。アメリカの大学進学しか考えていない彼にとっては、日本語学習は大学進学を有利に展開するための一つのツールでしかないんだと思いますが。。。今回準備らしい準備もせず、初めてテストを受けてみて、プレゼンテーションを4分で準備して2分話すという問題が一番難しいと感じたそうです。これを機に、少しは日本の時事問題にも関心を持ってくれたらいいのですが。。。(苦笑)

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    Erina

    Michihoさん、こんにちは。
    いつもありがとうございます。

    なるほどー、息子さんはそういう感覚があるんですね。面白いなぁ。
    きっと小さかった頃はもっと日本人のウェイトが大きかったと思うんですが、年齢が上がるにつれて変わってきたんだろうなと予想します。

    AP Japaneseのプレゼンテーションは難しいですね。
    テーマがわかってて、短時間でまとめられて、話せる、というとても数多くのスキルが試されてるなと私も思いました。

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