海外で子育てをすることの意味

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こんにちは、Erinaです。

 

前回の記事で、

 

「アイデンティティ=言語」ではなく、「アイデンティティ=時間」だという話をしました。

今回は、子供たちのアイデンティティが出来上がる過程を考える上で、移民一世である私たち親世代と、その子供達である移民二世のギャップ、そして親の心構えについて書いてみたいと思います。

 

 

移民一世、二世、三世・・・という言葉を聞いたことがあるでしょうか。

 

母国から外国に移り住んだ世代を「移民一世」、そこに生まれた子供たちを「移民二世」と呼びます。英語では、”1st generation immigrant”, “2nd generation immigrant” とか言いますね。

 

日本の成田空港からスーツケースを持って、アメリカに移住してきた私たちは「移民一世」です。ベースとなるアイデンティティは日本であり、母語は日本語。両親や兄弟姉妹などの直系家族を含めた家族の大部分は、日本にいるかもしれません。

 

そして時間が経ち、私たち移民一世から生まれた次の世代は、「移民二世」です。

私の息子と娘がこれにあたります。

と言っても、父親はアメリカ人なので、「移民」という言葉の意味はかなり薄れてしまいます。

そして彼らが結婚し、子供が生まれたら、その子供は「移民三世」になるわけです。

 

・・・と、だんだんと世代を経るごとに様々な変化が起こり、これこそがアメリカの移民社会のダイナミックな部分でもあります。

 

しかしここで考えたいのは、移民一世と移民二世の間にあるギャップです。

 

ベースとなるものが日本にある一世に比べ、アメリカで生まれ育つ二世の子供達。見た目は日本人だとしても、中身は一世とは全く違います。

 

どんな親にとっても、「自分から生まれた子供」という意識は強く、自分のクローンのような気がしてしまいますが、年齢が上がるにつれ、前回の記事で書いたように、日本語環境で過ごす時間と英語環境で過ごす時間が変わってきます。

中学校に上がる頃には、「日本人」として自分が持っている意識や感覚が、自分の子供に通用しなくなり始めたり。

 

このギャップはやはり、日本とアメリカに限らず、どんな移民家族にも起こる現象のようで、研究もたくさんされています。一世と二世の間のギャップは、というのは、他の世代間に比べて一番大きいのです。

 

私は、これはもう仕方ないと思うし、移民一世になるってそういうことだよなと思います。

スーツケースとダンボールで成田空港を飛び立った時、それが旦那さんの会社の決断だろうと、自分の意志だろうと、日本に何らかの「お別れ」をしたはずで、それはこういう移民一世としての葛藤や孤独を含んでいて、自分の子供には伝わらない日本への愛着も置いてきたはずなのです。

私は、ここアメリカで、家族に恵まれて幸せな毎日を過ごしていても、どこかで「自分は一人だな」と思っている部分があります。それはネガティブな気持ちではなく、自分の決断でこうなったのだから、それと生きていこう、という覚悟のようなものです。

覚悟の度合いは、人によってさまざま。

たとえば、数年おきに日本とアメリカを行き来する場合と、「たぶん、もう日本では暮らさないだろうな」と思っている場合とでは、どこに自分を置くかが変わってくるからです。アメリカでキャリアを持って、アメリカ社会で働いている日本人なんかは、やはり後者の場合が多いですね。

 

 

だから、「チャレンジ(試練)を、オポチュニティ(機会)と思えるかどうか」という言葉がありますが、まさにそうなのではないでしょうか。

自分とは違う感覚を持つ子供を育てることで、「学ぶことがある」と思えるか、それとも、「それって変だよ」と批判するかで、「母親としての立場」が変わってきます。

 

そして考えてみれば、同じ日本で生まれ育った自分の両親とだって、そんなにぴったりと感覚が合うか?と言われたら、かなり疑問です。笑

 

中学の頃に、親と意見が合わなくてぶつかったり、親をなんとなく鬱陶しいと思ったりした経験は誰にでもあると思いますが、それって、日米に関わらず、単なる「思春期」だったはず。

まぁ今は自分も大人になって、理解できることは増えても、やはり別個人なのだから、親子で必ず同意できるかと言われたら、そうじゃないこともあるでしょう。

 

なので、今回の記事で言いたいことは、子供が日本語を話せるかどうか、日本の本土で子育てをしているかどうか、ということだけで、子育ての内容は決まらないということ。

 

どんな言語を話そうと、話さなかろうと、目の前にいるこの子は自分の子供であり、これからの様々な選択の中で、母親として無償の愛情を与え続けること。

 

移民一世と二世の大きなギャップはあるにせよ、大事なのは、「個」を育てているという意識であり、どの国で子育てをしようと、「血縁」よりももっと実質的な親子関係が必要だということです。

 

・・・ってなんか子育てのプロみたいですが(笑)、全然そんなことはありません。

 

大人になっても子供達と良い関係でいられるには、どうしたら良いのかな?という視点で考えているだけで、むしろ子供の立場から、「こう親に思ってほしいかも」と考えています。

 

周りを見ていても、家庭での使用言語に関わらず「良い親子関係だな」と思える家族は、「ちょうど良い距離間」が保たれている気がします。

子供の成長を近すぎず、離れすぎずの場所から見守り、必要な時には手助けをする。もちろん見ているこっちはハラハラなのだけれど、手を出すかどうかはきちんとタイミングを見極めている親達、というイメージです。

 

どうでしょうか。

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

2 Responses to “海外で子育てをすることの意味”

  1. avatar

    Sigan

    初めまして! 同じく国際結婚、カリフォルニア在住二児の母です。 実はまさに今子育てで色々思い悩む事がありました(言語や日系コミュでのママ友繋がり等)。
    この記事は、今の私に本当に必要で、読み終えた後、スーッと楽になりました。 これからも楽しみに読ませて頂きます。

  2. avatar

    Erina

    Siganさん、こんにちは!
    お役に立てて光栄です。
    またいつでも遊びに来てください!

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