日本の学校とアメリカの学校の違い

3 Comments

こんにちは、Erinaです。

 

この2年間で、様々なアメリカの中学・高校を見てきました。

生徒のほぼ全員が新品の靴に新品のパーカー、シャーペンからマーカーまでバッチリ揃ったペンケースを持っている学校。

ピックアップにくる親の車が、レクサス・BMW・メルセデスばかりの学校。

打って変わって、クラスのほとんどが半分くらいの長さの鉛筆を一本持っているかどうか、という学校。(もちろん消しゴムなんてない)

数学を教えながら、この子ギャングメンバーだろうな、という子がいる学校。

教室に麻薬捜査犬が入ってくる学校。

 

日本では考えられない様々な格差を感じながら、数学と中学・高校教育の現場を勉強してきました。

そこで感じたのはやはり「教育とは何か?」ということで、日本とアメリカの学校の違いにも現れています。

 

それは、学校教育と人間教育の違いです。

 

学校教育というのは、日本の学校で強調されているものです。

 

たとえば・・・

  • 授業中はじっと座って先生の話を一方的に聞かなければならない
  • 部活で先輩後輩関係を学ぶ
  • 行事は先生が決めたルールに従う

 

など、「学校」という特殊な場所で学ぶルールです。

学校での成績とかテストの受け方もここに含まれます。

 

では人間教育は何か。

私はアメリカの学校ではやはりこちらが強調されていると感じていて、日本とアメリカの学校の大きな違いかなと思います。

 

たとえば・・・

  • 授業中に鉛筆を削るためにおもむろに立ち上がる子がいても、先生の授業の邪魔をしない
  • トイレに行く時はそっと出て行く
  • 数学の質問のために隣の子とおしゃべりする
  • 行事は生徒が主導

 

などなど、先生の仕事はあくまで「科目を教える」ということであり、子供達に授業内容(科目)が定着していればそれ以外の部分は最低限のルールと安全指導で十分、という考えです。

それこそ経済的に恵まれないエリアの学校でも、こういう基本的な「生徒としてのマインド」というものは欠けていません。「この子、ギャングメンバーかも」と思う生徒だって、一生懸命に数学のプリントをやって期日までに提出しようという姿勢を見せますし、それ以外のことははっきり言って教職の範疇ではない。

 

現在の実習先の9年生(日本の中3)のクラスでは、条件付きで授業中の飲食がオーケーです。

その条件は、周りの迷惑にならないこと。

どんな食べ物なら迷惑にならないか、授業の邪魔にならないか、というのを子供たちは自分で考え、必要に合わせて飲食しています。たいていはチップスとかナッツとかリンゴとかそういうものです。

じゃあこの子たちは勉強していないか?と言われるとそうではありません。

飲食とか鉛筆を削るということは、学習とは独立した物事であり、授業の邪魔にならない限り自分で考えて決めなさい、という人間教育がアメリカのクラスルームでは行われています。

 

これらは本当に限られた例ですが、やはりアメリカのクラスルームに入るとかなりカルチャーショックです。そしてこのカルチャーショックは、「子供の学習と成長に本当に必要なもの」を教えてくれます。この記事でも書いたような、生徒が学校を運営するような役割も、やはり生徒による「自治」を教えていますね。

 

「学校教育」で身についたものは、学校という限られた社会でしか通用しません。

受け身で一方的に授業を聞くとか、他人に与えられた課題をやるとか、学校で「こうだ!」と絶対的に教えられたことは、実際に社会に出た時に真逆になっていることが多々あるからです。就職したら自分で課題を取ってこなくてはならなかったり、受け身じゃ仕事ができなかったり、答えは一つじゃないという現実を、学校教育は教えてくれません。

つまり子供たちは、学生から社会人になる過程で、そのギャップを経験しなくてはならない。

 

しかし、学校という場で「人間教育」を受けてきた子供たちは、そのギャップがそれほど大きくないため、トランジションが割とスムーズにいくわけです。

 

日本とアメリカの学校の大きな違いは?と聞かれたら、やはりそこだと思います。

 

日本の学校では「学校」という場所でしか通用しないルールを教えるけれど、その後のトランジションは難しい。

アメリカの学校では「学校」はその後の社会生活の準備であり、そこにスムーズに順応できるように人間として成長する場所になっている。

 

アメリカで初めて高校生たちと勉強し始めた時に、「こっちの子たちは大人(マチュア)だな」と感じたのは、やはりこういう学校での人間教育にあるのかもしれません。

日頃から自分で何が必要かを考え、一方的に与えられるのではなく、自分のことは自分で決める。アメリカの学校に通う生徒たちは、そういう癖がついているように思えます。

 

こう考えると、私たち大人は子供達に何を教えるべきかを考えさせられます。

「学校」という場所の意義も考えさせられます。

 

50分間座り続けるなんて大人でも苦痛なことを、子供に強制する意味は何なのか?

それは子供の成長と学習に本当に必要なことなのか?

こういうことを教えた結果、この子供たちはどんな大人になっていくのか?

 

どうでしょうか。

 

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About Erina

こんにちは、Erinaです。 日本で一浪した後、2002年に留学生として渡米しました。ESLとコミュニティカレッジを経て、4年制大学に編入。高校時代は大嫌いだった数学が大学で大好きになり、応用数学専攻で卒業。金融アナリストインターン、IT企業でデータアナリスト、銀行で不動産アナリストを経て、現在、キャリアチェンジの真っ最中。アメリカの高校で数学教師になるために、2016年夏に脱サラ。久しぶりの勉強と主婦業に専念しています。二人の小学生のママです。趣味は読書・ヨガ・テニス・ゴルフ・DIY・庭仕事で、最近の一番の楽しみは子育てです。 アメリカに住む日本人女性を応援したくてこのブログを始めました。

3 Responses to “日本の学校とアメリカの学校の違い”

  1. avatar

    k子

    はじめまして。私は日本で3歳の子を育てている母親ですが、「学校教育」を自分の子に受けさせなければならないと思うと暗澹たる気持ちになります。自分自身が受けてきた教育を振り返っても、やはり欠陥があったと思わざるを得ません。保育所に通わせている今でさえ、集団教育の同調圧力が保育士さんというよりは、どちらかというとママさん側にあるように感じます。

    日本で子どもに「人間教育」を受けさせる方法はあると思われますか?私立校に行けばマシなのでしょうか・・・。

  2. avatar

    Erina

    k子さん、こんにちは。
    コメントありがとうございます。

    親として、子どもを学校に行かせることは常に不安がつきまといますよね。
    それはどの国でも、どの地域でも、やはり「他人の思惑」が入ってくるのだから親としては慎重になってしまうものだと思います。
    日本の学校教育も変わってきているところはあるでしょうし、それも校長個人で異なったりと、本当に学校によるところも大きいと思います。
    私が親として、教師として「学校」という場所を考える時は、やはり学校という場所に子どもの教育を丸投げしないこと、つまり親も常に勉強することが必要だと感じます。
    私立でも公立でも、やはり親自身がその学校のポリシーや先生の経験などをきちんと把握し、毎日の子どもとの会話を持つことだと思います。その中で微調整していく。
    その繰り返しかな、と思います。
    どうでしょうか。

  3. avatar

    k子

    お返事ありがとうございます。

    公立の場合は、選べない、というのが難しいところです。いくら入学前に先生と面談して把握に努めたとしても、納得できなかった場合になすすべがありません。

    記事で挙げられていたような、日本の学校の問題は構造的なものなので、一教師や親の関わりでなんとかなるようなものではないでしょう。

    ホームスクールも日本で一般的になったらいいと思います。

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