
帰れるけど戻れない場所
こんにちは、Erinaです。
今日の記事は、私の個人的なつぶやきになってしまうと思いますが、何となく書いておこうと思ったので書いて みます。(何せ、村上春樹さんのエッセイを読んだ後はこういうことが書きたくなるのです。笑)
アメリカにやってきて、初めて日本に里帰り帰国したとき、「あぁ、もう同じ場所には戻れないんだな」と思ったことがありました。
私が渡米したのは2002年の3月で、最初の里帰りは同じ年の12月だったので、 たったの9ヶ月しか故郷を離れていないのですが、まだ若かったこともあって、自分や周りの「成長」とか「変化」というのはずいぶんと速かったのでしょう。
たった9ヶ月前まで同じ地下鉄とバスに乗り、同じ町の空気を吸っていた高校の同級生たちと再会した時に、彼女たちは彼女たちの道を歩み始め、同時に私は私の道を歩み始めたこと、そしてきっとそれらは、高校時代を共有したときみたいに交差することはおそらくもうないのだろうな、と感じました。
これは何かしらの形で故郷を離れた人なら感じたことがあるはずです。
うちの旦那が、リタイヤしたら故郷のケンタッキーに帰りたい、と言います。
きっと多くの人が、ある程度、年を取った(と自分で感じた)ら、故郷に戻りたくなるものなのでしょう。
日本という母国を離れて、外国で一からスタートした人間の視点から見ると、「故郷に帰っても、同じ場所には戻れない」と思うのです。
ほとんどの場合、Miss(寂しく思う)するのは、「過去の記憶」であり、今そこに戻ったとしても、同じもの はもうないかもしれない、というのが現実。寂しいけれど、じゃあ自分の決断(地元を離れる)を後悔しているか?と聞かれると、答えは「ノー」です。
いつまでも同じ場所にいられないのは私だけじゃないし、周りも変わります。みんなそれを言葉には出さないけど、体でわかっている。
思い出は思い出だから良いものであり、それがずっと現実だと、ちょっとそれはどう かな?と私はきっと思ってしまうでしょう。
世の中には、自分で見届けられる成長と変化があり、見届けられない成長と変化がある。
見届けられないもの を”Let go”して、見届けられるものを楽しむ。
・・・と、アメリカ生活も10年を超え、「きっとこの国に骨を埋めるんだろうな」と感じ始めたときに思ったことです。
そんな時にこの曲がじんわり沁みるようになりました。Nickelbackというバンドの”Photograph”です。
私にとっての「ホーム」は、家族のもとに毎日帰る場所。「ただいま」と言って、鍵をガチャリと開けて、夜ご飯を食べて、シャワーを浴びて、眠る場所。
それを作り上げたのは、他でもない自分ですから。