育児休暇という選択
昨年、Yahoo! CEOに妊娠7ヶ月の女性が抜擢されたという記事を書きました。
今回は、アメリカでの育児休暇というものについて、私自身の体験も含めて考えてみたいと思います。
このニュースでは、CEOに大抜擢されたマリッサ・メイヤーは、出産後も数週間の産後休暇後、仕事に復帰すると宣言していました。アメリカでは事実、出産から数週間で仕事に復帰するという女性は少なくありません。
ここカリフォルニア州で決められている産後休暇(産休)は、自然分娩で6週間、帝王切開で8週間です。
これは、この期間内に復帰すれば、もとのポジションに無条件で戻れますよ、というものであり、それより長く休暇をとれば、その後の同じ仕事の保障はありません。
私は2008年3月に長男、2009年11月に長女を出産しました。
長男を産んだときは自然分娩でしたので、6週間の産休後、仕事に復帰しました。
その後、週30時間勤務のパートタイムで仕事を続け、旦那と交代で息子の面倒を見るという生活を1年半続けました。
大学で働く旦那が、朝の授業から帰ってきたら私が出勤。夕方、私が帰ってきたら旦那が夜の授業に出かける、という、なんともあわただしい生活。
疲れきっていた私たちのストレスは言うまでもなく高く、そこにあったのは、ちょっとだけ少なくなったダブルインカムのお給料。夫婦のコミュニケーションも徐々に減っていきました。
二人目の妊娠がわかったころ、息子は1歳になりました。
そのあたりから私の中で、「二人目が生まれたら、もうこの生活は続けられないな・・・」という予感がありました。何らかの形で、夫婦の負担を軽くしなければ、機能するはずがない。
当時は、目の前にある一日をクリアすることに精一杯で、旦那とそこまで話し合う時間も気持ちの余裕もありませんでした。でも、そのような生活への不安は、彼も感じていたように思います。
2009年の11月に娘が生まれる直前、我が家はいくつかの経済的な変化を乗り越えることになります。
まずは、数年前に買った家を売却。投資用にキープしていたコンドミニアムも売れ、二人の収入がなくても余裕のある生活ができるように。
結果として、「仕事を辞めてもいい」という選択肢を後押ししました。
長女が産まれ、あわただしかったダウンタウンから静かな住宅街に引っ越すと、「もう仕事は辞めよう」という気持ちが強くなりました。そのときはまだ6週間の産休中でしたが、好きな写真の勉強も始め、子供たちと過ごす時間がまるで天国のようでした。
産休が終わり、職場に戻ってみると、用意されていたのは二つの選択肢。
「フルタイムで復帰か、それとも自主的退社か。」
私の答えは退社でした。
復帰未定の育児休暇をとる決心をしたのは、ちょうど息子が2歳になった一週間後のことでした。
息子は言葉が遅く、2歳になったときに発した言葉はパパの「パ」と、ボートの「ボ」くらい。
いや、もっとしゃべっていたのかもしれないけど、私たちの余裕のない生活では、それに気づいてあげることはできませんでした。それは、彼との時間が全く足りていなかったという証拠だったのです。
私が仕事を辞めて、子供たちと時間を過ごすようになってから、息子の変化に気づいたのは周りの人たちでした。
「よく笑うようになったね。」
「おだやかになったね。」
「たくさんお話しするようになったね。」
息子のことをそう言う人が増えたのです。
それから息子が3歳になる頃には、彼は単語ではなくて文章で会話をするようになり、他の子供たちにも興味を示したり、とても社交的なおしゃべりさんになりました。
また、新生児のときから息子を悩ませていたアトピーもとても良くなりました。生まれたときから両ほっぺたにあった乳児湿疹、手と腕、すねのあたりに広がったアトピーの辛さは、私も子供の頃に体験していたのでわかります。ドクターに処方してもらったステロイドもやめたいと思っていた時のことでした。そして、遺伝だと思っていたこのアトピー、生まれたばかりの娘には全く発症しませんでした。
私自身、精神的なストレスというものが、自分の皮膚に影響を与えることを知っているので、子供たちもこうやって何らかのストレスを感じているということを知りました。
私はこの一年半のあいだ、母親として子供たちの変化を間近で見ていて、どれだけ自分の役割が大きいものなのかを知ることになりました。
確かに仕事は面白い。
お金ももらえる。
だけど、母親になった今、私の人生は私だけのものではない。
自分の子供が、どれだけの時間をどのように必要としているのか、それを見極めるのはドクターでも、育児書でもなく、私の仕事だということを知る体験になったのです。
私はここで、働くママを批判しているわけではありません。むしろ応援したいです。
ただ、家族の中での「母親」という役割は(父親と同様)独特の大切な役割であり、家族の中のバランスに気づき、それを調整するのはやはり「母」の仕事なんだと感じました。
私にとってこの一年半は、そのことに気づく大切なチャンスだったのです。
もちろん、世の中には、自分が働かなくては家族が食べていけない、という母親もごまんといるでしょう。
そういう女性を周りがサポートしてあげてください。
家では「母親」という代わりの利かない役割があり、子供たちにとってはその存在が全てであるということを認識してあげてください。自分の母親がいつも母親であったように、その女性も誰かの母親なのです。
私は、Yahoo!という世界的大企業が、それに気づかず(または気づいていても)、マリッサさんという一母親に、たとえ短くても、子供とつながるための時間をあげられなかったことが、少し残念に思います。
もしこの人事が長期的な目で見たものだったとしたら、「今すぐ!」という答えではなかったかもしれないからです。
そして子供たちは成長します。彼らはすでに、3年前に比べて、私のことを必要としません。
一年半の子供たちとの時間を過ごした後(長男が3歳、長女が1歳半になった頃)、私はフルタイムの仕事に復帰することにしました。
子供たちが親の手を離れていくのと同時に、自分の時間も増えていきます。
しかし、”bonding”(ボンディング)と呼ばれる親子の「絆」を深める時間は、限定されています。それは最初の本当に本当に短い時間です。
前述したYahoo! CEOのマリッサさんも、それに気づき、忙しいながらも生まれたてのベビーとのボンディング生活が送れることを祈るばかりです。
私がもし、5年前の自分自身にアドバイスできるなら、こう言います。
「急がなくていいよ。だから他のことは全て忘れて、子供との時間をじゅ~ぶんに楽しみなさい。」と。